4.Swallow2

 すっかり暗くなった頃。居残り練習を終え制服に着替えた燕は、足取り重く帰宅する。身体的にはともかく、思った以上にあの会話や同級生の言葉は彼の心に響いていたらしい。

 自分が気にしすぎているだけだと心の中で呟きながら、ひとり静かに駅までの道を歩く。

 学校から駅までの距離の数分。その間に部活帰りと思われるジャージ姿の生徒達の姿を幾つも見た。

 歩きながら、もしくは自転車に乗りながら談笑する者達。電車の時間が近づいているのか慌てて走っていく者達。当然中には学生ではない大人が歩いていることもあるが、学生が目立つのは仕方ないだろう。

 特にコンビニの前などに学生がいると賑やかでよく目立つ。

――賑やかだな。

 ぼんやりと思いながら目を向けた中に龍樹の姿を見たが、サッカー部員同士談笑している輪の中に飛び込む気もなく、見送った。


 駅に着いて、ホームにあるベンチに腰をかける。電車が来るまでの間に信濃に帰宅予定を連絡しておこうと、最近買い替えた折りたたみ式の携帯電話を開いた。

 とりあえずメールを送って携帯を閉じ、あとはもう制服のポケットにしまい、代わりにカバーをかけた本を取り出す。

 燕が使う青色の携帯電話は、春休み中に旭と共に新しくしたものだ。ここ最近はスマートフォンが広まり始めたことで、それを利用している学生も増えてきたが、燕にとって携帯電話は最低限の連絡手段として使えたらいいものだ。そのため所謂ガラケーと言われるもので特に問題はない。

 ひとりベンチに座り本を読むこと数分。信濃からの返事を確認し、定刻にきた電車に乗った。



 自宅に戻りいつもの様にジャージを洗濯機カゴへ入れ、一旦リビングへ向かう。ドアを開けると、そこでは雄和以外の兄達と舞鶴が夕飯を食べている最中であった。舞鶴の付近にはケイとギーグの姿がある。

 この間燕が綺麗に直した食卓、その上にあるのは麻婆豆腐や蒸し鶏のサラダに卵スープ。今日の夕飯は中華系らしい。男子学生の食事なだけあって、量はもちろん大盛りな一方、舞鶴には辛さも量も控えめのものが配膳されていた。


「ただいま。……雄和兄貴は?」

「おかえり。雄和はもうすぐじゃない? 燕からの連絡のあと、メール来たし」

「そう」


 信濃の言葉に簡潔に返して、着替えに部屋へと向かおうことにする。激しい部活の後で空腹だ。早く夕飯を食べないとなくなってしまうかもしれない。

 そう考えながらリビングを出ようとしたところで、お代わりに立った旭が思い出したように声を上げた。


「燕。そういえばお父さんから荷物来てたよ」

「えっ」


 その瞬間、ほんの僅かに燕の表情が明るくなった。それに気づいたものはいるのか分からないが、旭は特に反応も見せず言葉を続ける。


「ご飯の前に、先に連絡してもいいよ」

「……飯は先に食べるよ。俺の分少なくなったら嫌だし」

「そう」


 ポツリと口にした言葉に、旭は笑って短く返した。

 父親からの荷物が気にならない訳ではないが、育ち盛りの学生にとっては自分の取り分が減ってしまうのは重大なことである。

 信濃は「ちゃんと残してあるから」と呆れたように言っていたが、そもそも今非常に空腹である燕は、どっちみち早く夕飯にありつきたかった。

 表情はさほど変わっていないが、慌てて部屋へと向かい着替える。確かに机の上にはダンボール箱があったが、一先ずそれをスルーして再度食卓に向かう。

 雄和の分も残しつつ、自分で必要な分をよそい準備をするも、漸く燕は夕飯にありつく。香辛料が程よく効いたそれは、非常に美味であり食欲も唆られるものだ。

 いつの間にか食卓にいるのは1人になり静かになったが、直後に雄和が帰宅したことによりきもち賑やかになる。特に喋りまくっている訳では無いのだが、落ち着いた雰囲気の燕とは違い、雰囲気だけでも陽気なオーラが出ているように見えるのだ。あくまでも燕の感じ方ではあるが。

 その雄和は今日はやけに上機嫌で食卓についた。応援している芸能人等の関係でいいことでもあったのだろうか……などと勝手な予想をしていく。若しくは単に辛い料理だから喜んでいるだけかもしれないが。

 黙々と食べる燕の横で、雄和は麻婆豆腐をある程度まで食べて考え込んだ後、いつもの様にありったけの唐辛子と花椒を追加した。



 夕食後、燕はやっと海外より届いたダンボールに手をつける。

 箱の上に貼ってある送り状、その差出人部分にはやけに長い住所と、確かに海陽の名がアルファベットで書かれていた。

 中身はなんだろうか。妙な緊張感の中ガムテープを剥がそうとしていると、大首のケイがふよふよと近くを彷徨う。

 てっきり舞鶴の所にいるものだと思っていただけに驚いたが、旭から話を聞いた時の燕の反応で興味が出たらしい。


「お前があんな嬉しそうにするなんてめずらしーだろ? だから、いいもんでも来たのかと思ってな」

「…………そう、ですか」


 そんなにも自分はわかりやすい反応をしたのだろうか。少し恥ずかしく思うが、特に口にせず一気にガムテープを剥がし、箱を開ける。

 中から出てきたのは、丁寧に緩衝材に包まれた本が四冊とシンプルな白い封筒で、それを見た燕は、何故海陽が荷物を送ってきたのかの予想を立てた。緩衝材を外し、本を手に取って確かめた燕の表情に僅かに色が宿っているのが見て取れる。

 本の表紙に記されているのは英文や、何語か分かりづらい文章で、心得がなくては内容の見当もつかないであろうものだ。しかし燕はそれらをしっかりと理解し、嬉しそうにパラパラとページを捲る。


「やけに難しそうな本だなァ」

「うん。でも、これが読みたかったんだ」


 封書を開いて、中にある折りたたまれた便箋を広げる。そこには海陽の丁寧な字が綴られており、それを読み込んだ燕は時間を確認する。向こうは大体昼頃か。ならば通話は可能かもしれないと一縷の望みをかけてすぐさま電話をかける。相手は当然、海陽だ。

 発信中の無機質な音を聞きながら電話が繋がるのを待つ。かけ始めてから、電話料金などのことも考えてメールにすべきかと思い直し、切ってしまおうかと携帯を離したところで、声が聞こえ、慌てて耳元にあて直す。


『もしもし? 燕?』

「っ、あ、も、もしもし、父さん? あの、今、電話しても大丈夫?」

『大丈夫だよーどうした? もしかして、荷物届いた?』

「うん、そう。……あの、本、ありがとう。わざわざ、送ってもらって……」


 恐る恐る発した声に返るのは朗らかな声。以前と変わらない様子の父の声にほっと息をつき、拙いながらも謝辞を口にした。


『いいんだよ別に。卒業式も入学式も結局行けなかったし、ちゃんと合格祝いも誕生日祝いもできなかったから、これくらいはね。本、燕が言ってたのと合ってた?』

「うん、合ってる、大丈夫」


 よかった、と安心したような声が聞こえて、思わず笑みが零れる。

 そう、先程の手紙にはその事について書かれていたのだ。

 燕の卒業式や入学式、更には誕生日が重なる3月4月。その頃に帰れる見込みがないと分かった海陽は、それを詫び、かつ、代わりに燕の欲しいものを贈るということを伝えるメールを冬頃に送った。

 卒業式や入学式にこ来ることができないのは今に始まったことではない。誕生日だって、そんな真面目に祝うものでもないから、お祝いがなくても特に気にしていない。しかし、嬉しくないかと言われるとそれは否定する。結局は、一言でも有難く感じるのである。

 些細な一言にも感謝を向ける燕からすれば、海陽に本を頼むのは少しハードルがあった。しし、彼の好意にきっと裏はないはずだと認識する。だから燕は、『もし見つかったらでいいから』と丁寧に前提をつけて、そのメールに欲しい本のタイトルや作者名を書いた。


 彼の部屋には本が多く、中高生が好きそうな漫画やゲームはひとつもない。これは規制されているからだけではなく、元々の本好きもあった。

 燕は極力原書で読みたいと考えているタイプである。翻訳してあると、訳者の手ひとつで原書と全く違う文章になってしまうこともあるからだ。

 だから近くの書店何軒かに足を運び好きな本の原書を探したが、しかし翻訳されているものばかりで購入に至らなかった。

 そもそも、娯楽小説等に使える金額は厳しく決められているため、取り寄せ可能でも手を出せないこともある。だが、父からのプレゼントとなれば話は別だ。


「あの、こんなに買って、母さんに何か言われなかった?」

『大丈夫。そこは燕は気にしなくていいよ。それに双葉さん、こういうハードカバー系の小説だったら、余程のことがない限り許してくれるでしょ』

「……確かに、そんな気はするかも」


 そんなことをボヤきながら、燕は本棚に目を向ける。不朽の名作から最近出版されたものまで多くの小説が並ぶが、中には昔の倫理感で書かれた故に現代からすれば首を傾げたくなるような内容のものもある。だが、それを咎められたことは特にない。内容にはノータッチなのか、それともわかった上で小説だから気にしていないのか不明だが、『逃げ場』があるのは有難い。

――これが漫画やライトノベル系だったなら、どんないい内容でもアウトなんだろなあ……。


 難儀な母の性質を思い返しながら、燕は海陽との会話を続けるうちに、話は卒業式や入学式へと変わっていく。

 前述の通り、双葉も海陽も参加できなかったが、どちらも海陽の姉であり、燕たちからすれば伯母にあたる美郷が保護者として出席してくれた。

 幼い頃から面倒を見てくれて保護者として学校行事にも関わってくれる美郷は、兄妹にとってはまさに母のような存在であった。

 朗らかな海陽とは真逆のしっかりした頼れる人ではあるが、苛烈さはなく、理不尽に兄妹を怒ることはない。

 子供達が早くに独り立ちし都会で暮らすようになってからは、まだまだ学生である兄妹達の保護者として支えてくれる善き人であった。

 ちなみに、もう1人父親のような兄のような立ち位置として頼りにしている、父方の叔父がいるのだが――彼についてはまた後ほど。


『写真、姉さんからたくさん貰ったよ。燕も大きくなったね』

「クラスで一番俺がでかいよ」

『やっぱりかあ。双葉さんも言ってたよ、大きくなったって。直接行けないの、ちょっと気にしてた』


 果たしてそれは本当だろうか。海陽の優しい嘘である可能性も否定出来ないが、わざわざ言う気にもならず、そう、とだけ短く返す。

 最後にもう少し近況報告をし、電話を切る前に海陽は付けくわえた。


『燕、合格おめでとう。中学卒業と、高校入学もおめでとう。あと……誕生日おめでとう。ごめんね、遅くなって』

「いいよ、別に。……ありがとう」


 口の端を緩ませて、燕は満足げに海陽との会話を終えた。

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