2‐5.のしかかる責任

 次の日朝食を取っていた小松は、出張から帰ってきた研究所の所長藤原とようやく顔合わせをすることができた。


「所長の藤原だ。分からないことがあったらここのメンバーに聞いてくれ」


 小松が抱いた第一印象は、優しそうな人。普通に仕事をしていれば、二人を除いて特に大目玉を食らうようなことはなかった。

 研究所のメンバーが全員揃い、そこから丸二日、梨乃は水槽の外に出されて何本ものコードにつながれ、最終調整と初期データベースのダウンロードを行った。



 いよいよ梨乃の目覚めのとき。

 世界初のアンドロイドが生まれる、歴史的な瞬間だ。


「ん……」


 目を開き、きょろきょろ周りを見回す。ロボットのようなぎこちなさは見られない。精神状態も安定している。


「はじめまして。一ノ瀬、と言います」


「い……え……?」


 ただ、小さく開いた口からは、言葉にならない声だけ。


「喋るのはまだ厳しいよな」


 ダウンロードしたデータは人間の赤ちゃんのころ、乳児のステータスだ。話し方はもちろん、感情や記憶もその年に合わせて設定してある。

 そのことに関して、小松はふと疑問を抱いた。


「赤ちゃんの感情とか記憶とかって、どうやって設定してるんですか? まだ完全には解明されてないと思うんですけど」


「たしかに赤ん坊の頭ン中は把握できない。自分で情報を発信できないからな」


 答えたのは、後ろで作業を見ていた生田だ。腕を組んで鋭い目つきで一ノ瀬たちを睨みつけ、現場の指揮を執っている。


 小松は生田に近寄り、質問を続けた。


「じゃあどうやって……。まさかビッグデータとかじゃないですよね」


 ビッグデータは、文字通り大量のデータのことだ。

 しかしただ単純に大量ではなく、リアルタイムで更新される情報を解析して今後の世の中に役立てる、という目的があって収集されている。


 ダメ元で言った答えは、偶然にも的中した。


「正解。この研究所に来ただけはあるな」


「でもそれって、相当なスペックが必要じゃ……。それに手間もかかりますし」


 無作為に乳児を選び出し脳の信号を読み取るパッチを一人ひとりの頭に張り付けてデータを取って……なんてことをしていると、時間も費用も膨大になる。

 しかも、アンドロイドが生身の人間の乳児らしく振る舞えるようにするためには、普通のビッグデータと比べて量も質もかなりのものが必要になってくる。

 そうなれば解析にも時間と能力が必要なわけで、マシンのスペックは並大抵のものじゃ対応しきれない。


 だが小松が抱くそんな懸念も、生田がことごとく捻じ曲げるどころか、さらに上をいく回答を吐き出した。


「このプロジェクトな、実は政府が起ち上げた、いわば国家プロジェクトなんだよ。それもこの研究所丸ごとだ。だからデータに関しては別に問題じゃない。何せ国が集めてるんだからな」


 小松は異動のときの書類を思い出した。国家プロジェクトなら、首相の印があってもおかしくない。


「『富岳ふがく』も使えるってことですか」


「当然」


 世界最高峰の処理性能と安定性を誇る、神戸市に設置されたスーパーコンピューター、『富岳』。


 スパコンが設置されているところはたくさんあるが、『富岳』はそれ自体が国家プロジェクトとして研究され稼働していて、他の国家プロジェクトの計算に使用されることもある。

 例えば巨大地震の発生場所や時期の予測や、人工衛星が収集したデータの解析に使われたなどの事例がある。


「それにデータを集めるのだって、全国の病院で取ったデータをもらってるんだ。公には公表してない、裏プロジェクトだよ」


 小松は再び思い出す。

 最近ニュースで報道されていた、人間ドックの新制度。大人のみならず、乳児や子どもも行うようになった。

 中でも特に変わったのが、検査項目に脳波による精神測定が追加されたこと。いくつかのサンプルを提示して、そのときの精神状態を測るものだ。

 他の検査項目と違い、乳児でも問題なく受診できるのが一番の特徴だろう。


「人間ドック、俺も大学に受けるように言われました」


「表ではそれっぽい理由をつけて精神の測定もしてるけど、本当は梨乃のためのデータだ」


「プライバシーとかいろいろ問題はあるはずなのに、大丈夫なんですか」


「国が使っていいって言ってんだから、ありがたく使わせてもらってるのさ」


 コードを外しておぼつかない足取りで歩き回る梨乃を見て、小松は新人ながらに責任が重くのしかかってきたのを感じていた。

 裏ルートで得たデータを使う以上、その責任は全員に、今も変わらずのしかかり続けている。

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