03

 薬を塗る回数や注意事項などを簡潔に説明し、案内をしてくれた男性にも外へ出られなくなることのリスクも話す。心理的に不安定になる前にどうにか対処し、穏やかに治療に専念してもらいたい。治療の進み具合なども確認する必要がある。だから定期的に様子を見に来たい、と。

「それから、ずっとあの状態だったから慌てていなかったのかもしれませんけど……あそこまでいってるとなると、一歩間違えば命の保証も出来かねましたよ」

 子どもに出来ないことなら、周りの大人たちが気をつけてあげなければ。

 まさか、と呆然とした様子になる男性の様子に、仕方ない部分もあるかもしれない、とも思う。情報も知識もなにも無い時代なのだと、そんな分かりきっていたことを改めて気付かされた。

 とまあそうは言っても、医者の立場で言うなら患者の命が最優先だ。

「大切な人なら尚更、よく見ていてあげないと」

 ぽん、と肩に軽く手を添えて、撫でるような仕草のあとで美織は彼から離れた。




   *




 数日後、今度は『縁医師せんせい』だけが呼ばれ、少年のもとへと通された。

「こんにちは、お加減いかがですか?」

 屏風の向こう側へ入って、少年の顔を見るなりふわっと表情を綻ばせる。顔の赤みや膨疹はまだ残っているが、随分と腫れが引いてきたようだ。

「おお、きたか。近う、近う」

「ふふ、前回とは打って変わって、お元気そうですね」

 招かれるまま傍に寄り、片膝をつく。

「あれから気分がよい。あまりかゆくならんのだ」

 子供らしく無邪気にはしゃぎ笑いながら、美織の着物の袖をぎゅっと掴む。これはたまらない。平然と見せているが、実は美織は子どもが大好きなのだ。こんな完全に気を許し懐かれたような仕草をされれば、笑顔の仮面の下が大事件だ。

 それでも何とかポーカーフェイスを崩さず、そっと少年の頬をなぞった。

「ん、熱も引いてますね」

 きちんと指示を守り、定期的に薬を塗り、外にも出ず過ごしているのだろう。それに今は、回復してきている喜びからか、外へ出られないことへのストレスはあまり感じていないように思う。

「あ……そういえば、お名前を聞いていませんでしたね。ご存知かもしれませんが、私は和臣。縁和臣と申します」

「うむ。音恒おとつねという。源音恒じゃ」

「…………うん?」

 みなもとの……

 いや、今は平安時代の筈だ。平氏が名を馳せていた時代だ。――だが、源氏と、本当に関係が無いのだろうか。いや待てよ? そもそも平氏も源氏も、先祖をたどれば天皇家ではなかったか。

「ええと……お父上、は……?」

「父か、よくはしらぬ。ただ今は帝をしているはずじゃ。光孝こうこうという」

「光孝天皇……」

 ファンタジー風にいうなら『完全記憶能力』のような異常な記憶力を持つ美織が、覚えていない筈はない。昔、仲の良かった義兄あにに見せてもらった古い教科書で、その片隅に載せられていた年表の中に、確かにその名を見た。今の帝──光孝天皇の時代は短い。そこから計算していくならば、自分が時を越えてきたのは、西暦で言うと七世紀あたりといったところか。平安初期──どころかその年代は、飛鳥時代。古代だ。

 有名どころの名前を出すなら、まだ「紫式部」も「安倍晴明」も生まれていない。

 と、歴史の勉強や講義がしたいわけではない。冷静にならなければ。相手が例え天皇の子だろうと、彼が患者であることには変わりはない。ならば自分の持つ知識と技術、全てを使って治療をするだけだ。

「――そうでしたか。寂しくはありませんでしたか?」

「うむ、吾のまわりはいろんなものがいたからの。それに今は、なれがおる」

 言う少年――音恒の表情に、寂しさは見えない。安心して、美織も微笑んだ。

「和臣」

「はい?」

「明日もきてくれぬか。汝とともにいる時間はここちよい」

 じっと顔を見上げられ、美織はにこりと笑って「勿論」と返す。彼にとって安心出来る時間を、少しでも増やしてあげよう。それが回復にも繋がる。




   *




 いつの間にか十年が経っていた。天皇は既に代替わりをし、今は音恒の異母兄弟にあたる者が勤めている。

 当の音恒の病状と言えば、もうすっかりきれいな白い肌へと戻っていた。それでも日中外へ出られないのは変わらず、ほぼ毎日美織が会いに来ては話し相手やカイロプラクティックの施術などをしている。一方の美織は、相変わらず患者のほとんどを陰陽師に取られている状態で仕事がない。時折、音恒のように「陰陽師に頼んでも治らなかった」と言って来る患者も居るが、そうでない者もあやかしなど関係していない病の者は決して少なくない。人々は相も変わらず陰陽師を盲信していた。

「おかしなものだ。こんなにも優秀な医師がここに居るというのに。なあ、和臣」

 外での出来事や噂話を、美織は訪れる度に音恒に話す。不機嫌そうに頬を膨らませて言いながらも、彼の所作は上品で流麗なままだった。

「そういうものですよ」

「汝は気にしなさすぎじゃ。吾の他にも周りの者の治療までこなしておる、陰陽師などより余程出来るではないか」

 言う彼も元々は陰陽師の祈祷が効かないからと美織を訪ねて来た者の一人だが、そこはそもそも周りの大人たちの判断だったこともあり突っ込むことはない。どちらかと言えば、幼い時分に美織の治療を受け、他の医者や陰陽師をほぼ知らないことの方が問題に思えてくる。今の彼は無意識下に美織を盲信していて、他の民たちのことを言えた義理ではないのだ。

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