6月

36.静観

誰が死んでも驚きはしない

誰もが死ぬのだから驚くには当たらない

死は前もって事前に知らされた出来事でしかない

いつどこどうやって――それだけが秘密にされているというだけの話

その秘密を暴ければ自らの死すら簡単に受け入れられるのかもしれない

「とうとう来たか」と「待ちくたびれたぞ」と言いながら死ぬ事も出来るかもしれない


結局誰が死んでも「そう・・・」の一言で済ませられる筈だと思う

やっぱり誰もが死ぬという事は分かっているのだし

ふとふいに死を意識する方がおかしい気がする

結局やっぱりなんだかんだ言って死を恐れたり何たりするものなら

いつかか今か明日か明後日かにどこぞの誰が死んでも驚くべきではないと思う

ましてやその死に方に対し何かしらの感情を抱かずにはいられないのだとしても

その感情を言葉にするなどという事は賢明ではないと考える


結局やっぱりなんだかんだ言ってでもそれはそれとして

「そう・・・」の一言で済ませられる死など人類史上なかったと信じたくはある

「そう・・・」では悲しみを表せられていないと思うし

「そう・・・」と言った後に流せる涙などないと思うから・・・

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