5‐4.腰に伝わるその振動
一本道の地下通路を抜けた先に、うっすらと光が見えた。近づくとそれは徐々に強くなり、同時に、上へと続く階段が見え始める。
「ゆっくりな。足、気を付けろ」
「は、はい……」
梨乃は手で目を覆いながら、もう片方の手を一ノ瀬に引かれて光の中へと突っ込んでいく。
おぼつかない足取りで一段、また一段と階段を上っていき、やっとのことで一番上に到達する。
初めて浴びる外の光。初めて吸う外の空気。
もちろん梨乃にとって呼吸は見せかけでしかないが、研究所の中とは明らかに空気が違うのが分かる。
眩しくてすぐには目を開けないが、梨乃には、自分は外に出たんだという実感がたしかにあった。
徐々に外の光に慣れ始め、恐る恐る目を開くと、
「わぁ……」
梨乃は思わず声を漏らした。
木々が生い茂っているせいで太陽の光がすべて降り注ぐことはなく、葉や枝の隙間から一直線に差し込んでいた。
遠くでは鳥のさえずりが聞こえ、木と木の間には小さい虫がたくさん飛んでいるのが見えた。
梨乃はハッとする。
「幻想的……」
「ジャングルか?」
「そう、ですね」
一ノ瀬と梨乃は、どこかの国のジャングルの映像を一緒に見たことがあった。似たような光景が目の前に現れて、梨乃は改めて外に来たことを噛み締めた。
感動のあまり口をあんぐりと開けて絶句する梨乃の背中に、双葉がたくらみ顔で飛びつく。
「まだこんなもんじゃないよ、梨乃ちゃん」
双葉は梨乃の手を引いて走り出す。
コンクリートなどで舗装はされていないがしっかりと道があり、少し湿った土を踏みしめて森の中を駆けていく。
「え、ちょっ」
「マジか」
元気が有り余る女子二人のその後ろを、なぜかすでに疲れている男子二人がだらだらと追いかけていく。
やっと出ることのできた外の世界。出してあげることができた外の世界。
四人は研究所の森に響き渡らせるくらいの大声で笑いながら、緑のトンネルを進んでいく。
* * *
トンネルを抜けて大きな門を通ると、視界が一気に開けた。
門番のロボットに軽く挨拶をしてから、今度はコンクリートで舗装された道路を、一番近くのバス停まで駆け下りていく。
一ノ瀬と小松は何とか食らいつくが、この歳になると体が悲鳴を上げそうだ。
徐々にスピードを落としながら走ること数分、ようやくバス停が姿を現した。
双葉もさすがに疲れたらしく、短くなった呼吸の間隔を深呼吸で戻す。
「すごい、梨乃ちゃん……。疲れてないね……」
「私はアンドロイドですから」
言ってしまった双葉と追いついた一ノ瀬と小松の鼓動が、走ったせいとは違う意味で速くなった。
解決したとはいえまだ病み上がりみたいなもので、そこに掘り起こすような質問をぶつけてしまったからだ。
だが梨乃はそんな素振りは見せず、鼻歌を歌いながらバスの時間表を眺めていた。
「考えすぎ、ですか」
「ああ。たぶん俺たちが思っている以上に、梨乃は自分がアンドロイドであることを受け入れてる気がする。再発の心配も杞憂だったのかもな」
そんな簡単に飲み込めるのか、という疑問も抱いたが、目の前の彼女に聞いても気を遣わせるだけだ。一ノ瀬は出かかった言葉を飲み込んだ。
梨乃をバス停のベンチに座らせ、三人は横でその鼻歌を聞きながらバスを待った。
一日に二回しか止まらないこのバス停に、午前唯一のバスがやってきた。時間にして実に三十分は待っただろう。
「ほら、乗りましょう、三人とも」
底の知れないテンションに感化され、三人は梨乃に続いてバスに乗り込み、一番後ろの席を陣取った。
相も変わらず、間に座る少女はご機嫌だ。
「梨乃、楽しいか」
「うん、とっても。外の世界って広いんですね」
山道を下るバスに揺られ、その振動を腰で感じながら顔をほころばせた。
話し方はもう敬語が板についてしまったが、それでも以前のあどけなさがある。さらに敬語なことも相まって、どこか大人っぽい艶やかさも見え隠れしていた。
* * *
山を下っている間、他の乗客が乗ってくることはなかった。
それほどの田舎に建てられた研究所なのだが、逆に梨乃にとってはありがたかったようだ。
梨乃は双葉と席を移動しながら外を眺め、ときどきあれが何なのかと聞いてはなるほどと声を漏らしていた。
一ノ瀬と小松は、一番後ろの席でそれを見ていた。
「あれがアンドロイドだなんて、俺、今でも信じられませんよ。見た目は完全に人じゃないですか」
「そうだな。そう思うのは正しいし、むしろありがたいな」
腕を組んで誇らげに言う一ノ瀬に、小松は首を傾げる。
「本物っぽいアンドロイドを作る。それがこのプロジェクトの目的なんだから」
「なるほど……」
本物っぽいアンドロイド。その言葉を噛み締めつつ、小松は視線を梨乃へと戻す。
「わぁー……。すごい……」
流れる景色を見て上品に騒ぐ梨乃は、たしかに本物っぽいと思った。
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