第3章 初めての壁

3‐1.厄介な思春期

 新しいデータを体に馴染ませるため、データの更新後は実験室の隣にあるトレーニングルームで軽い運動をする必要がある。


 初回から順に、年に合わせたサンプルデータをまとめて更新し続け、十回目となる今回はちょうど思春期のころに設定した。そのせいか、梨乃は一向に動こうとはしなかった。


「梨乃ちゃーん。一緒に遊ぼー」


「……」


「あ、これ面白いよ! 見て見て!」


 双葉は負けじと誘い続けるが、部屋の隅に縮こまりそっぽを向いてしまっている。

 思春期の子どもを直に体験すると、想像以上に心に来るものがある。


「更新直後はそうでもなかったが、少し歩いただけでこうも変わるのか」


 子どもの成長はあっという間ということはよく聞く。

 梨乃はそういう設計にはなってないが、データを更新するうちに新規データに馴染みやすくなったのかもしれない。


「先輩、もう無理です」


 ついに折れた双葉が遠くで見ていた一ノ瀬に助けを求めるが、一ノ瀬も一ノ瀬で、梨乃を動かす良い案が思い浮かばずにいた。


「そっとしておくのが一番でしょう」


 頭を抱える二人の間に割り込んできたのは、小松だった。


「知ってるような口ぶりだな」


「知ってるも何も、俺、妹がいますから。思春期真っ只中の女子の扱いはそこそこ慣れてますよ」


「へぇ」


 小松の意外な一面を見ることができた驚きもあってか、三人はそっとトレーニングルームを出た。

 そして向かったのは監視室。


「ね、一人でやり始めたでしょ」


「ほんとだ」


 モニタに映るのは、ランニングマシンの上で走る梨乃と、彼女の心拍。細かく息を刻みながら、心拍も徐々に上がっていた。


 さすがにシャワールームや更衣室まではないが、梨乃が利用する場所のほぼ全ての部屋に監視カメラが付けられ、さらに彼女の体には、心拍や脈拍を計れるチップが組み込まれている。

 本体も研究所も、二十四時間体制で梨乃の管理ができるように設計済みだ。


 梨乃には監視していることは言ってないが、しかし思春期に設定したからには気づかれるのは時間の問題だろう。


「難しい年ごろだな」


「そうですねー」


 一人黙々と汗を流す少女を見ながら、一ノ瀬と双葉は自分たちの課題を見つけたのだった。



 *   *   *



 別の作業をしながら監視を続けること一時間、トレーニングを終わらせた梨乃がシャワーを浴び、報告をしに戻ってきた。


「終わった」


「お疲れ。体におかしなところはないか?」


「ん」


 梨乃は短く鼻で返事を済ませ、研究室の中に建てられた実験用の家の自分の部屋に戻ってしまった。


「ちょっと変わりすぎじゃないですか?」


「俺もそう思った」


「なんか寂しくなりますよね」


 前回の更新が小学校高学年の設定で、少し高度なイタズラをしたかと思えば、優しくしたらまだ甘えたがる感じだった。

 年だけ考えれば三、四歳の差だからそこまで大幅な修正はないはずだが、何かしらの設定を間違えた可能性もなくはない。


「梨乃が部屋に戻った隙に緊急会議開くぞ」


「了解でーす」


 少し早めに昼休憩を取っていた藤原と生田も監視室に呼び戻し、今回の定期更新の反省会が急遽始められることになった。


「ステータスを設定したのはあたしだ。指示書通り、中学二年女子のデータベースから引っ張ってきたやつを設定した」


「性格は?」


「前よりは真面目なやつだ。ここにもそう書いてあるしな」


 ほれ、と、上層部から出された定期更新の指示書を机に広げる。


 国が裏で保管する国民の精神データベースは年や性別、性格ごとに細かく分類されているらしく、梨乃の更新をするときはそこから選び出してインストールしている。

 つまりは人間の精神レベルの情報を集めた図書館みたいなものだ。


「生田さんが言う通りのもので間違いないですね。中学二年生の女子で、性格は前よりも真面目なもの」


「性格に関しては、おそらく夜更かしが効いてるっぽいな」


 定期更新の前日には、前の梨乃の状態を報告しなくてはならない。前の莉乃を踏まえたうえで次の梨乃をどうするのかを、上層部が決めているらしい。

 前の更新でゲームを初めて知った梨乃は、夜通し布団に隠れてゲームをしていた。それを矯正するのが今回の更新の目的なのだろう。


 双葉はそこに疑問を投げかけた。


「矯正するなら何で中学二年生なんでしょう。素直になったところで、思春期なら反抗はすると思うんですけど」


「それなんだよ。夜更かしを止めさせたいなら、年齢は同じままで性格だけ変えればよかったんだ」


 さすがに藤原も首をかしげる案件だった。

 悩んでも仕方がないと開き直った生田は腰を持ち上げ、


「この件に関しては、親である一ノ瀬と双葉が決めるんだな。本当の子どもだと思ってどうにかしてみてくれ。考えてみてもいい年だと思うんだが」


 と、軽く口角を上げながら意地悪気に言って部屋を出ていった。


「そうだな。ついでに小松も一緒に考えてやれ。昼飯の途中だからもう戻るぞ」


 藤原もしめたと言わんばかりに、生田のあとを追って部屋を出ていく。


 残された三人は、一瞬の出来事に言葉を返す暇もなかった。責任者二人に厄介ごとを丸投げされ、小松に関してはそれに巻き込まれたようなものだ。


 監視室に、鈍い音が響く。


「今の、俺の腹」


「昼食べますか」


「そうだな」


「あ、じゃあ今日は私が作りますね」


 会議など名ばかりに、すぐに重い空気は消え去る。

 三人はダラダラと、梨乃がこもっている家へと足を運んだ。

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