第30話 廃校 2
「バルルーン、か………?」
誰かが庭にいたような気がした。
そう感じた俺はしばらく窓から首を出して、階下を眺めていた。
辺りを見回した後、誰もいないという結論にたどり着いた。
なにか、木の影かを見たようだ。
見間違えたようだ―――森から離れた位置にも何本も立っているそれだったのかもしれない。
そもそも、バルルーンの奴がいたとして、律儀に歩いてくる必要もない。
あのトリ野郎ならば飛んで二階から侵入してくる、そして隠れることも出来る。
何故雨の中で庭に立ちすくすことになる。
だとすると、気のせいか。
或いはこの島にいくらでもいる住民の一人が、通りかかった。
それだけだと考えるのが自然か。
ぴしゃあ―――、と閃光がサイパンに轟く。
島全体に響いているだろう。
雨ではなく雷雨になりつつある。
ずいぶん本格的だな。
風はそれほどひどくなかった―――脆そうな薄手の窓は揺れていない。
そして俺は壊れそうな窓ガラスを丁寧に閉めようとして―――全然滑らかに動かない、ガタがきてるそれを、乱雑に閉じた。
廊下を歩く。
ぎしり―――ぎしり。
音は立てているが、もう床板が抜けるようなことはなかった。
二階の部屋を一つ一つ見て回った。
何もなかったが木くずや埃だけは転がっている廃屋である。
廃部屋が。
同じような大きさの、人間なら二十人以上は入れるような部屋が並んでいる。
同じような部屋が。
隅に少しだけ備えられている、というより捨てられている足のない椅子や机などがいくつかあるところを見るに、学校。
学校だったのだろうということは間違いない。
そういう役割を持っていたのが何十年前の話なのかは知らないがな。
物だけでなく部屋の壁も、何というか―――崩れ落ちそうで、かつ剥がれ落ちそうだ。
天井隅には蜘蛛の巣がかかっていた。
廊下を歩いていくと、同じような荒れ果てた教室が多い。
古びたゴミが落ちているようだ。
教室のうちの一つに入り、部屋の隅まで移動する。
薄暗い―――隠れられそうではあった。
窓には板が打ち付けられ、部屋の一番奥は暗いというよりも闇だった。
心霊スポットじみた様相だが、寒気はしない。
暗闇というものは本能的に好みなのだ。
魔怪人にとっては安心感すら受ける。
―――ぎしり。
背後から音が鳴ったので、振り返った。
ドアがない出入口。
教室から廊下に戻るための空間には、誰も見えない。
ごろごろごろ、と雷雲の唸りだけが響いていた。
気のせいだろうか、音が聞こえたのは。
床板を鳴らすのは、さっきの俺のような魔怪人ではないだろうか。
バルルーン?
「―――おい、バル」
ぴしゃあ―――と、雷鳴が轟いた。
光が廊下から差し込む。
入り口から、ひときわ濃い影が教室に伸びてきた。
黒く、スカートをはいた人間のシルエットが一瞬映り、消えてゆく。
静寂の闇に戻った。
俺は動かずにその床を見ていた。
既に床面は元の黒い闇に戻り、何も映ってはいないのだが。
俺は音を立てないように尾を持ち上げて、頭を下げる。
魔力を全身にみなぎらせてゆく。
戦闘態勢に移り始めた。
いる。
気のせいではない。
いる―――。
廊下にいる。
新手が。
見えない位置だが、壊れそうな壁一枚隔てたすぐそこに、来ているんだ。
俺は魔力を尻尾に集中させる。
くっそ、これから戦闘になると思うと気が昂るぜ。
いや、待て。
戦闘か?
その必要はあるのか、絶対に?
敵は―――奴は教室に入ってこない。
どうなっている、廊下側は。
窓のない、この黒い木箱のような教室の外に確かに誰かが立っている。
立っているんだ。
だが室内は暗く、俺を視認できたとは思えない。
それは翼を持ったいけ好かないお調子者ではなく、スカートをはいた何者かだ。
そいつが、いる。
いるが入ってこない―――?
俺は足元で、ぎしりと音を立ててしまう。
教室の前後の入り口を見るが、何も変わらない。
俺は意を決して、だん、と床を蹴り、後ろの入り口から飛び出す。
焦りはあったが、先手を取る!
そのつもりだった。
すかさず、前の入り口の方を見た。
教室よりははっきり見渡せる廊下には、誰もいなかった。
「!?―――、」
俺は背後を含め、周りを見回す。
すばやく周囲を見回す。
ぱりん、と小さく聞こえたのはさっき俺がいた教室の方向からだ。
床に落ちていた何かが割れたのだろうか。
「く………!」
俺は走って逃げ道を探す―――逃走を選んだ。
奴は敵だ。
敵ならば戦うことは選択肢にあった。
ただ―――まだ見つかってはいないのではないか。
俺の姿を見ていない可能性がある。
逃走というか、そもそも今回はバルルーン回収の任務だ。
おそらくまだ見つかっていない、しかも建物内は薄暗い。
まだいける―――。
俺は興奮を押し殺し息も殺し、駆けた。
隠れてやり過ごせるのではないか。
行けるのか?
そう考えつつ駆ける。
そうして逃げ切る。
俺は二階の隅にある、部屋に。
部屋の一つに飛び込んだ。
ひびが入ったタイル張りであり、教室ではないようだった。
着地した時に目に見えて―――というか聞こえて、足音が軽減された。
一瞬安心しつつ、その、幾つかあるうちの一つのドアを開け、中に入る。
奥から二番目のドアだった。
ドアを閉めてから、外で雷鳴が轟く。
やった、音はほとんど立てなかった。
ごろごろごろ。
ざあざあざあ。
大自然の騒音。
一瞬光って中の様子が映った。
狭いな―――ここは、トイレか。
俺はトイレの個室に飛び込んでしまった。
音がしない。
廊下から音は―――聞こえないというよりもわからない。
敵には、居場所はバレていないか?
追ってきている気配はない。
俺の足音を聞かれたかもしれないが、外の豪雨と雷の音が、かなりかき消したはずだ。
きぃ―――、と、音がした。何の音だ。
金属の、しかし激しい音ではない。
きぃ―――と、またこの部屋のどこかから音がした。
俺はその音に疑問を感じつつも、ドアの持ち手を握った。
古すぎる鍵はあるがこれをかけるか?
いや、できない。
かぎなんてかかっていたら逆に不自然だ。
そうこうしているうちに、その時は来た。
きい、とドアを開けようとする音。
力が、俺の腕に伝わる。
俺は腕を固定した。
そうなるように努めた。
ドアが開かないように。
ドアは停止した。
建て付けが悪いんだ、壊れているんだ。
このドアは開かないんだよ!
そう願いつつ、声は殺す。
伝わることを願いつつ、俺はドアを引いている。
外の誰かに、必要以上に力を込めないように。
ただの物として、見てもらえるように。
力を込め過ぎないように、込めている。
ドアから力がなくなった。
静かになって、開けようとする者はいなくなった。
俺は止めていた息を荒げそうになっていたが何とかドアを睨んだまま、手も離さず制止していた。
………行ったのか?
いや、まだ気は抜けない。
あとしばらくは動けない。
止めていた息を、少しずつ抜いてゆく。
鼓動が早鐘を打っていた。
ぴちゃり、ぴちゃりと天井から水滴が降ってくる。
俺の鼻の上に、一滴落ちた。
雨の―――雨漏りか。
ぴしゃあ―――、と、雷鳴。
その光で、暗闇が消える。
白と黒に見える世界が出現した。
円形に見開かれた瞳でまっすぐ俺を見下ろす少女がいた。
少女が、個室ドアの上に両肘を乗せて見下ろしている。
その身体の、雨で濡れた短い髪から、水滴がまた落ちてきた。
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