第3話出来事はいつも突然に。でも必ずしも恋が始まるとは限らない


瞼の裏に鮮明に浮かぶ情景達。

かつて経験し、心の奥底に閉ざした、たった一人の物語。

浮かんでは弾けるように消えては、また浮かぶを繰り返すその様は、まるで泡沫の幻のよう。


薄暗い牢獄の壁。

屍と流血の広がる荒野。

意味もなく殺されていく集落の人々。

人々の怯えを孕んだ眼差し。


自分神月帝の中に確かに存在する何かが、変質していく。

憎悪に、憤怒に、虚無に、狂気に、絶望に。


身体が優しく揺さぶられる。

誰かが、俺を呼んでいる声が聞こえているような気がする。


「おはよう御座います、目が覚めましたか?」


微かに覚醒した意識がヴァルケンを認識する。

ヴァルケンは白いハンカチで、俺の右の瞼を拭いているようだ。どうやら、睡眠時に涙を流していたらしい。


「何か恐ろしい悪夢でも見ていたのですか?」

「……覚えてないな」


優しく問いかけるヴァルケンに、僅かに間を空けて答えになっていない答えを答える。

まだぼんやりする頭に左手を押し当てながらベットから起き上がる。

タチの悪い赤錆のように、脳にこびりついた記憶を追い払うかのように、無意識に何度か頭を振る。


「そろそろ出発の御時間です。準備は昨晩終わらせておりますので、着替えをなさってください」


ヴァルケンはそう言い残し、一礼をして部屋から去っていく。

着替えなど、そう難しくはない。

クローゼットを開け、新品の制服を視界に入れる。寝間着と制服だけを入れ換えるかのように、それぞれを転移させれば即座に終わる。最早、着替えとすら言えないかもしれない。

クローゼットに取り付けられた鏡で確認するが、至ってありきたりな制服だ。

黒を基調とし、左胸には校章が縫われている学ランと黒のスラックスだ。


何度か鏡を見ながら姿を確認し、一階まで降りるとヴァルケンは既に居らず、ガレージからエンジン音が響いている。近所迷惑にならなければいいが。

テーブルに置かれている鞄を持ち、ガレージまで行くと鳴り響く音源である黒光りしている巨体が目に入る。高級住宅街にして異質な車両。


「どこから、リムジンを持ってきた?」

「今朝、聖王協会から鍵と一緒に届きましたよ」


呆れてヴァルケンに問い掛けるが、返答を聞き、更に呆れたため息を吐き出す。確かに、ジョーカーからの手紙に書いてあったような気もする。

思わず、少々過保護と言うか心配性な育ての親の顔を思い出しながら、苦笑いを浮かべる。本日中学を卒業する未成年に、リムジンの新車を贈る保護者は世界中を見て回っても、そうそういるまい。どこぞの石油王とかもやっていそうだからゼロではないかもしれないが、片手の指の数で足りる。


「ヴァルケン、そろそろ行こうか」

「ええ、そういたしましょうか」


黒塗りのリムジンが街を行く。


街は社会人達の波により活気づき、喧騒と静寂が入り乱れる。数十、数百の人々がそれぞれの服装で、それぞれの目的地へと足を運ぶ。


ある学生は学校へ。

ある社会人は職場へ。

また、ある就活生は面接会場へと。

彼らの表情は何の感情も浮かんでいない。それもそうだろう、何度も幾度も繰り返してきた、面白みの欠片もないルーティーンなのだから。


そんなありきたりな毎朝の光景を、一瞬でありきたりではない光景に変える一台のリムジン。

彼らの顔には驚愕が刻まれ、まるで強制的に一時停止されているかのように身体の動きを止め、好奇と嫉妬を宿した視線だけが追いかけてくる。

人によるのだろうが、そのような視線を向けられる側としては、あまりいい気分ではない。少なくとも、俺の個人的な意見ではあるけれど。

車窓からの景色は、某テレビ番組だけで十分だ。


俺は面白くもない景色を上の空で眺めながら、ヴァルケンに尋ねる。


「やっぱり、朝っぱらの通勤ラッシュ時にリムジンは不味かったかな?」

「何故です?」


ヴァルケンは運転席から顔の向きは変えず、バックミラーを介して最後部で座る俺に視線だけを向ける。その表情には、いつもと変わらず微笑を浮かべている。


「何故ですって、目立つだろ?変に騒ぎを起こして注目されれば面倒だ。そのくらい、分かってるだろ?」

「そうですね。ところで帝様」

「どうした?」


ヴァルケンは俺から視線を外し、ブレーキをかける。慣性の法則に従い、身体が前方へと押しやられるが、シートベルトがある程度を相殺する。


「リムジンにはいろいろと機能があるようですが、利用なさらないのですか?」

「場違いすぎて落ち着かない」

「そうですか」


そもそも、このリムジンの送り主がジョーカーである以上、普通の車両ではない。それに、チョイスがリムジンであること事態が普通ではないが。

普通ではない点を挙げていけば、広さがおかしいこと、何故か二階へと続く階段があること、座席が全てブランド物のソファーであること、足元が毛皮であることなどがある。だが、残念ながら俺はそもそも、ブランドにそこまで興味はないし、毛皮についてはあまりいい印象を持っていない。ジョーカーは良かれと思っているのだろうが、どちらかと言えば反対派だ。


「後、五分ほどで到着します」

「そうか。じゃあ、ここで降ろしてくれ」

「かしこまりました」


ヴァルケンは有無を言わず、車を左に寄せて停車する。


「行ってらっしゃいませ」

「ああ、行ってくる」


ヴァルケンの開けたドアから顔を出せば、学生と保護者達の注目の的になっていた。車で五分の場所に誰も居ない訳がないのだが、少し油断していた。窓の外を一切目にしていなかったことも原因だろう。

それ以前に、黒塗りのリムジンから燕尾服を着た美丈夫が出てこれば、注意を引くことは自明の理だろう。つまりは、俺の無用心が招いたことだ。反省しよう。


リムジンから降り、学校へと向かう。その速度は速い。

スラックスの右ポケットから一枚の紙切れを取り出す。書かれているのは、自分の入るべき教室と座席だ。

教室は3年13組。下駄箱正面の階段を昇り、三階の一番奥の教室のようだ。座席は、最後列の右端。登校初日にして卒業である俺には、当然友人もいるはずはない。悪くない。なかなかいい席だ。


私立赤橋中学校と書かれている正門では、友人達と雑談しているのか人波が小波さざなみのように引いては満ちてを繰り返す。非常に邪魔だ。超能力を用いて校内入ることもできるが、見られるか気付かれたりしたら面倒だ。

結局、人と人の間を縫うように進み、下駄箱へと向かおうとしたが──


「アレ?下駄箱ってどこだ?」


人波を潜り抜けたが、下駄箱の場所が分からない。ヴァルケンが入れたであろう紙切れにすら書かれていない。

そして、卒業式の日に下駄箱の場所を聞く気にもなれない。ジョーカーの力で、俺のことは詳しくは知らないけれど、確かに三年間いた気がする、と記憶の上澄みと深層に少し挟み込んでいる状態であるため下手な行動を起こせば、校内に魔術に耐性が高い一般人が、もしいたのであれば厄介だ。


「不味いな、迷子だ」


辺りを見渡すが、周囲に下駄箱は見当たらない。

見つかるには見つけたのだが、横開きのドアに白いスプレーで大きく「教・職・員」と書かれていたので無言で数歩、後退った。生徒よりも教職員にいろいろと問題がありそうだ。


「君、もしかして迷子なの?」


声のした方向を振り向くと、一人の少年が立っていた。

僅かに見下ろす程度の背丈に、華奢な体格。顔には人懐っこい笑みが浮かんでおり、中性的な顔立ちも手伝ってか可愛らしい少女にも見える。


「……まあ、そんな感じだな」

「へぇ、卒業式の日に迷子だなんて面白いね」


俺は包み隠さず迷子であることを告げた。迷子だと聞いてきた以上、ある程度は観察されていたのだろう。そして、例え中学生であったとしても、挙動不審な行動をしていたのならば誰だって警戒する。

要するに、あまりにも落ち着きがなく、周囲を絶えず見渡していたのだろう。それを目にしたこの少年がわざわざ声をかけに来たのだろう。


「下駄箱がどこにあるか分かるか?」

「下駄箱は……説明が面倒だし一緒に行く?」

「いいのか?」

「勿論!」


俺は多少の歪みを感じるが、少年に付いて行くことが最適であり、最も楽である以上異論はない。


「名前は何て言うの?」

「神月帝だ。お前は?」

「僕は白凰優馬はくおうゆうまだよ。……神月帝?もしかして、僕のクラスの?」


少年──白凰は、首を傾げながら質問してくる。刹那、眉をひそめたが、即座に先程までと同じ微笑みを見せる。


「そうそう、俺だよ俺!俺なんだよ!」

「そうだよね!神月くんだよ!」


案外、チョロいな。


この学校で俺がどういう扱いなのかを知らない以上、様子見も必要なのだが、オレオレ作戦で大抵何とかなるような気がしてきた。

廊下を歩いても、二度見、三度見、四度見、多い場合では五度見までならあるが、大丈夫だ。現時点では、正面きって何かを言われることはない。

教室に入っても同様だ。鞄を机に掛け、うつ伏せになり、寝たふりをする。これで、何を話しかけられても寝ている演技をしていればいい。完璧だ。

この赤橋中学校の生徒と教師は俺については知ってはいるがただそれだけという認識しかしていない。クラスメイト達(仮)も、敢えてわざわざ話しかけたりはしないだろう。


いつの間にか意識は遠のく。

いつしか、寝た演技から本当の眠りへと変わる。






とある超能力者が熟睡して間もなく。


「ねえねえ、優馬くん」

「どうしたの?」

「優馬くんと一緒に入ってきたアレって、ずっと不登校だった神月帝って奴よね?何で今更来たの?」


帝を指差し嘲笑するのは、髪を茶色に染めた化粧の濃い少女。俗に言うギャルだ。

本日は卒業式ということもあり、多少の化粧は認められてはいるのだが、流石にやりすぎたと誰もが感じるだろう。


彼女は、白凰にしなだれかかり甘えるような口調で話す。白凰の周囲にいる他の女子達から

言葉にはならない怒気がヒシヒシと伝わるが、彼女には全く効果はない。むしろ、見せつけるかのようにきつく抱きつく。

彼女は、クラス内のカーストで最上位にいるのだから、クラス内で自分に逆らう人間はいないと信じて疑わない。

つまりは、誰よりも自分が上の存在だという優越感に浸ることで自己満足を得ている。白凰に甘えているのは、そのついでだ。校内で最も女子からの人気が高いが故に、自らのアクセサリーとして、近くにいるだけ。たったそれだけ。


「少し近いよ、瑠奈」

「えー、いいじゃん」


白凰が瑠奈と呼んだ少女を少しばかり離れるような体勢をとり、周囲に女子達は安堵の表情を見せる。


白凰が熟睡している帝を見ると、興味深げな表情を浮かべながら開口する。


「彼、上手く認識できないね。何でだろう?」

「影が薄いからじゃないの?ほら、誰ともつるんでないし。どうせ、寝たふりよ。少し苛める?面白そうだし」

「止めときなよ。彼はいい人だし」

「何よ!アレの肩を持つの!?」


語気を強める瑠奈に呆れたような視線を向けた白凰は、同意を示さず首を横に振る。


「じゃあ、何で!?」

「勘だよ勘。ただの勘だけどね」


楽しそうにケラケラと笑う白凰に瑠奈は面白くなさそうな表情を向ける。


面白くない。何故なら全てが自分の思い通りにならないから。

面白くない。何故なら全てが自分より格下の存在であると証明できないから。

面白くない。何故なら全てが自分が楽しむための道具ではないから。


瑠奈は帝に底の見えない悪意を向ける。

同時に、悪意を感知した帝の奥底の怪物も目覚める。だが、寝たふりは継続したままだ。


瑠奈は帝へとゆっくりと近付く。

その手には、冗談で持ち運んでいるジッポーライターとサバイバルナイフがそれぞれ握られている。

本来ならば、見つかった時点でそれ相応の処罰が下されるが、彼女にはその心配はない。

彼女の本名は赤橋瑠奈。

私立赤橋中学校の理事長の溺愛する愛孫。故に、仮に相手が明確な被害者だったとしても、最終的にはどうなるかは分からない。

だからこそ、その嗜虐性な性格は増長しては、改善されることはない。


一歩、また一歩と近付く。

同様に、獲物に近付くにつれ笑みが歪む。

少年神月帝少女赤橋瑠奈、どちらが獲物で捕食者なのか。


「神月、アンタさぁ、調子に乗ってんじゃないの!?」


瑠奈が大声で教室中に響き渡る程の声量で喋るが、帝はピクリとも動かない。

今度は気持ち良さそうな寝息が教室中に響く。

沸騰値があまりにも低い瑠奈は、正に堪忍袋の緒が切れた。周囲に注目されていることもあり、他者から下に見られることや馬鹿にされること、虚仮にされることを最大の屈辱に感じる瑠奈は更なる行動を起こす。


白凰はその光景をただ黙している。

彼の本性は、帝が一目で感じた歪みその物。

それは、他者を気づかせぬ内に、最大の価値を発揮する瞬間に利用する。ただこの一点に限る。

赤橋瑠奈も白凰を利用しているようで利用されている。最も困窮した瞬間に助け、自分の所有物として我が物とする。そのために、瑠奈を誘導し対象を苛めの的とし、その後助ける。この繰り返し。

周囲に侍る女子達は全員同じだ。

女子は侍らせ、男子は使い捨てる。これが白凰優馬のやり方。誰もが気付かないように上手く誘導する謀略の天才。

だが、純粋な悪巧みなら帝とは次元が違う。故に、本性を即座に見破られたことにも気付いていない。

瑠奈にも負けないであろう歪んだ笑みを右手で隠し、帝を観察する。白凰は、帝が無様に泣き言を吐き出してから助けようと心中で決めた。






「神月、アンタさぁ、調子に乗ってんじゃないの!?」


起きたらいきなりこれである。意味が分かんない。

状況の説明をしてほしいのだが面倒だし、寝たふりを継続する。

狂人を見かけたら無視するのが鉄則だと刑事ドラマで誰かが言っていた。


「アンタ、いい加減にしろよ!私が話してるだろうが!人が話してるんだから聞けよ!」


コイツ、冗談抜きで関わっちゃいけない感じのタイプだ。

そもそも、寝てる相手に怒鳴るとかどういう神経しているのかが気になる。昨晩、「実録!現代社会に蔓延るモンスター!」というドキュメンタリー番組を不意に思い出すしたのだが、もしシリーズ化したら、名前が分からないがこの女子生徒を出せばいいと思う。


直後、教室が巨大な魔力の発生と共に、金色こんじきの輝きが支配する。

急いで、光源を確認する。

それは見覚えのある魔術陣。聖王協会の並の幹部でさえ目を通すことを許されない禁書に記された刻印。そして、かつて一度巻き込まれた儀式。


直径五メートル程の円に、六角形と曲線、そして小さな円が幾重にも重ねられた幾何学的な紋様。


「世界強制排除魔術陣かよ!」


思わず口走る。


この魔術陣は円の外に出たところで意味はない。教室内の光が強まる。視界の確保すら困難な程に。


『主を助けよう』


脳内に優しくも妖艶で凛とした声が響く。

久しぶりに聞いた声だ。


光が少しずつ弱まり、瞼を開ける。

そこにいたのは──


「貴様は何者だ!」


レイピアを俺の首筋へと向ける銀髪の美少女。


この時は思いもよらなかった。

これが発端で異能力者の世界へと再び舞い戻ることになろうとは。

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