第4章 壊すか、あるいは

4‐1.壁にひびを入れる

 一ノ瀬と双葉は、また梨乃の家のキッチンで料理を作っていた。いつもと違うのは、梨乃が自分で椅子に座り二人をじっと見ていること。

 その視線を知りながら、早まってはいけないと自分たちを言い聞かせた。

 梨乃から言ってくれるまで待つ。それが子どもを信じるという、思春期の接し方の一つだ。


「お待たせ、梨乃。腹減ったろ」


「食べよー」


 手際よく作り終えたパスタをテーブルに並べて席に着き、わざと間を開けてから手を合わせた。


「あの……!」


 その声を待ってはいたが、実際に聞くと鼓動が速くなる。平然を装って聞き返した。


「どうした? 体調悪い?」


「いや、悪くない、けど、えと……」


 だが梨乃はもじもじと、もうすぐそこまで出かかった言葉を飲み込んでしまった。


「んん、やっぱり、何でもない……。いただきます……」


 誤魔化すように目を閉じてご飯を流し込む梨乃を、二人は内心がんばれと励ましながら食べ始めた。



 午後は何も動きがなかった。

 梨乃の部屋のモニタを見ても、夕飯の時間までずっと布団の上でうずくまっている。双葉は見に行こうとも考えたが、それを一ノ瀬に止められてしまった。

 夕飯での梨乃も、昼同様に言いかけはしたが口からは出てこなかった。


「やるぞ、双葉」


「はい、一ノ瀬先輩」


 梨乃が部屋に戻ったあと、夕飯の後片付けをしながら二人は覚悟を再確認する。

 昼とさっきの様子から、もう聞いてきてもおかしくない。今夜でこの思春期の問題に決着がつく。



   *   *   *



 二人は梨乃の家のリビングでコーヒーを啜る。

 もうすぐ次の日になる時間に、梨乃は静かに降りてきた。


「どうした、梨乃」


「えと、話が」


「いいよ、おいで」


「ココアでいい?」


「あ、うん」


 一言ずつ、とても短いが、久しぶりに会話が成立した気がした。

 双葉は梨乃の前にココアを置いて一ノ瀬の横に、梨乃は一ノ瀬の向かいに座る。


 一口ココアを口に入れ、あちっと小さく舌を出した梨乃は、知らない人が見れば普通に人間だ。

 だが彼女は人工物。体こそ本物ではあるが、心は言ってしまえば紛い物だ。

 そのギャップを梨乃はどう考えているのか。自分のことをどう考えているのか。


 一ノ瀬と双葉は小さなその嘆きに耳を傾ける。


「私って、人間じゃないの?」


 梨乃はいきなり核心をついてきた。


「どうしてそう思う?」


 聞き返すと梨乃は平らな自分の胸に触れ、双葉のものと見比べた。


「体が昔から成長しない。ここも、身長も」


「そうだな」


 梨乃の言うことは真実だ。体の構造は人間と同じでも、成長はできない。

 梨乃は黙り込んだ。成長していないという自分の推測が否定されず、正しいということだからだろう。


「人間じゃない、って思った理由はそれだけ?」


 あくまで梨乃から言ってくるように促し、一ノ瀬と双葉はそれをひとまず聞くだけだ。


「毎週やってる定期更新は、あれは何? 何か変な機械を頭に付けて、薬飲んで意識を失って」


 一ノ瀬の答えを待たずに梨乃は続けた。


「更新のときの部屋と、トレーニングルームと、シャワールーム。家の外にはとそれしかない。監禁されてるみたいに。それに私、いつも視線を感じる。もしかして監視されてる?」


「そう……だな。正直に言うと、俺たちは梨乃のことを監視してる。二十四時間ずっとだ」


「っ……!」


 青ざめ、目元にうっすら涙を浮かべる。

 常に見張られていると分かれば、誰だって同じ反応をする。梨乃が本物じゃなくても、だ。

 梨乃は震える声を絞り出した。


「それじゃ、まるで……、実験台じゃない……」


 その言葉にドキリとした。研究所に来て初めて梨乃を見た小松が、「梨乃は実験台なのか」みたいなことを聞いてきた気がする。


 本人がここまで気づいていて今さら引けない。もう真実を隠すつもりもなかった。

 双葉と目を合わせてから、一ノ瀬は俯く梨乃に言った。


「梨乃には全てを話す。いいかい?」


 肩を小さく震わせたあと、ゆっくりと頭を上下させた。


「結論から言うと梨乃の言う通り、梨乃は人間じゃない。お前は、俺と双葉が作ったアンドロイドだ。見た目は人間と変わらないが、間違いなく人工物だ。もちろん体は成長しないし、胸だって大きくならない」


 アンドロイドは、微動だにせず聞く。


「さっきも言ったが、俺たちは作り物であるお前を、トイレとシャワールーム以外はずっと監視し続けている。お前の体の中にはお前の居場所が分かるGPSだって、体の状態を計るチップだって入ってる。問題が起こってもすぐに対応できるようにだ」


 胸の締めつけを振り切って、でも、と一ノ瀬は続けた。


「俺たちはお前のことを機械だと思って接してない。普通の、本物の人間だと思って接してる。これだけは分かってほしい」


 言い終わったあと、聞いていた張本人と隣の双葉は下を向いて嗚咽していた。


 一ノ瀬は涙を誤魔化すようにコーヒーを口に含むと、真実を告白し昂って火照った体に冷たさと苦さがひどく沁みた。

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