平安時代

症例 壱【光線過敏症】

01

 人々が寝静まっている時間帯。普通、この時代のこんな時間に客など来るとは思わない。

 この時代の医学を学んでいき、やがて資格試験にも合格した結果、正式に医師と認められた。そしてその際、勿論男性として試験を受けた美織は、名をえん和臣かずおみと改めた。人々から呼ばれる名として「えん」と名乗っていた美織としては、これが馴染みやすい姓で、名は自身を表すものだと思ったからだ。

 資格を得るのには随分と時間がかかった。この時代にも実際に、美織が居た時代の学校のような制度があったのだ。とりあえずと内科及び外科・小児科に関するものを学ぶ医学生となりはしたが、そのどちらもの資格を得るのに合わせて十二年の時を要した。

 期限である、各科九年を過ぎても修了出来ず退学処分となった医学生も居たが、美織は無事にストレートで卒業した。医官として従八位という官位──地位を得、禄というものも与えられた。これは生活に必要なものであったり、人手であったりと好きなものを貰える制度であるが、美織は当然のように定期的な薬草の提供を要求した。

 少し話が逸れた。冒頭に戻ろう。空は星々が輝き、月明かりは優しく道を照らしている。かといって夜に外出する者など、この時代で美織は一度も見たことが無い。急患を警戒して浅い眠りではあったものの、それでも油断はしていた。

「もし。鳥羽とばどの、縁どの。おられるか」

 決して大きくはない声だったが、美織は飛び起きた。これも看護師時代に夜勤で培ったものだ。仮眠中にだって、ナースコールがあれば飛び起きて対応していたのだ。時を超えて数十年経ったと言えど、忘れてなどいなかった。

 薄い寝間着姿になっていたので、旅途中で入手していた羽織を肩にかけ、戸口を開く。

「どうしました? 急患ですか?」

「いいえ。貴方がたに診ていただきたい御方がいるのだが、訳あって貴方がたを表から招き入れるわけにはいかぬのだ。故に、失礼を承知でこの時分に訪問させていただいた」

「…………」

 言葉遣いや表情、その様子も含め、扉の向こうに立っているこの男性からは切迫性を感じられない。とすると急患などではなく、本当に「陰陽師ではない医者」に表立って治療を依頼出来ないという理由だけなのだろう。

「分かりました。少し支度をする時間をください。それから、鳥羽医師せんせいも起こしてまいりますので、お待ちいただけますか?」

「ああ、構わぬ」

 ありがとうございますと一言礼を言い、それから一度屋内へ戻る。鳥羽とはこの診療所の元々の住人で、数年前に突然現れた美織を快く迎え入れ、この時代の医術を教えてくれた人物だ。今は美織も医者として同じ立場だが、診療所では鳥羽が家主であるのも含め、常に敬意を隠さず過ごしている。

 着替えをし、自分の薬箱の中身を確認して、それから鳥羽を起こす。始めは驚いた様子だった鳥羽も、事情を説明すると納得しすぐに動いた。




 案内されたのは、都の中心部だった。普段は立ち入ることの無い場所、その雰囲気に緊張しながら男性の後を歩き、夜の闇の中には向こうの端まで見えないほど広い屋敷の一画に促される。

「今宵はこちらでお休みください。明日、またお迎えに上がります」

 そう言って去る男性を見送ってから、鳥羽と二人、また部屋の中で横になった。この時代、布団なんて上等なものは無い。貴族でさえも畳の上に裸で横になり、着ていた着物を掛け布団代わりに羽織るだけという簡素なものだ。性別を偽っていて裸になるわけにはいかない美織は、着物を脱ぐ鳥羽に背を向け羽織だけを脱いで畳に転がった。羽織を掛け布団代わりに身体にかけ、ひと息つく。

 この時間なら、とうに深夜0時を回っているだろう。男性が「明日」と言ったのは、時計などの確かな時間を示すものが無かったこの時代、朝(恐らくは夜明け)を一日の始まりとしたのだろうかと想像がつく。その『基準』を口にする者は居ないが。

 これから眠れる時間の短さを思いながら、美織はそっと目を閉じた。




 朝になると、美織は時を超えてきてから感じたことの無い軽い疲労感を覚えていた。環境が変わったせい、とは考えにくい。時を超えてすぐの頃も、旅をしていた間も、鳥羽の屋敷に来たばかりの頃も、こんなことは無かった。強いて原因を考えるなら、何十年振りに夜中に起きて動いたことだろうか。

 かと言ってそう気にしなければいけないほどの疲労感というわけではない。仕事に差し支え無ければそれで良い。

 同じように目を覚ました鳥羽が着物を着なおした頃、昨夜の男性が迎えに来た。

 人目を忍ぶように屋敷の中を進み、ある一室の前へ案内される。立派な屏風で仕切られたその向こうに人の気配はあるが、果たしてどのような症状を持つ者なのか。

「お連れしました」

「はいれ」

 短い言葉と男性の視線を受け、鳥羽とともに屏風の向こう側へとまわる。

「っな……!?」

「ああ、」

 豪奢な着物を身にまとい美しい姿勢で座っているその少年の容貌に、鳥羽は顔を青くして一歩後ずさり、美織は逆にもう一歩踏み出して片膝をついた。

 顔中が赤く腫れあがり、ブツブツと発疹も見られる。一目見て、現代ならば一般的に「蕁麻疹」と呼ばれる症状だと認識出来た。鳥羽が驚いた様子からも分かるように、この当時ではまだそう多い症状ではないのだろう。

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