3‐4.所長には所長なりの

 山奥の研究所から都内のプロジェクト本部まではかなりの距離がある。車だと少なくても三時間はくだらない。

 一番近い店まで一時間かかる上に、近くまで来る交通機関は午前と午後の一日二回のバスのみだ。しかもそこから山道を数十分歩かなくてはならない。

 だからこそ施設は充実しているし、何不自由なく生活ができる。いちいち帰る必要もない。


 これは研究員全員の常識だ。


 所長である藤原はそんな旅路を出張の度に往復しているが、今回は出張ではなく自ら本部に出向いた。

 静かに研究所を出ていった藤原を不思議に感じた生田は、彼のスケジュールを漁って確認したが、それらしい予定は全く入っていなかった。


 他の三人にも聞いてみたが、やっぱり出かけるようなことは言っていなかったらしい。

 連絡を取ろうとも考えたが、運悪く藤原は携帯を研究室に忘れてしまっていた。念のためメールも送ってみたが、車の運転中じゃ見れないだろう。

 藤原も自分が心配されているとも知らず、車で本部へと向かっていた。



 四人は気にしながらも仕事をし続け、体調が優れないという梨乃の意見を汲んで四人は食堂で夕飯を食べることにした。

 しかし夕飯を終えても藤原は帰ってこず、下の三人は部屋に戻ってしまった。


 生田が一人、電気を一つだけ付けた薄暗い食堂で待っていると、そこへ藤原が帰ってくる。


「どこ行ってたんだ。本部か?」


「ああ」


「大丈夫か。何があった」


「いや、何でもない」


 平気だと生田を軽く跳ねのけるが、どうも釈然としない。表情もいくらか暗い。


「本当に大丈夫だ。すまん、今日は疲れたからもう寝る。お疲れ」


 何かを隠すように、藤原は自室に向かった。


「上に何を言われたんだ……?」


 藤原の背中を見ながら考えを巡らせる。

 今さら経費削減か何かでプロジェクトが解体される、なんてことはさすがにないだろうが、他に思いつくことといったら、梨乃の思春期のことくらいしかない。

 今日の藤原の行動が裏目に出なければいいが、と嫌な予感をまた抱きながら、生田も自室へと戻っていった。



 ベッドに寝たのはいいが眠れずにいた藤原は、その嫌な予感のことを考えていた。


「更新延長、か……」


 プロジェクト本部、つまり首相官邸に赴き、直接石田と会って今回の件を報告したわけだが、報告を聞いていた石田は、ときどき秘書である津田に小声で何かを伝えていた。

 藤原はそれに聞き耳を立てる余裕はなかった。

 この件でさらに大きな問題が起これば、最終的な責任の所在は現場監督である藤原になるからだ。報告はもちろん現場指揮も慎重にいかなければいけないのは重々承知している。


「——以上で報告終わります」


「ああ、ありがとう」


 一礼して、体を翻す。しかし報告が終わって安堵したのも束の間。


「藤原くん、ちょっと待ってもらえるか」


「? はい……」


 部屋を出る直前に石田に呼び止められ、もう一度座ってくれと手招きされた。

 何か問題が起こってしまったのかと血の気が引いたが、もう逃げも隠れもできない。

 恐る恐る、用件を聞きだす。


「えっと……、どうされました……?」


 石田は津田から書類を受け取り一読してから、真ん中の机にサッと放り投げた。

 藤原は石田の顔を窺いながら、ゆっくりその紙を拾い上げ、目を通した。


「定期更新の、延長……?」


「安心してくれ。君たちに非はない。むしろ私たちや国民にある」


 二枚目を、と言われるがまま一枚めくると、グラフやら表やらがびっしり書き込まれていた。色々なデータも一緒に載っている。


「見てもらえると分かるように、思春期直後の精神データの数が圧倒的に少ない。そのせいで初号機は、次の定期更新を先伸ばしにすることになった」


 グラフを見るとたしかに、他の年や時期に比べて二分の一ほどしかない。


「こんなに少ないのはなぜなんです?」


「思春期のころは親が無理やり精神測定に連れて行くこともあるから、それなりにデータの数あるんだろうな。でも思春期が終わった直後は、親が子どもに対して直接何かをすることは少なく、測定には行かない。だが時間が経てばまた精神測定に行くようになる。その時期だけ精神データの数が極端に少ないのは、そういう経緯らしい」


 梨乃の精神は元々国民から生み出されたものだ。そういう問題が起こる可能性はあるだろう。


「安心してくれ。その年の子どもにはキャンペーン企画のようなものを打ち出すつもりだ。まだ決定はしてないが」


「次の更新はいつごろになりますか」


「分からない。いくら画期的なものを生み出したところで、最後に行動するのは国民だからな」


 石田の言うことはもっともだ。

 梨乃のことを考えると、今すぐにでも次の段階の精神が欲しいが、事情を聞いてしまったからには、そんなことは口が裂けても言えない。


「初号機と君たちとの関係がこじれたままの状態が続くことに、当然メリットはない。今後の研究にも影響があるからな。思春期の問題の解決は最優先事項だ」


 石田は書類を拾い上げ、何枚かめくってグラフのページを開ける。


「しかしデータがなければ精神の更新もできないのは事実。直接初号機と接している君たちにがんばってもらうしかない。もちろん私たちも、この問題解決には全力を尽くす」


「分かりました……」


 半ば追い返されたような感じになり、藤原は重くなった腰を上げる。

 そこに津田が、あるいは、と一言付け加えた。


「現場だけで解決できれば、初号機にとっても、藤原さんたちにとっても、良い経験になると考えます」


 軽く聞き流すだけに留まる。

 出しゃばったのを注意されたのか、津田は石田に頭を下げている。藤原はそれを横目で見ながら部屋を出た。

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