私は日本人だ

 

 小走りで足を進めて、目的の店に急ぐ。案外早く着けば、日が沈みかけているので、道具屋も店じまいの準備をしていた。closeの札などお構いなしに扉を開けて顔馴染み特権で色々買う事が出来た。出掛けるのかと聞いてきたから親戚が危篤と社会人の常套句を述べてみた。実際、私の世界では40年経っているらしいので親戚はバンバン鬼籍に入っているだろう。泣いたと丸わかりの顔だし丁度いい。後何回でも言える台詞だなと考えて、自分の両親については意識しない様、思考から目を背けた。


 只今戻りましたと言いながら宿屋の裏口を開ければ、中が見えないと感じたと同時に、凄い勢いで身体を絞めつけられた。私より大きくて、柔らかい、温かい温度が身体中に伝わる。私はこの感覚に酷似しているモノを知っている。無条件で張り詰めていたものが緩んで泣いてしまいそうだった。必死に耐えようとしたら頭に何かがポツポツと落ちてくる。背中に回っていた温もりが移動して、私の髪を優しく撫でる動きに変わる。 


 「なんで、あんたばかり、こんな目に、合っちまうんだろうね。ごめんよ、ごめんよ」


 女将さんの掠れて水っぽい声が頭上から顔の前から響いた。

 その瞬間、もう耐えられなかった。少しだけ、少しだけ、甘えていいだろうか? 誰かに許可を取るわけではないが言い訳まがいなことを思いながら、私に温もりを与えてくれている女将さんに腕を回してしがみついた。まるで幼子が母親に抱きつくみたいに。喚いてしまいそうになる声を抑えて、う~う~と呻くみたいな声を出して。子供の頃に戻ったみたいに何度もお母さんお母さん! と心の中で叫んだ。


 私と女将さんが少し落ち着いた頃に旦那さんがいつもの様に頭をポンポン撫でながらダイニングテーブルの椅子に促してくれる。目を向ければすでにレッスが座っていて、旦那さんに支えられた女将さんが腰を下ろそうとしている所だ。


 私が出ている間にレッスが二人に話したのかと泣いた直後でぼんやりする頭で思った。


 「まだ子供と言ってもいいシーダを、なんで、なんで、酷い仕打ちばかりっ!!」

 「女将さん。いつも言ってますが私、29といい歳なん」

 「ああ、シーダ! 無理してまでこんな時まで冗談を言わなくてもいいんだよ!」


 ぼんやりしていて、思った事をそのまま口に出してしまったものの、いつものように信じてもらえなかった。言い切らせてもくれない寂しさよ。多分、行動からすると旦那さんも私の年齢を冗談だと思っているだろう。少し恨めしい民族性だ。

 ああこんな優しい子がっ!と隣の旦那さんの胸に埋もれて女将さんが泣きだして、旦那さんは悲しそうに女将さんの頭を撫でている。それを正直、羨ましいと感じた。


 それから落ち着いた女将さんや旦那さん、空気になっていたレッスと「これから」について話し詰めた。はっきりいって此処を追い出されたら行く当て等ないわが身。だから女将さんから提案された隣街の知り合いの宿屋での仕事口は正直助かった。手紙を書いたからこれを渡しなさいと差し出された手紙を受け取った所で空気だったレッスが口を開いた。


 「俺も一緒にいくよ、イシーダ。まだ子供のような君を一人で行かせるのは心配だ」


 お 前 も か ! 彼にはきちんと自己紹介をしていたのにもかかわらず!!

 この世界の人々は私が29歳で子供を生んでいるという事実を認識する事が出来ないのだろうか?!


 「いえ、大丈夫です」


 名案だとばかりに頷き始めた女将夫婦に釘を刺すように即刻、ご遠慮申し上げた。レッスが僅かに眉を歪めたが彼が口を挟む前に提案を論破しなくていけない。 


 捜索隊を組む事が決まった後での前もって知らせていた訳でもない休暇、失敗の召喚に係わっていた兵士、しかも神殿から追い出した兵士だ。私の顔を知っている可能性の高い彼が捜索隊に組まれないわけがない。少しでも不審に繋がる可能性を作る事はできない。

 そこからこの家族になんかしらの災厄が降りかかる事は絶対に避けたい事態だ。


 少しだけある本音は、そろそろ地を出してしまいたい、というのもある。

 私の態度は対人仕様だ。いくら家族の様に接してもらっているといっても恩人に礼儀を欠くことは出来ない。だから違う街では少しは 「私」を出したいと思った。


 本音を隠してこんこんと真っ当な事を述べ、心配してくれている恩人を説き伏せていく。


 そして夜が明けた。



 一睡もしないまま。



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