第0.5話 第八次妖魔大戦


大地を焦がすような熱を孕んだ暴風が頬を撫でる。

見渡せば、荒野に広がる異形の化け物の死屍累々の山。

周囲一体には、俺以外には誰も居ない。


ここは第八次妖魔大戦の戦地。

そして、大戦初日。

そんな場所にいる。


金糸で細かな刺繍を施された黒衣を纏い、右手で黒いステッキを突きながら、腰の右側から漆黒の刀を差している。指には四つの指輪をはめ、首から水色のペンダントと琥珀色の首飾りをかけている。


上空から浴びせるような紫電が迸る。

その稲妻は俺に直撃する事はなく、不意に霧散する。

上方へと視線を向ければ、そこには翼の生えた紫竜が一頭。鱗は無く、尾は非常に短い。体は滑らかな表皮に包まれている。

聖王協会では竜にカテゴライズされているが、見た目だけで判断すればサンショウウオに蝙蝠こうもりの翼を無理矢理に付けたように見える。


竜が大きな翼をはためかせながら、口を開ける。

開けられた口には、少しずつ紫のスパークが生み出され収束していく。魔力の流れから察するに、先程とは違い一点に集中して放出するつもりのようだ。


心に浮かんだのは、"面白い"ただこれだけ。

本来であれば、この大きな隙に攻撃するのがセオリーであり常識なのだが、俺にはそんな物を遵守じゅんしゅする必要はない。

何故なら──


「俺は強いからな」


紫から赤紫へと変色した破壊の奔流が竜から発せられる。


想像を絶する熱量を持って。

認識を越える速度を得て。

理解を否定する輝きを放って。


だが、俺にはどうという事もない。


俺と竜との間の空間を捻る。

従うように、紫電は何重にも螺旋を描き大地を抉る。

竜は跡形も残さずに首を空間に固定したまま体だけが回る。体組織が砕け、折れ、裂く音色を奏でながら。


この一連の出来事が起こされたのは、ほんの刹那の一瞬。


「また、雑魚だったな。それにしても、竜系統の妖魔が多い気がするが気のせいか?」


疑問を口にしたが、当然誰も返事はしない。

ジョーカーから全異能力者に発せられた待機命令を無視してやって来ているため、他には誰も戦地には居ないだろう。


三時間も歩き回って、未だに妖王は確認していない。

既に十体もの妖王がいるとの報告を受けてはいるが、全くそれらしき存在は見当たらない。妖王は常にオーラを纏っているため一目で分かるらしい。


衣類に武器、道具。その全てが高位の魔道具レリック

不意討ちに狙撃に乱戦、ありとあらゆる状況を対処出来るように選んでいる。

だからこそ、こうも強敵と思える程の力を有した妖魔が現れないのだが。


「早く妖王出て来ないかな」


ここら一帯の妖魔は狩り尽くしたらしい。

微塵の気配も感じられない。



転移を発動し、場所を変える。

転移したのは、峡谷の遥か上空。


「ビンゴ」


俺は無意識のうちに呟いていた。


眼下には西洋の竜、ファンタジーで言うところのドラゴンを連想させるような色とりどりの妖魔達を従えた、一際大きな東洋の龍が俺を睨んでいる。

その龍は、炎のように揺らめく赤黒いオーラに覆われている。体はオーラと同様に赤黒い鱗に包まれ、遠目で見ていても重量感を感じさせられる。

他の竜は、俺に気が付いていないようで無邪気に戯れている。


あのオーラは体外に漏れ出た魔力をコントロールしているのだろう。

オーラその物が妖王の証ではなく、それを成す実力が妖王であるという事の証明なのか。


龍は小さく、されど地の底から響くような、物理的な重さを感じさせるような唸り声を上げる。

その唸り声を聞いたであろう竜達は続々と俺の方へと首を動かす。

竜の反応は多種多様、千差万別だ。

警戒、威嚇、興味、無関心、挙げていけば枚挙にいとまがない。


一切の動きがない龍達に、俺は先制攻撃を仕掛ける。


迅閃じんせん


微かな大きさで呟いた言葉をトリガーとして、異能力者の奥の手である魔術技マジック・スペルが発動される。

魔術技マジック・スペルは、一概に奥の手とは言っても多く持つ者もいるため、正直な所、奥の手とは言い難い。

だが、強力な技である事も、また確か。


空間に流動的な亀裂が走り、瞬く間に次々と竜の体躯を切り裂いていく。

狙いは竜。妖王の龍ではなく、その周りの手足達。


数頭の竜が自滅覚悟で俺へと飛翔してくる。


崩星ほうせい


竜を構成していた、体組織が、魔力が朽ち果て崩壊を始める。

最初はゆっくりと小さな表皮が剥がれるように、次第に砂塵が舞うように散っていった。


向かって来た竜も、峡谷で逃げ惑っていた竜も、その全ての殲滅が完了した。


龍は優雅に鎌首をもたげながら、俺へと殺気を向ける。

その姿は、正しく王者の覇気と呼ぶに相応ふさわしい。

ふわりと重さを感じさせないように宙へと浮かび上がる。止まったのは、俺と同じ高さになってからだ。


今になって気が付いたのだが、この龍は大きい。

龍であるため、大きい事は当たり前なのだが、その想像と想定を嘲笑うかのようなあまりにも大きな──大きすぎるその体躯に、苦笑してしまう。


「強いといいんだが」


あれ程の魔力量を有しながら弱いという事は、考えづらいがゼロではない。


力を試す為に、火力を優先させながら魔術技マジック・スペルを繰り出す。


堕落する蒼天の矢アルテミス


天から白銀の光が降り注ぐ。


神々の裁きのようにも見える、十二閃もの光芒は龍へと殺到する。

対する龍は、灼熱の息吹にて対抗した。

大気を操り加速させているのか、火炎のブレスは口から放たれてから勢いを衰えさせないまま、雲を穿つ。


十二もあった光の矢は、既に半数以上が砕かれた。

残りは四つ。

数としては三分の二だが、龍に限りなく肉薄している。距離にして500メートル未満と言ったところか。

龍も流石に不味いと思ったのか、吐息を吐き出しながら逃れるように下降する。


一つの光が霧散する。

残りは三つ。


迫り来る光に、意地を見せつけるかのように吐息の勢いを一層強める。

眼前にて、ようやく光の矢を破壊した。

残りは二つ。


そのうちの一つを器用に体をくねらせ回避するが、最後の一つが腹部をかすめる。


直撃した訳ではない。貫通した訳でもない。

かすり傷と、光の発した余波で僅かに吹き飛んだ程度か。妖王は強力な妖魔だと聞いていたのだが、そこまで頑丈ではないな。あの巨体に任せた飽和攻撃をさせられたらキツイのは、間違いないだろうが。


再び見下ろすような位置になった。


龍が大きな口を開ける。

また、炎のブレスか。一辺倒だな。

だが、放たれたのはブレスではなかった。

それは、音の暴力。

大気を震わせる程の咆哮。


俺は思わず両目を閉じ、耳を塞いだ。その僅かな隙を龍は見逃さなかった。


視線のすぐ先には、俺よりも大きく、波の刀剣よりも鋭い幾つもの殺意の牙が襲いかかる。

咄嗟とっさの判断で、20メートル程上方に転移してかわしたが、あの龍、あそこまで機敏に動けるのならば、無傷で堕落する蒼天の矢アルテミスを難なくかわせただろうに。

敢えて一撃当たったな。


下から迫る炎のブレスを空間を歪ませる事で何度も屈折させ、龍の腹部に当てる。

悲鳴が漏れている事から、自分の攻撃は効かないという訳でもないらしい。

だが、そこまで大きなダメージでもない。


迅閃じんせん


空間に流動的な亀裂が生じる。速度を重視させているため、危険を察知した龍の背に易々と追い付いた。

それでも、龍には効果が無かった。どうやら、龍を覆うオーラに阻まれたらしい。

俺の異能力は、威力、速度、持続性をコントロール出来るが、効果範囲が広がる程、遠くなる程、弱まる。現時点での俺と龍との距離は3キロ弱。遠くもないが、近くもない。

だが、並の異能力者では前準備無しでは発動すら不可能な距離だろう。


「うざったらしいな!」


あのオーラは面倒だが、わざわざ魔道具レリックを使うのは、より面倒くさい。


左手を天へと掲げる。


月神の憎悪ナンナル


魔術技マジック・スペルの行使に必要な事は、その定めた"名"を口に出す事。異能力者にとって、イメージとは現実と隣り合わせだ。イメージ通りにならなくとも、それに近い現象を引き起こす事がある。

魔術技マジック・スペルは、異能力者のその性質を利用している。あらかじめ、自らが発動出来る魔術などの異能力に名を付け、イメージとして己の記憶に焼き付ける。

そして、戦いにおいて致命的な隙になりかねない大技を、実戦レベルにまで昇華させている。


魔術技マジック・スペルのトリガーは引かれた。

龍は警戒しているのか、用心深く観察していたが、何も起こらない事に痺れを切らし、頭部に生えた金色に輝く二本の角から雷を放つ。

速度は決して速い訳でもない。

だが、明後日の方向へと通りすぎた一筋の稲妻の威力は大きいようで、直撃した大地の一帯が融解を始めている。牽制として使うのならば、大きな効果を得るだろう。


絶え間無く迫り来る雷は、当たりはしないのだが、待機させた魔術技マジック・スペルを発動を阻害する。発動出来ない訳ではないのだが、雷の放出に伴う異能力の行使を妨げる魔力嵐と暴風が非常に邪魔だ。


唐突に雷の乱舞が途切れる。

自身が発生させた魔力嵐の影響が、他でもない自分自身に襲いかかったのだろう。

間抜けな事なのだが、この隙を突き振り上げたままだった左腕を龍へと振り下ろす。

僅かに遅れて龍は灼熱の息吹を放つ。

息吹は、三日月のような紫の閃光に抗いもできずに、二つに割れる。まるでモーセが海を割ったかのようだ。

龍は逃げるように顔を逸らしたが、首から胴へと大きく切り裂かれた。堕落する蒼天の矢アルテミスによって生じたかすり傷とは比べようもない生々しい傷。

溢れるような流血は深紅のシャワーのように、絞り出すかのような唸り声は耳障りなノイズのように。


「詰みだな、妖王」


俺には、弱った敵をいたぶるような趣味はない。

腰に差した漆黒の刀を抜き放ち、介錯かいしゃくを待つような、弱々しい王者へと止めを刺した。


抵抗は無かった。

単に、生の存続を諦めたのだろう。

力無く、地へと落ちて行く龍を見ながらそう思った。


ポケットから賑やかな着信音が流れる。

最近、世に出回り始めたという感覚なのだが、実際にはもう五年くらい前からあるらしいタブレット端末だ。

画面には、聖王協会に所属する以上、必ず従わなくてはならない上官のコードネームが映っている。


「出たくねぇな。出るしかないけど」


スマートフォンを操作し、耳へと当てる。


『やっと繋がった。何処どこにいるんだい?まあ、想像はつくけど』

「敵地に襲撃を仕掛けてる最中だ。用事が無いならもう切るぞ」

『ちょっと待って!……戦地にいるのは大目に見るとして、妖王と戦ったりしてないよね?』

「一体だけな」

『そうかそうか、一体だけか。……へっ?』

「倒したから問題は無いだろ?」


スピーカー越しにうめき声が聞こえる。

この様子だと、巧妙で精緻な作戦でも練り続けていたのだろう。ご苦労な事だ。


何処どこで何をしたのかだけ教えてくれる?』

「A地点の全ての妖魔を殲滅、C地点にて妖王と思われる個体とその配下の妖魔を倒した。以上だ」

『結構暴れたみたいだね』


ペンを走らせるような無機質な音が響く。


『……妖王は残り九体。そして、A地点の妖魔は殲滅か。A地点には、全体の三割近くの数の妖魔がいたはずだけど……』


ジョーカーは思案しているのか、ペンで書き込んでいる音以外にも、途切れ途切れに呟くような声が漏れている。

流石に、この状況で話し掛ける訳にもいかず、地上から100メートルよりも更に高い上空に浮かんだまま、ただじっと待つ。


『……それだとこうか。……いや、違うな。これだと被害が大きくなる。うーん、どの組織をここに配置するか。一致団結していないからこその弊害へいがいだな』


うぜぇ。


確かに、国土異能力対策課と折り合いが悪いのは知ってるが、──大体俺のせいだとも言えなくもないし──少なくとも人を待たせてする話じゃないと思う。なんたって、ここは戦地だから。


「ジョーカー、それで話は終わりか?」

『んっ?……あぁ、話ね。ちょっと待ってね』


再びペンを走らせる音がスピーカーから聞こえる。


『少し、お使いを頼んでもいいかい?』

「どうせ、拒否権は無いんだろ?」


盛大にため息を吐き出しながら問いかける。

答えは分かりきっているが、せめてもの抵抗だ。


『そうだね。一人が怖いのなら、和尚をそっちに向かわせようか?』

「遠慮する。それでお使いって、何をすればいいんだ?そこらのコンビニで弁当でも買って来いってか?」

『まさか。本格的な戦闘に入る前に、可能な限り妖王含め、大きな敵戦力を削っておきたい』

「分かった」


言葉だけを聞けば、死傷者を出したくないと取れるが、実際には違う。聖王協会の幹部と次期幹部候補の実力を隠しておきたいのだろう。

初期の人間側の戦力配置図をこっそり──ちらっとではあるが──盗み見たが、何とも言えない陣形だった。


それぞれの組織が幾つかの部隊を作り、この大戦に臨んでいる。総指揮はジョーカーが執っており、聖王協会が一番被害を受けそうな陣形ではあるのだが、そうはならない。

異能力者と妖魔の戦闘において、陣形は重要なファクターである事には間違いないのだが、一定を越えた力を持つ者には意味がない。

強力な異能力者からすれば足枷となり、強力な妖魔からすれば意味のない攻撃を繰り出す烏合の衆。


このような事態に陥らないようにする為には、同系統の能力を持った異能力者で部隊を作る事。これが、最も現実的な手段だ。

それでも、非常に難しい事には変わりはない。それを可能にしたのは、聖王協会という組織だからこそと言っていいだろう。

確かジョーカーは、結界を使える異能力者を集めていた。これで、襲い来る全ての妖魔を他の部隊に押し付けるような作戦だったら、下衆の集まりだな。


とてつもない速度で接近してくる大きな気配を感じる。


『今からAA地点に行ってほしい。そこに、鷲型の妖王がいるから──』

「もしかして、その妖王って全身銀色だったりする?」

『……そうだけど。もしかして、もう遭遇したのかい?』

「そうじゃない。そうじゃないけど」

『まあ、取り敢えず簡単に偵察したら帰ってきてね』


その言葉を最後に通話が切れる。


頬を冷や汗が伝う。


日輪のような輝きを放つ王冠、美しくもたくましい翼、万象を抉り貫きそうなくちばし、射殺しそうな程鋭い燃え盛るような美しいルビーのような朱色の瞳。

そして、風へと変換したオーラを纏っている。


さっきの龍の妖王と次元が違う。


「あっ、どうも」


上ずったかすれた声を絞り出す。


返ってきたのは翼から繰り出される暴風だった。

空間を歪め、風を逸らす。

鷲はオーラを追い風にして、疾風怒濤の勢いで迫る。

流石に、空間を歪めたところで効果を見込めないな。


地上へと転移して、鷲の様子を伺う。

俺を探しているように、大空を弧を描き旋回している。

やり過ぎて甚大な自然破壊をしたら怒られる。それはやだな。


取り敢えず、地上に誘い込めばこっちのもんかな。

対妖魔用の手榴弾を取り寄せアポートし、宙へと放る。

目的は鷲へ当てる事ではない。鷲に俺が地上に居ると気付かせる事。


手榴弾は爆ぜる。

鷲は地上で手を振っている俺を視界に入れると、すぐさま突撃して来た。


「影よ」


俺の言葉に従うように、周囲に黒が侵食し、闇が広がり、影が地へと這い上がる。


空間を歪め鷲の纏う風を引き剥がし、動きを阻害させ速度を鈍らせる。

そして、近付いた鷲を触手のような形状に変形した影が捕らえる。くちばしを包み、翼を掴み、脚を捕らえ、胴を締め上げる。

影は鷲を自らの世界へと引きり込む。鷲は抵抗しようと風を生み出すが、念動力サイコキネシスで妨害する。

そして、抵抗むなしく鷲は影へと誘われた。


「自然破壊とか言われなきゃ、もっと楽に倒せるんだがな」


俺は聖王協会本部へと転移した。

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