4‐5.思いを明かす、壁は崩れる
「すまん、小松」
「私も、ごめん」
藤原と生田が食堂を出てその扉が閉まった直後、一ノ瀬と双葉は立ち上がって頭を下げた。
思い返せば自分にも非があると気づき、それを真っ先に謝ろうと考えていた小松の思考は停止した。
我に返ったときには、時すでに遅し。腰を下ろし、二人の弁明が始まっていた。
「たしかにお前は家族同然だって言った。でも生みの親として任された以上、俺たちにもプライドと責任がある」
「それに、あのとき一緒に食べようって言ったのは、こまっちゃんに頼りたかったからじゃないよ。普通に、一緒に食べたかっただけ」
「俺たちにとっても初めてのことだ。テンパってて、お前をのけ者みたいに扱ってたのかもしれない。申し訳なかった」
両手を机について額が机に着きそうなほど深く頭を下げ、一ノ瀬は続けた。
「俺と双葉は何回も梨乃と話をしようと試みて、それが上手くいかなくて。ようやく話せたと思ったら、梨乃は部屋に閉じこもって。さらに今朝の出来事だ。一度二人でやると決めたら、俺たちは最後までやりきる」
「だから、我がままかもしれないけど、本当に解決するまでこまっちゃんに見守っててほしいんだ」
双葉に手を握られて生まれた静寂が、二人の弁明の終わりを告げる。
思わず聞き入ってしまった小松は、心の中で頭を振って雑念を振り払い、対抗する。
「俺の方こそ、強く当たっちゃってすいませんでした……。お二人は梨乃の親だと分かってるのに、やっぱり俺は部外者なのかって、ずっと思ってたんです」
自分は二人の役にはまったく立てないのだろうか。でも二人は二人だけでやり遂げるって言っていたし、どうすればいいのだろうか。
自分の中だけで矛盾が起きていて、小松はそれをずっと抱え込んでいた。
「結局、俺は待つことしか出来ませんでした。二人が梨乃を信じて待つなら、俺も待とうって思ったんです」
小松は目を赤くして、自分の胸の内を明かした。
それを静かに聞いていた一ノ瀬と双葉は小松の方へと歩み寄り、
「ありがとな。待っててくれて」
と、小松の頭を撫でた。
いつだったか、泣く小松を慰めるために抱きしめたことがあったなと、一ノ瀬と双葉は思い出した。
* * *
小松とお互いの気持ちを打ち明け合い、三人の関係が元に戻ってから一日。前回の更新からは六日が経過し、梨乃に全てを告白してから数えると丸二日が経った。
不必要な会話は避け、料理をして部屋の前に運ぶことだけをした二日間。梨乃は部屋の扉を開けることはなく、その姿もまだ見ていない。
「そろそろ来てほしいんだが…」
「待ちましょ」
いつ精神データが調達できるかは分からない。
もちろん新しい年代の世親をインストールできればそれで一発解決はするだろうが、本質的な問題解決にはならない。一刻も早くこの状況を打破したかった。
そう思いながら、モニタもついていない真っ暗な監視室でコーヒーを啜る一ノ瀬と双葉のもとに、ちょうど待ち望んでいた声が聞こえた。噂をすれば何とやらだ。
「一ノ瀬さん、双葉さん?」
「入っていいぞ」
呼び方はまだ他人行儀だ。少なくとも元に戻るまではこの調子だろう。
社員証をリーダにかざす音が外で聞こえ、監視室の扉が開く。モジモジと居心地悪そうにしてくるかと思っていたが、彼女の顔には自信が溢れていた。
「答え、見つかったんだな」
梨乃は力強く頷く。
「見つかった。だけど、二人に確認してほしくて。本当に私の答えでいいのかどうか」
座る二人を見下ろせる位置まで近づき、一回息を吸ってから吐き出す。
「私はアンドロイド。それはきちんと受け入れる。でも、私は人間同然に扱われてきたし、そもそもそういう目的で始まったプロジェクトだってことも分かった。だから私はそれに応える。私はアンドロイドだけど、人間らしく生きる。これでいい?」
梨乃は自分の意思を一言で言い切った。それだけ強く確かなものなのだろう。
梨乃の表情は変わらない。これでいいのかと聞いたものの、自分の考えを否定されることは一切考えていない。
もとより否定するつもりも、一ノ瀬と双葉にはなかった。
「お前がそう考えてるなら、俺たちはそれが正解だと思う」
一ノ瀬は続ける。
「梨乃はたしかにアンドロイドだが、梨乃が自分でそう思う必要はない。そのままの梨乃でいいんだ。俺たちは普通の人間と同じように梨乃のことが好きだし、家族だと思ってる」
双葉が梨乃の手を握り、目を合わせる。
「私も、梨乃ちゃんともっとお話ししたいし、一緒に色んな所に行きたい。梨乃ちゃんの笑ってるところが見たいんだよ」
双葉のもう一度手を強く握られ、拍子に目から涙がこぼれた。梨乃本人はなぜ涙が流れたのか理解できず、あれ? と指で目を擦る。
「どうして? なんで私、泣いてるの?」
アンドロイドである梨乃の涙は、悲しさはもちろん、嬉しさなどの人間が泣くとされる感情が一定値を超えると涙するよう設定されている。
しかし今は純粋な嬉しさも、ましてや悲しさも感じてないのに、どうして涙が流れるのか。それが分からず、梨乃は戸惑った。
この感情はなんだろう。自分でも分からない感情が溢れる。
「おそらくは……」
慌てふためく梨乃を見て、一ノ瀬は考え込んだ。
今回の思春期の問題で、梨乃を含めたここの人たちの心境はとても複雑だった。
同じように精神的に問題を抱えている人からは、精神のデータを取ることは基本的には難しいため、データベースには今の梨乃のような精神状態は存在していない。
もし仮に存在するとしてもそれはごく少数で、それを梨乃にインストールすることはおそらくなかっただろう。
それが一ノ瀬の推測だった。
そして考えられる梨乃の感情は一言では言い表せない、人間という生き物だけが持っている感情だ。
結局どういう感情なのかの答えは出なかったが、この研究所で自分はどうすればいいのかの答えは出た。
梨乃は自分の胸に手を当て、深呼吸をする。
なんだか、体のどこかが温かくなっていくように感じた。
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