第2話あれから何か変われただろうかとか言っとけば、なんだか成長したように感じる


第八次妖魔大戦が終結してから、約五年の月日が過ぎた。


過去最大とも謳われた人類と妖魔の大戦は無事に人類の勝利となり、俺達はそれぞれの道を進んでいる。


ジョーカーは相も変わらず聖王協会の頂点に君臨し、組織を纏め、エンシェント・ドラグーンは未だに前線で危険度の高い妖魔の退治、和尚は前線を退き後世の育成。

そして俺は、聖王協会を抜けジョーカーの手助けもあり、普通の一般人として生活している。いや、この言い方では少し誤解があるだろう。


俺は聖王協会から抜けたのはいいが、その先の未来を一切考えていなかった。そのため、抜けた直後に人生に行き詰まった。「アレ?格好つけてやめたけどこの先どうしよう?」と脳内でプチパニックを起こし、考え付いたのが故郷に帰り、ごくありふれた一般人としてトラブルから縁のない人生を送ろうというもの。貯金も自分で稼いだ分とジョーカーからの餞別を合わせれば、遊んで暮らせる程はある。

現在はジョーカーの用意した東京の地下室が設置されている三階建ての一軒家で暮らしているのだが、一人で暮らしていくのには非常に広く感じられる。実際に広い。

だが、今では三人もの同居人がいる。

彼らとの出会いは俺が聖王協会を抜けて、三ヶ月後のことだった。


話を一言で纏めると、俗に言う異世界召喚というものに巻き込まれたのだ。

巨大な城に俺の許可なくいきなり召喚され、自称国王の爺さんが魔王を倒してくれと頭を下げてきたのだ。

召喚されたのは俺だけではなく、日本の学生──高校生くらいだったと記憶している──もおり、リーダーシップを取っていた男子生徒が話を拗らせ面倒なことになった。その男子生徒曰く、困った人を助けるのは当然の義務であり、自分達は勇者としての力があるからきっと大丈夫!らしい。

もう見てられない状況だったのだが、俺一人で地球に帰るのも流石に罪悪感を覚えたため、翌日、頭部から二本の捻れた角を生やした自称魔王のオッサンを叩きのめし、別世界へ放り込んだ。

そして、何事もなかったかのように王宮へと戻り、しれっと地球に帰ろうとしたのだが、更にここで問題が発生。自称国王曰く、どっかの水晶のどっかの封印が解け、どっかのラスボスが目覚めたというのだ。原因は恐らく、俺が自称魔王のオッサンを別の世界へと強制送還したことだと推測した。

原因は俺である以上、そのラスボスの確認に行ってみると──


「ねえ、何で封印解けちゃってる訳?ボク、働きたくないよ!」

「全くだ!拙者は動く気にもなれん。ちょっとそこの少年、起き上がりたいから手を貸してくれ!」

「私達は、人々に迷惑をかけないように自らで封印していたのですが……」

「……そうですか。生きるのに面倒になったようにしか見えませんけどね」


自堕落なラスボスが暇そうにしていた。


その後一悶着あったが、結局彼ら(異世界のラスボス)を地球へ連れ帰ることとなった。


そして現在に至る。






早朝、顔を出した太陽の煌めきが新たな一日の始まりを告げる。


いつも通りの時間にいつも通りのベットで目を覚ます。

部屋を見渡せば、勉強机に椅子、照明にカーテンなどの最低限の物しか視界に入らない。壁に立て掛けられている振り子時計を見れば、五時を僅かに過ぎたばかりのようだ。

両手を上方に伸ばし、大きく口を開けてあくびをしながら伸びを行う。

本日は、三月に入った初日。朝方は、冷気が身体中を突き刺し、あらゆる意欲を削ぎ落とす。その冷気を布団でかろうじて防ぎ、身体をくるめる。春分の日はまだまだ先ではあるのだが、俺と同じように気分は既に春一色である人も少なくないだろう。


ノックの軽快な音が三度、室内に響く。


「お早う御座います、帝様。朝食ができましたので参りました」


部屋に入ってきたのは燕尾服を身に纏った長身の青年。

黒い髪をオールバックにし、両手には白い手袋をはめており、その容姿は硬派な美男子という印象を受ける。黒い瞳には力強い意識を感じさせ、同居人の中で唯一礼儀正しい彼は、異世界のラスボスの一人。

龍神、ヴァルケン。

本人が言うには、戦闘能力は皆無に近いと自白していたが、そんなことはないだろう。

そもそも、異界を容易に滅ぼせる程の力がなければラスボスではないというのが持論であるし、他に二人もラスボスが我が家に居るのだが、明らかにヴァルケンに対して大きく出ない。このことからも、彼らの間での力関係を察することができる。


ヴァルケンが布団を引き剥がす。

即座に冷気の猛威が身体を覆い尽くす。

起き上がる気力がない俺は、身体を丸めることで寒さを防ごうと考えるが、先にヴァルケンが俺の肩を優しく掴み起き上がらせ、ブランケットを肩に掛ける。


「帝様、目が覚めましたか?」

「……多分」


返しが面白かったのか、ヴァルケンはクスッと微笑を浮かべる。

眠気が脳内を漂い思考を阻害し、大気の寒気が体内の熱を奪い、再び眠りの世界へと誘う。

頭が何度も落ちては昇るを幾度となく繰り返す。自覚はあるが、眠気故に何もできない。


「帝様、大丈夫ですか?」


ヴァルケンが微笑を浮かべたまま何度も俺の肩をゆっくりと叩き、意識の覚醒を促す。


「大丈夫だ。三度寝する前に、リビングへ行こうか」

「ええ、それがよろしいかと」


リビングが一階であることに対し、俺の部屋は三階。

部屋を出て、正面十メートル程の先の階段へと進む。眠気が完全に消え去っていないことを考慮して、手すりを左手で掴みゆっくりと階段を降りる。

後ろからヴァルケンが追従する。


一階に降りると、誰も居ないリビングを照明の光が照らしている。

他の同居人達はまだ寝ているらしい。好きに生活しているのだから、当たり前のことではあるだろう。

異界のラスボス達は地球の文化に触れ、変わってしまった。かつて、異世界で数多の人類に怯えられ、世界の平和を脅かした危険な存在の名残は欠片も残っているようには感じられない。


「朝食でございます」


木製の背もたれの付いた椅子に座り、ガラスのテーブルに両肘を乗せると、時を見計らったかのようなタイミングで声をかけてくる。

ヴァルケンの持ってきた汚れ一つない真っ白な皿には、可愛らしいエッグベネディクトが二つ乗せられ、碗皿に乗せられた小さなデミカップからは、コーヒーの香りが広がる。


左手でフォークを持ち、エッグベネディクトを立て続けに突き刺し、口へと運ぶ。

唇についたソースを右袖で拭う。

最後に、コーヒーを口に流し込み、口内に残っているエッグベネディクトだった物と一緒に呑み込む。

その早さ、実に一分未満。ほんの僅かに一分を切るぐらいだ。

我ながら、なかなかのタイムであると同時に、行儀の悪さだ。


「帝様、相変わらず行儀がよろしくありませんよ」


ヴァルケンが責めるような口調だが、俺はその一切を気にしない。

ジリジリと視線が強くなっているのを感じ、姿勢を正して座り直す。


「ところでヴァルケン」

「いかかがしました?」


後ろに立っていたヴァルケンが、俺の横へ移動しながら応える。

ゆったりと手を後ろに組み、聞く姿勢ができているとアピールしている。


「今日は何故か胸騒ぎがする」


今朝から感じていた異常な何かを吐露するが、返ってきたのは軽いものだった。


「そうですか。ですが、学校には行って下さいね。本日は卒業式ですので。私達もカメラ片手に参加致します」

「本当に大丈夫と思うのか?」


俺は胸の内の疑問を吐き出す。

高位の異能力者の不意によぎる勘や夢、そして胸騒ぎは、絶対ではないが何かしらの前兆である可能性が高い。


「私の勘では、帝様は本日は無事に無傷で帰宅すると指し示しております」

「そう言われてもなぁ……。何か起こるような気がするんだよな」

「考えすぎですよ」


ヴァルケンはそう言うと、テーブル上の食器を回収し、台所まで運んで行く。

そして、リビングに響く蛇口から流れ落ちる水の音。


鳴り止むことのない胸騒ぎ。

俺の肉体と精神は少々特殊であるため、科学では説明できない第六感が発達している。第六感だけではないが、あの人外の三人と肩を並べていた以上、俺自身も純粋な人間ではないと自覚している。

成長期であるにも関わらず、最近になって成長が緩やかになってきていることが、その証拠だろう。救いなのは、男性の平均身長を遥かに──とは言っても十センチを僅かに越える程度だが──上回っていることだろう。個人的には、もう十センチ程欲しかったのだが、手に入らない物を願っても意味はない。


話を戻すが、ここまで大きな胸騒ぎはかなり珍しい。かつて、異世界に召喚された時でさえ、ここまで大きくはなかった。

ヴァルケンが俺の身には害はないようなことを言ってはいたが、いくつかの要因が連鎖して引き起こされる可能性も零ではない。並の事象であるのならば、自力で全て解決できることから、むしろその可能性が高いと考えられる。

では、一体何が起こるのか?と推測しても何も思い付かない。いや、できないことはない。

推測するだけであるのならば、いくらでも思い浮かぶ。


降り止むことのない流星の雨。

前代未聞の大地震。

世界各地で巻き起こる未曾有の大噴火。

前触れなく引き起こされる核大戦。

世界中で始まるクーデターの蜂起や無意味に広がるテロ行為を初めとした武力抗争。


今日に限っては起こらないと断定はできないが、これらはあまりにも現実離れしすぎている。


台所の水音が間隔を空けるようになり、次第に小さくなり、いずれ聞こえなくなる。

そして、ヴァルケンの足音が玄関の方へと向かう。


テーブル上のリモコンを手に取り、黒いテレビ台に乗せられた液晶テレビに向けながらボタンを押す。

この時間に映し出される情報は、マニアックな内容が多い。

一応視線を向けるが、内容が一切頭に入ってこない。日本各地の地方のアイドルの特集らしいが、あまり興味が湧かず、目が覚めて何度めか分からないあくびを右手で押さえる。


「改めて申し上げますが、学校に行かないという選択肢は論外ですよ」

「分かってるよ!」


必要以上に大きな声で返事をするが、ヴァルケンには柳に風のようだ。敢えて無視することで躱している。


「学校には行くけどさあ、面倒だな。だって今日、初登校だぞ!」

「そうですね」


ヴァルケンは動じず、一通の茶封筒をテーブルに置く。


先程も言ったが、俺は本日が初登校であると同時に卒業式だ。聖王協会の権力と俺の能力を行使し、書類上では三年間通ったことになっている。

せめて、高校からは通うとジョーカーと約束したのだが、高校で教わるレベルの学問など学ぶ必要はない。ずっとロンドンで暮らしてきたため日本史は壊滅的だが、それ以外であるならば修士、得意部門であれば博士号の取得は可能だろう。


「高校はちゃんと通ってくださいよ?」

「質問で返して悪いが、今更学ぶ必要があると思うか?」


ヴァルケンは大きなため息を吐き出して、口を開く。


「織田信成公の人間性を表す俳句で、ホトトギスを鳴かすため、どのような手段を取るかを言い表現した俳句をご存知ですか?」

「……お前、アレだろ?えーっと、アレだよ。泣かぬなら・燃やしてしまえ・本能寺」


俺は、右手人差し指をヴァルケンに突き付けるが、ヴァルケンの表情は晴れない。むしろ、哀れみさえ帯びている。


「帝様、やはりあなたは高校は通うべきです」


俺の俳句は、どこかが間違えていたらしい。正解しているとも思っていなかったのだが。

そして、時間差で心の中に羞恥心がじんわりと染み込み始める。


「別に日本史を知らなくても生きていけるだろ?それに、イギリスの歴史なら完璧だ。それ以前に、何でお前が俺よりも日本史に詳しいのかが気になるんだが」

「さあ、何故なぜでしょうね。それよりも、帝様の未熟さを問題視するべきでは?」

「別に日本史なんて……」


冷静に分析を行うヴァルケンに半眼を向けるが、返ってくるのはいつも通りの微笑。


「実際問題、日本史を必死こいて勉強したところで、何のメリットがあんだ?ないだろ!絶対にない!」

「何を仰ってるんですか。学ぶことにメリットを求めてはダメですよ。学ぶことに意味があるのです。学ぶ過程で何を知り、何を理解したのか。紙に記された情報だけでなく、それを自らで分析し、糧として蓄える。それこそが、学習なのです」

「……真面目か、お前」


互いに呆れたような視線を向け合う。

前々から堅い奴だと思ってはいたが、ここまで堅いとは思いもよらなかった。堅いと言うか、常軌を逸して真面目すぎるのだろう。

結局、視線を先に逸らしたのは俺だった。


「部屋に戻って、着替えてくる」

「かしこまりました。出発は二時間後ですので、それまで存分にお休みください」


俺は茶封筒を片手に部屋へと戻る。


私室の椅子に座り茶封筒を親指で何度か撫でるように擦る。

見た感じ、五つの魔術がかけられている。


茶封筒の座標を発動者へと知らせる魔術。

決められた者に開封の資格を与える魔術。

決められた者以外が開封しようとすると、自動的に跡形もなく焼却する魔術。

茶封筒の強度──分子同士の結合──を強める魔術。

そして、開封されたことを、発動者へと知らせる魔術。


ありきたりな茶封筒に、これ程まで高い効果を発揮する魔術を仕掛けることができる魔術師は、一人しか知らない。「トリックスター」の異名を持つ、ジョーカーだけだ。

本来、物質に魔術をかけるのなら魔道具レリックに施すのがポピュラーな手法だ。魔道具レリックには魔術陣の方法以外にも前準備の方法は幾つもあるが、最も単純かつ、容易なのが魔術陣である。

そのため、魔術陣が刻印された魔道具レリックの割合は非常に高い。


俺は中の紙の内容を確認する。

内容については思った通りだ。一度も通ったことはないが、祝福の言葉が綴られ、卒業祝いの品などをいつもの場所に運ぶというものだ。

そして、最後に記された文章は──


「異界との境界が緩んでいる、ねぇ」


異界との境界が緩めば、勇者として異界へ召喚されたり、転生したりすることは、聖王協会の上層部の人間ならば知っている。

その際、強力な能力を付与されることについては、世界と世界を繋ぐ莫大なエネルギーに触れることが原因だそうだ。つまり、俺のように無意識に障壁を張っている者は何の能力も付与されることはない。


俺は読み終えた手紙を茶封筒に入れ、勉強机に置く。


時間はまだある。出発まで寝ても何も問題ないだろう。

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