異空間

手から火や氷の塊など出たりしないだろうか。

ほんの少しの好奇心にあっさりと負けてしまった悠は、日に透かすように広げた手の首を握り指輪へ念じながら全身を強ばらせた。が。


「やっぱ何も無いか……」


水晶玉に触れた時と全く同じだ。何の変化もなく、しんとした廊下からは生活音一つ聞こえない。


「ん……?」


生活音一つ聞こえないとはどういうことなのだろう。

今更ながらに悠は、先程から自身の足音以外何も聞いていないことに気が付いた。

カールの居た部屋へ迷い込むまでの道のりでは、少なくともメイドの存在を時折感じていた。姿は見えずとも所々の部屋で業務をこなしている人が居ると分かるほどの、誰かが動いたり物を動かしているような音が聞こえていたのだ。

途端に不安になった悠は窓へ駆け寄り外を眺めた。心配事を裏付けるように人ひとり、それどころか動物すらも見当たらない。


「待って待って……!」


長い廊下に続く数えきれない部屋の扉をいくつも開け放ち中を確認しても同様の光景だ。まるで初めから一人だったかのように城には人が居ない。綺麗に整えられた品々が余計に人の気配を消していた。

そして部屋の中を覗くことに疲れてきた頃に、悠はようやく廊下の果てが無いことに気が付いた。

走ってもその場で足踏みをしているように廊下の端にあるはずの階段へ辿り着けない。窓も開かず、まるでこの先はデータがありませんと言わんばかりの現状に流石に泣きたくなった。


「私が何をしたんだよ……」


少し震えた涙声で呟いた声に答える人は誰も居ない。

仕方なく扉を開くことが出来た部屋から椅子を持ち出し、廊下側の窓を破ろうとぶつけてみる。結果は悠の手がぶつかった衝撃により痺れるだけで、脆いはずのガラスもびくともしなかった。まるでコンクリートに打ちつけたような感触に悠は椅子を廊下に投げ出した。


「どうせ見てるなら出て来てくれませんか?!」


廊下の果てが見えないなら限定的な広さの空間に閉じ込められているのだろうと感じた悠は、もう既に自分の居場所はバレていることを予想して声を荒らげた。死ぬまで閉じ込められることを考えれば、敵であろうと誰かに会うことを優先した。


「なんだ、もうそこまでバレてんならいいな」


悠の背後から聞こえてきた声は聞き覚えがあった。覚えと言うほど過去のものではない。つい先程、が正しい。


「……いきなり暴力男」

「おい、そのあだ名やめろ。これでも俺は女性を愛する紳士な男なんだよ」


どこがだよ。つい口から滑り出そうになった言葉を飲み込んだ悠だったが、表情までは矯正出来なかったらしい。ジャンは至極嫌そうな顔で「いっそ口に出せ」と悠の非難の視線を咎めた。


「私を殺すんですか」

「はぁ? ……言っただろ、俺は話がしたかったって」


こんな異空間に無理やり連れてこられた悠はジャンの言葉を素直に信じられるほど楽観的ではない。特別な能力も無いうえに攻撃手段を持たない悠からすれば、意味深な言葉、あるいはただの脅迫にしか聞こえない。


「……何の」

「アンタ達の元の世界の話、って言おうと思ってたんだけど……ちょっと事情が変わったんだよな」


お気楽そうなチャラ男というイメージから一転、ジャンの表情が一気に険しくなる。それと同時に向けられた殺気に、悠は肩を小刻みに震わせた。


「アンタ、本当に何の能力も持たない一般人なわけ? こそこそ嗅ぎまわりに来たなら相応のおもてなしってやつが必要かなって俺は思うんだけど、どう?」


語尾に疑問符が付いているはずなのにジャンの言葉は答えを必要としていないことが分かる。

緩やかに歩みを進めるジャンから少しでも距離をとりたい悠は合わせて足を後退させたが、恐怖から震えた足は上手く力が入らずにその場に座り込んでしまった。


「わ、私……は……」


冷ややかなジャンの視線が悠を真っ直ぐに見据える。歩きながら、出会った時同様に手のひらの上へ魔導書らしき分厚い本を出現させているジャンの姿に、悠は床に刺さった光の塊を脳裏へ思い浮かべた。

あの時は狙いが悪かったのか、はたまた牽制だったからなのか、ジャンの攻撃は足元の床へぶつけられただけだった。

では今はどうなのか。腰を後ろへずらすことしか出来ない状態の悠はとてもじゃないが逃げられる気がしない。そうこうしているうちにジャンは悠の前へ辿りついてしまった。


「聖女の情報はどこから聞いた? 魔族なら変化する時間くらいあげるよ。俺、女性は大事にする主義だから。……ていうか、そんだけ魔族のオーラ滲ませといて今更姿偽ったままって、往生際悪すぎ」


声音は笑っているのにジャンの目の奥は笑っていない。そうではないと言いたいはずなのに悠は必死に頭を左右に振ることしか出来ないでいた。

ジャンの口ぶりで何となく察したが、悠は何故だか魔族の疑いをかけられているようだった。疑いというよりもほぼ確信に近い。

ずっと頭を横に振るだけの悠に対し、ジャンは痺れを切らしたのか光の塊を数個浮かべて舌打ちをした。


「そういうのもういいから。言えないならお望み通り死んどく?」


死にたくない。

悠の口は何の言葉を発することも出来ずに二回ほど開閉した。

死にたくない。死にたくない。殺さないで。どれも音になることはなく、吐息のみが悠の唇から漏れ出る。

誰か助けて。その誰かは誰だろう。知り合いも居ないこの世界で頼れる人は捻り出して桃華かカールくらいのものだ。この異空間ではその二人でさえ居ない。

絶望した悠の姿を見下ろしたジャンは深くため息をついた後、面倒くさいと言いたげな表情で悠の頭から心臓までをめがけ、勢いよく光の塊を放った。

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