3‐5.いざこざ

 梨乃の更新から四日目。一週間の間隔で更新が行われるいつもなら、今の精神の期間はちょうど折り返しのころだ。しかし精神データがない今は、更新ができず問題の思春期がまだ続く。

 これを報告しなければいけない藤原にとっては、今までで一番憂鬱な朝だ。


 重い体を無理やり起こし、首相からもらってきた書類を持って食堂へと向かった。



 幸い、食堂には生田しかいなかった。藤原の雰囲気が明らかに違っていたのだろう。


「どうした」


 生田は食べていた手を止め腕を組み、話を聞く体勢になる。

 一ノ瀬と双葉のように、藤原と前の会社で一緒になって一緒に異動してきた生田には、更新延長の話を先にしておくべきだ。


「実は……」


 書類を見せ、首相から言われたことを順番に説明していく。内容はそこまで多くはないが、発する一言一言に生田がどう反応するのかが気になって仕方がない。

 しかし生田はほぼ無言で、時折「これは?」と表やグラフの質問をするだけだった。


「以上なんだが、どう思う」


「どうも何も、データがないなら仕方ないな。それに、私たちだけでこの問題が解決できれば良い経験になるだろ」


 生田は首相の秘書とまったく同じことを言って立ち上がった。


「全員集めるぞ。もちろん梨乃以外だ」


「ああ」


 生田は深く悩まずにすぐ行動に移す。藤原から見ればそれは尊敬できる点で、所長と副所長の上下関係は肩書だけ、それを抜きにして一緒に仕事ができる間柄だ。



   *   *   *



 梨乃を家に一人残し、研究員たちは監視室に集められた。

 生田は開始早々、何の躊躇もなしに結論だけを言った。


「次の梨乃の更新は延期になった」


「延期……? 何でですか」


「それについては藤原からだ」


 藤原の説明も二回目となれば慣れたものだ。書類を三人に見せながら、伝えるべきポイントを絞って話していく。

 最初は目を見開いて聞いていた一ノ瀬と双葉だったが、最後に藤原が締めくくるときには何かを自分たちで決めたような、真剣な眼差しだった。


「説明は以上だ。梨乃のこと、どうにかするぞ」


「はい」


 二人は返事をし、流れるように部屋を出ようとする。が、それを生田が引きとめた。


「何か策があるんだろ。二人がいいというなら、こいつも連れていけ」


「え、あ、俺、ですか」


 小松が肩を叩かれて戸惑っているあたり、おそらく生田の不意な思い付きだろう。


 一ノ瀬と双葉、小松の三人の小さな対立はまだ続いている。生田はそのことを知らないはずだ。

 三人が三人とも、居心地悪そうに相手から目を背けて俯いた。見るに堪えない状況に藤原が止めに入る。


「おい、生田。実は——」


「くだらない喧嘩はやめて話し合え。ここは私たちしかいない現場だ、張り合っても良いことなんて一つもない。そうだろう?」


 三人の視線が床から生田へと向かう。止めようと手を伸ばした藤原の手も、行き場をなくして宙で固まっている。


「なんだ、お前たちの喧嘩に気づかないとでも思ってたのか。馬鹿だな、バレバレなんだよ。隠したいならもっと上手くやれ」


 口では呆れて悪態をついてはいるが、表情と声は笑っていた。元不良だからなのか、後輩を放っておけない根は良い人、つまり姉御肌なのだ。


 一ノ瀬と双葉は目を合わせてしばらく考えると、


「今は私たちがなんとかします。だからこまっちゃん、終わったらちゃんと話そ」


 小松の目をしっかり見て言ってから、監視室から出ていった。


「さて、お前はどうするんだ」


「俺も、俺にできることないか探してみます」


「なかったら?」


「なかったら、そのときにまた考えます」


「そうか」


 小松の背中を軽く叩き、部屋から追い出す。


 下の三人がいなくなり、監視室にパソコンの冷却ファンの音だけが残った。

 自分の仕事が一つ片付いたかのように頭を掻く生田に、藤原が探りを入れる。


「知ってたのか。あいつらが喧嘩してたこと」


「いや、知らなかったよ。でまかせさ」


「お前ってやつは……。頭が上がらねぇよ」


「そりゃどうも」


 鐘が鳴った。いつの間にかもう昼だ。


「奢ってくれよ、所長さん」


「仕方ねぇなぁ……」



   *   *   *



 長い付き合いだから言えること、言わなきゃいけないこともあれば、逆に本音が言いづらいこともある。

 梨乃には、その複雑な人間関係を複雑に理解する知能はまだインストールされていない。

 だが、自分のことについて考える知能はあるのかもしれない。

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