転移

人生はどうなるか分からない。そんな言葉は全くあてにならないと思っていた。人に与えられるのは、結局はある程度予想出来るありふれた日常だけなのだと。


「これは……」

「聖女が二人……?」


だからこれはきっと夢なのだ。そう思う自分の膝から伝わる床の冷たさが、そうではないと言っている気がした。



***



「聖女が二人とはどういうことか?!」

「落ち着いて下さい、リアム様! 召喚自体は成功しております!」


憤慨する青年と、青年に詰め寄られて必死に説明をする奇妙な服を着た男性。事態を全く理解出来ないまま呆然とそれを眺めるしかない少女が二人。本来ならば一人だけ召喚されるはずだった場所へ、二人存在していた。

二人の少女の内の一人、橋本悠は、大理石のような床に少し上から投げ出された痛みに耐えていた。打ちつけた膝は確かに未だ鈍い痛みを訴えているが、歩けない程ではないことは分かる。

それよりも目の前に広がる異常な光景に、緊張からどくどくと、普段よりも心臓が早く動いている気がして息苦しい。

普段通り授業を受けていたはずだった。窓際の席から外を眺め、代わり映えのしない誰も居ないグラウンドと晴れた空を眠気覚ましにぼんやりと見つめていた。昼食の後の座学は睡魔を呼び寄せる。悠もその他大勢の生徒達と同じく、忍び寄る眠気と戦っていたのだ。


「夢……?」


それがなぜ、こんな所に。

掠れた声で呟いた単語が妙に広い室内へ溶けて消えた。未だに失敗だなんだと口論を続けている連中には聞こえなかっただろうが、隣に居たもう一人の少女には聞こえたようだった。


「橋本……さん……?」


何もかも見覚えがない世界でいきなり呼ばれた自身の名前に、反射的に顔を向けた悠の瞳に映ったのは、隣の席の櫻井桃華であった。

顎先まで伸びているウェーブのかかった桃色の髪。元からぱっちりとしていた瞳は大きく見開かれて今にも零れそうだ。カタカタと小刻みに肩を震わせ、両手を胸元できつく握り締めている。綺麗な形の爪が肌にくい込んでいる光景が、桃華も悠と同じく今の状況に恐怖している事が分かった。


「櫻井さん、何があったか覚えてる……?」


悠が少し桃華の傍へ寄り小声で問い掛ければ、緊張が緩んだのか、得体の知れない何かを思い出してか、滲み出た涙を瞳いっぱいに貯めて桃華がとつとつと口に出す。


「わ、分からないの。授業中にいきなり足元の床が光って、知らない男の人の声が聞こえて、でも私以外聞こえてなくて。そうしたら足からゆっくり飲み込まれて……私……っ」


最後の言葉は声にならず嗚咽の中に消えていった。見ていられず桃華を抱き締めた悠の胸でそのまま静かに声を殺してしゃくりあげる。

桃華の話を聞いて悠は自分の服装を確認した。白いカッターシャツに黄土色のジャケット、灰色のチェック柄のスカート、濃緑のベスト、最後にネクタイ。普段の制服とは何ら変わらない。桃華が言う通り、自分たちが知らない世界へ迷い込んだという説が一番しっくりきてしまって認めざるをえない。

ただ一つ疑問なのは二人とも共通して最後の記憶は教室の中だった筈なのに、足には指定の上履きではなく通学用のローファーを履いていることだ。


「ようこそおいで下さいました、聖女様」


そんな悠達の怯えを知らず、口論を一旦終えたらしい青年に詰め寄られていた男性が、気が付けば目の前に居た。

得体の知れない人物に警戒するなと言う方が難しい。悠は桃華を少し強く抱き締め直し、思った以上に力の入らない足を少しだけ後方へ移動させた。


「何なんですか……? ここ、どこなんですか……!」

「ここは首都ハルベイン。あなた方はこの世界を救うために我々が異世界より召喚した聖女様でございます。手荒な真似は一切致しません。どうか、そのような目で我らを見ないで頂きたい。誓って敵ではございません」


そして男性はそのまま静かに床へ片膝をつき、右手の拳を左手で覆い、静かに額へと添えて頭を垂れる。


「聖女様、どうか我々を……我々をお導き下さい……」


男性の行動をきっかけに、後方に佇んでいた似たようなローブを着た人々が同じ動作で頭を垂れる。今まで周りが見えていなかった悠はその人数の多さ、そして歳上の男性や女性が訳も分からず頭を下げる事に対して余計に不安が募った。


「帰して……」


小さく呟いたのは桃華だった。


「私達を、返して下さい……!」


悠の肩に手を添え顔を上げると、未だに涙は止まらないまま桃華は目の前の男性を見つめた。しかし男性は、顔を上げるなり眉尻を下げ。


「……残念ですが、それは叶いません」


そう告げながら、また同様に頭を垂れた。


「召喚の儀は一度のみ。この場へ召喚することは出来たとして、元の世界へ戻す手段はこの国にはございません。こちらの身勝手で誠に申し訳ないとは存じております。ですが……ですが、我々はあなた方聖女様に頼るしかもう道は無いのです」

「その聖女って何なんですか!」

「それは……」


こんな現実は理解したくないという意思の表れなのか、目を強く閉じながら我慢出来ずに声を荒らげた桃華の前には、いつの間にか男性と口論をしていた青年が居た。


「おい、女」


悠はそれを桃華へ告げようとしたのだが、腰を落とした青年の行動の方が早かった。伸ばした右手で桃華の顎を捕え、無理に向かせると同時に唇を重ねた。そして離して一言。


「喚くな」


呆気にとられた悠よりも一足早く何をされたのか理解した桃華は、恥ずかしさと怒りから顔を紅潮させながら、青年の頬を勢い良くビンタした。

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