この世界について

「先程は王子が無礼な行いを……誠に申し訳ございません」

「許しません」

「聖女様、無理を承知でお願い申し上げます。どうかご容赦下さいませんか」

「…………」


別室へと移動した悠達は豪華なソファに身を沈ませていた。先程の儀式の間とは違い、いかにも物語に出て来るお城といった雰囲気の装飾を物珍しげに眺める悠とは異なり、桃華は未だに拗ねたような表情で眉間に皺を寄せていた。

無理矢理キスをした青年を無条件に許せと言われても無理なものは無理だ。事を起こした当の本人はふんぞり返ってふてぶてしく目の前に座っているのだから余計に怒るのも納得せざるをえない。隣に座る男性もそれを分かっているのだろう。疲れた表情で溜息を一つ零すと同時に肩を落とした。

目の前の男性、彼は召喚の儀を執り行った本人らしい。名前はセドリック。神に身を捧げた人はファミリーネームは無いのだと聞いた。


「あの……セドリックさん、私達が聖女……とかなんとかだっていうのは、何となく理解しました。けどその聖女って何をするんですか。本当に帰る手段は無いんですか? この国は今どうなってるんですか。私達は……従わないと、殺されるんですか……」


質問があれば何なりと、とセドリックに言われた時にはすぐ思いつかなかった疑問は、一つ口にした途端に不安と共に悠の口から溢れ出た。桃華もきっと似たような事を知りたかったに違いない。


「……そうですね、まずはこの国の現状からお話しましょう」


そう言いながらセドリックが軽く手を上げると部下らしきローブを着た男が地図を取り出してきた。机に広げられた紙は茶色がかっていて端は少し擦り切れ、インクが色褪せている所を見る限り年季が入ったものなのだろう。


「我々の国、ハルベインは……ヒューマンが住まう大きな都です。その他にも東西南北、様々な種族が存在し、特色を活かした都市がございます」


前のめりで地図を覗き込む悠と桃華の様子を見渡し、部下から渡された指し棒を用いてセドリックは説明を続ける。


「首都ハルベインがこちら。そして北に位置するのは土の都ドリエイク。山々に囲まれ、鉱山の多い都なために鉱物や土器が特産品でございます。元はドワーフが住んでいたため、未だにヒューマンよりもドワーフの人口の方が多いでしょう」


手持ち部分に彫り込まれた模様の繊細さと散りばめられた無数の宝石がシャンデリアの光を受け、チラリと輝く。


「続いて北西に位置するのは、森の都キニェリカ。通常の木々よりも背が高く太い幹の木に囲まれ、案内人無しでは迷い込んだが最後、生きて帰れないであろうと言われている土地でございます。奥地には妖精の森があるとの伝承がございますが、ここに住まうエルフにすら会う事は中々難しいでしょう」


慣れない単語を聞きながら少しでも情報を頭へ入れておこうとするのだが、いかんせん情報量が多い。悠は横目で桃華を盗み見すると、桃華も困惑した表情で地図を見下ろしていた。


「そして南西に位置するは水の都ウルウェイド。大きな湖の上で生活するしかないこの都は水産物が特産品となっております。かつては人魚も人々と交流していたようですが、今はヒューマンのみが生活する国でございます。他の都に比べヒューマンが主体なだけあり、ハルベインと少し似た雰囲気であると言えます」


悠と桃華の様子は確認することもなくセドリックは説明を続ける。話を聞くに、思いきりファンタジーの世界に来てしまった事を悠は理解した。自分は趣味のゲームで馴染み深い単語が多いが、桃華はどうなのだろう。再び桃華の様子を伺うと、地図から床へ視線を落とし、俯いてしまったまま膝上のスカートを両手でぎゅっと握っていた。その光景を目にした悠は、我慢出来ずに桃華の拳の一つへ片手を添えて握り締めた。


「最後は南に位置する炎の都、ファラン。こちらは火山が活動的な地域であり、地熱を利用した温泉とガラス工芸が特産品となっております。ヒューマンの他にビーストが住まう土地であり、亜人もこの都だけはそこかしこに存在するでしょう」


一息吐いたセドリックの様子から、一応の説明が終わった事を察した悠と桃華は姿勢を正した。


「他にも細々とした村や街はございますが、大きくわけてこの五つに分かれると言っても過言ではございません。そしてこの地図上に記されている世界が我々が住まう上界、便宜上、人間界と説明致します。現在人間界は下界、魔族の住まう魔界と戦争中なのです」


戦争中。何となく争いが起こっていることは理解していたが、日本に居れば縁の無い単語に背筋がゾッとする思いがした。ここに現れた時にセドリックが総意として告げた「お助け下さい」とは、聖女が世界を守る存在であることを示していた。

自分の行動一つで人の命が失われるだけでなく、死んでしまうことだってあるかもしれない。

悠は、はいそうですかと楽観視出来るほどこの世界に愛着も無いうえに、覚悟を決められるほどの時間も経っていなかった。

きっと桃華も同じだったのだろう。空いた手を悠の手の甲へ重ね、ぎゅうっと握り締めてきた。


「戦争自体はもう何十年と繰り返しているのです。ただ、ここ数年で魔界から攻めてくる頻度が増え……勢いも増しました。襲われた村や街は壊滅した場所も多々あり、決まって皆殺しにされているのです」

「……聖女に、何が出来るんですか」


本当にただの疑問だった。これだけ聞いても聖女の能力というものが分からない。少し震える下唇を噛み締めた悠は決心して口を開いたのだが、セドリックの言葉は呆気ないものだった。


「我々に奇跡を授けていただきたいのです」

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