7.報せ
信濃とのやり取りの後、家事を終えた燕はいつものように学校へ向かう。
駅に向かい混雑する電車に乗って、龍樹と雑談をしながらそれぞれの朝練へと向かい、体育館で汗を流したあとはいつも通り授業の始まりだ。
丁度一時間目が終わった後の休み時間。所用から戻った燕にクラスメイトの女子が声をかける。
「燕くん」
「なんだ、
突如聞こえた鈴を転がすような声の先にいたのは、共にクラス委員に就いている
その弁当包みは確か龍樹のものだった筈だ。これまでの経験から察するに彼はまた弁当を忘れてしまったのだろう。確認のために訊ねようと口を開きかけたところで、貴音は申し訳なさそうに話しだす。
「これ、龍樹くんに渡してほしいんだけど、大丈夫?」
「やっぱりか。別にいいよ。また弁当忘れたのかあいつ」
「そうなの!」
力強く返事をした彼女曰く、朝練のために早めに登校した龍樹が弁当を忘れたから渡してほしいと、龍樹の母に頼まれたそうだ。何故家族ではなく彼女が届けるのかというと、それは小さい頃から彼女と龍樹が友人であることに由来する。
家が近所であり更には親同士の仲がいいということも関与してか、小学生の頃はよく遊ぶこともあったようだ。そして龍樹の友人であった燕は、彼に誘われて貴音と遊んだことも何度もある。言わば幼馴染というものである。
しかし異性ということもあってか進級進学につれ燕と貴音との交流は減っていたが、まさかの高校で同じクラスになり、しかもクラス委員の関係もあって、再び関わりが増えている。
話は戻して問題の龍樹の弁当だ。実は中学時代も、うっかりしやすいのか何度も弁当を忘れてしまっている。その時やはり燕は貴音から弁当を渡すように頼まれるのだ。
因みに、中学のときに『何故貴音本人が龍樹に渡さないのか』と訊ねたことがある。その問いには彼女はこう続けた。
『友達に、龍樹くんと付き合ってるのかとか聞かれて……なんか面倒だなあって思って。私、他の学校に彼氏いるのに』
『あぁ、それは……面倒だな』
『でしょ? まぁ気にしなかったらいいんだけどね……』
他人の色恋に興味がある者が多いだろうことは理解しているが、彼女が嫌だと思うならば仕方ない。それ以降は快く受け入れて代わりに届けることにしたのだ。
貴音より弁当を受け取って燕は教室を後にする。少し背を屈めてドアを潜り、少し離れた龍樹の教室へと向かう。学科としては普通科に位置するA組。開かれた教室の後ろのドアから覗き込めば教室の前方に龍樹の姿が見えた。
近くにいた生徒に声をかけて龍樹を呼んでもらうと、友人と談笑していた龍樹は慌てて燕の元へとやってくる。
「ごめんな燕!」
「俺は別にいいが……不破にもご家族にも迷惑だろ、気をつけろ」
「そうだよなほんと……」
少し気まずそうに眉根を下げて弁当箱を受け取った龍樹だったが、ふと燕を見上げた彼は不思議そうに目を丸くする。
そのまま教室に戻る予定だった燕は一瞬何事かと訊ねると、龍樹は『気のせいかもしれないが』と前置きをして徐に問う。
「……なんか、嫌なことあった?」
「……何故そんなことを聞く?」
「ん、いや、なんか顔色が悪い気がしたから」
首を傾げた彼は気のせいならいいやと零して、再度礼を述べると、じゃあまたなと笑って教室へと戻っていった。
その背を見送って、燕も教室へと戻るのだが、何故龍樹がそんなことを聞いたのかぼんやりと考えたが、結局なにも心当たりもないままだった。
部活も終了した夕方。信濃にメールで頼まれた用事を済ませひとり帰路につく。灯りが点灯する玄関を開ければ夕飯の匂いを感じる。洗面所に向かい、いつものようにジャージ等は洗濯機の中だ。
着替え等も済ませてリビングにいくと、そこでは信濃と舞鶴が夕飯を食べていた。
「おかえり、燕。ごめんねいつも用事頼んじゃって」
「いいよ別に。洗面所の棚に閉まってあるから」
「ありがと。燕もさっさとご飯食べな」
「あぁ、そうする」
自分の茶碗にご飯と味噌汁をそれぞれ盛って席に着く。舞鶴に小さく『おかえり』と言われたのでそれに返事をして、燕は夕飯の焼き魚に手をつけた。
食事の最中には順に他の兄も帰宅した。なんだか妙に機嫌が良さそうな雄和と、どこか疲弊している様子の旭、感情が読めぬ錦。三人はそれぞれ疲れただのなんだのと口にしているが、特に三人での会話はない。上の兄二人の喧嘩が始まらないに越したことはないのでそれでいいかと思いながら、定位置にある洗濯物を仕分けていたその時。突如リビングにある固定電話の音が大きく鳴り響いた。
「誰だろう。ちょっとごめん誰か出てくれる?」
「あ、えっと、私出るよ」
使い終わった皿を片付けていた信濃の言葉に、舞鶴が慌てて返事をした。どこか不安げな様子で舞鶴は受話器を手に取る。
「もしもし、市河です……あ、お父さん?」
不安げな様子から一転し安堵と共に明るく発せられた声に、リビングの空気は変わる。決して明るい空気になった訳ではなく、空気がピリピリ張り詰めているようだった。特に旭と信濃はその表情に焦りが滲み出ており、燕もその空気を感じ取り嫌な気配を察知する。
舞鶴はそんな空気など露知らず、メモを片手に海陽との電話を終えてゆっくりと電話機を置き、そして子供らしい純真な笑顔で一言。
「あのね、お母さんとお父さん、来週末に帰ってくるって!」
天真爛漫な笑顔で嬉しそうに発された言葉は、例え彼女には嬉しいことでも、兄達にとっては決してそうではなかったのだ。
――嫌な予感が、当たってしまった……。
燕は仕分けていた途中の洗濯物を置いて、思わずはぁ、と溜息を吐く。大したプレッシャーもなにもない燕だが、それでも両親――いや、母である双葉の帰国はどう解釈しても喜べないのである。
燕は物憂げな面構えでキッチンや食卓にいる旭達に目を向ける。重大なプレッシャーがかかる彼等の心境は恐らく自分の比ではないと燕は思う。そしてその予想通り、錦を除く三人の顔は曇り、青白さを帯びていた。誰ともなく深い深い溜め息が吐き出される。
「…………うっそだろ……」
「いや、長期休みの前だし予想はしてたけど……予定より早くない……?」
「…………ごちそーさま。オレ、録画整理するわ……」
「うん、やってきな」
まるで絶望したような旭と信濃の声に、食事を終えた雄和が芳しくない表情で席を立つ。自身の食器をシンクに下げテーブルを拭いたあとは、ふらふらとテレビの前にあるソファに腰を下ろす。なにかの拍子にアニメや特撮の録画が見つかっては消されてしまうので、そうなる前に自分で削除なりダビングなりをするのがいつもの事だった。
一方で舞鶴は、何故兄達が落ち込んでいるのか分からない様子でおどおどと突っ立っている。彼女の近くにいるケイやギーグは特に何も言わずにその様子を眺め口出しすることは無い分、彼女の動揺が際立つ。
「あ、あの……嬉しくないの?」
「……いいよね舞鶴は。なんにもないんだから」
ぽつりと口にされた疑問に信濃が嫌味のように返す。意味が分かっていないのかきょとんとしている彼女だが、皆が自分と同じ気持ちというわけでないと気づいたか、悲しげに目を伏せる。
「お風呂、掃除してくるね」
居心地悪く感じたか、舞鶴が静かにリビングを後にし、ケイ達もそれに着いていく。ともなれば部屋の空気を変えるものなどここには居もしない。かける言葉など何も無く、燕も洗濯物を手にリビングを後にした。
その後部屋にて勉強をしていた燕の元に錦がやってきた。不機嫌そうに床に腰を下ろした彼は、なんと切り出すか少しだけ悩んだ後、徐に口を開く。
「兄貴や信濃達の反応はともかくとしてよ、舞鶴はいつになったらオレらの気持ちが分かるんだろうな」
「……さあ。舞鶴は俺達みたいな扱いは何も無いから、『少し厳しいお母さん』認識なんじゃないかな」
「それでもあんな笑顔で言ってんじゃねーよクッソ。親父が帰ってくんのはいいけどよ……あーもう!」
淡々と述べる燕の言葉を受けて錦は心底嫌そうに言い、力強く床を殴った。錦の部屋ではないのだから殴るのはやめてくれと思わなくもないが、彼の怒りも理解出来るため口を閉ざす。
確かに、このような電話を受けるのは今回が初めてではない。しかしまだ彼女は小学生だ。嬉しいと思ったらそのまま表情に出てしまうのも致し方ないのかもしれない。
説明しても理解しているのかどうなのか分からない舞鶴のことだ、彼女本人が理解するまでは何を言っても無駄なのだろうと諦め、そういえば、と錦に目を向けた。
「……兄貴、今更だけど……」
「なんだよ」
「今のうちに髪色だけは戻したほうがいいよ」
「……分かってるっての」
金色に染まった髪を指摘され、錦は素っ気く返事をした。
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