第4話総天都市サーカレスでの災難


 枯れ果てた草木と萎びた蔦が転がる廃村で、その男──サーカレス国直属魔導師団、ナルソンは困惑していた。

 この男が今日この村へ訪れたのは、結界の補修の為だった。際限無く周囲の魔気を吸い上げる魔境と化した土地に結界を張り、状況の悪化を防ぐ事が仕事なのだ。


 しかし、目前にあるのは魔気が霧散した単なる廃村である。

 つい先週までは確かにあったはずの異常は、どこにも見当たらなかった。


「……私の施した結界も消えている。それも、解除したのでは無く『破壊』してだ。一体、誰が……」


 十年前の異変発生から、そこかしこでこの様な土地が生まれた。いや、変貌したのだ。本来であれば、その浄化作業は彼らの領分であったが、有用な人手に乏しいこの国では正しく手が足りない状態だった。


「……まさか、新たな加護持ちが現れていたのか……!?」


 百年周期で訪れる終末に際して新生児に付与されるとされる加護が、その周期から外れて産まれてきていた。

 加護持つ者は希少だ。故に国で保護した後、戦闘訓練を積ませて異変の解決にあたらせているのだ。


 であれば、この廃村を救った者も早急に見つけ出して働いてもらわねばならなかった。


 ナルソンは空を見上げると、導気を流し込んだ。しばらくすると、一羽の鳥が肩に乗った。


「『護りの加護持ち』の村は浄化されていたと伝えよ。私はこれより新たな加護持ちを捜索する」


 そう言うと、ナルソンは村を後にした。




「汚れは落ちたかい?」


 すらりとした背中越しにロゼさんが声を掛ける。

 ここは僕らが最初に歩いてきた森の中だ。あの獣の血をかなり浴びてしまっていたので、それを洗い流しに泉までやってきたのだった。


 裸になって丁寧に頭の上から足の先まで洗う。冷たい水は激しい運動で火照った体に心地よかった。

 下着や服もそこで洗った。ロゼさんが言うには、魔気に侵された者の血は現世にはあまり馴染まない為、生物のそれと比べて落ちやすいのだそうだ。


「さあ、これで体をお拭き」


 背中を向けたまま後ろに伸ばした手には大判の布が握られている。


「ロゼさん、さっきからなんで後ろを向いてるんですか?」


 それを受け取りながら聞くと、「だ、だって坊やは今、裸なんだろう?」と少し上擦った声を出していた。

 僕がロゼさんと同じくらいの歳なら分からなくも無いが、十やそこらの子供である。恥ずかしがる事も無い様に思えた。


 しかしまあ、せっかく美人さんなんだから、ちゃんと顔を見て話がしたかったので、体の水気を拭き取った布を羽織ってロゼさんの前に出た。


 一瞬びくりと肩を跳ねさせたロゼさんだったが、裸で無いのを確認すると小さく溜め息を吐いて微笑んだ。


「服が乾いたら都へ向かうよ。村の状況から、この世界に異常が発生しているようだからね。国のお膝元であれば情報も多かろうよ」


「分かりました。──都って初めて行きます。あの村より大きいんですか?」


「それはそうさね。宗教の大元でもあるだろうし、都に着いたら『魔導』と、私に関しては素知らぬ振りをしておくれ」


 そう言ってロゼさんが唇に人差し指を添える仕草に、顔が綻ぶのを感じる。


「──でも、なんで秘密なんですか?」


「坊やが神話に懐疑的だった様に、まだ全体にはその信仰が浸透していないのさ。つまり、一般人は『魔導』の概念など知らないから『魔導師』なんてのも分からない。……だが国近くに住む者なら『神の奇跡を代行する者』として魔導師も知ってるだろうし、故に信仰心もあるだろう。

 私達はあくまでも、物知らぬ田舎者で通した方が安全なのさ。ロクデナシ共に深く関わっては仕事がしづらいからね」


 そうなんですか、とは返したが実のところよく分からなかった。とにかく、魔導師とは関わらないという事だけ肝に銘じておけばよいだろうか。


 村で獣を倒したからか空に雲は無く、暖かい陽射しが降り注ぐ。ロゼさんの魔導もあってか、服はもう乾いていた。



 総天都市サーカレス。

 この世界を統べる唯一の国家であり、そのお膝元だ。とは言っても、村から都まで行商に出掛けるのは大人だけだったので、子供の僕にとっては──規模は全く違うが──初めて訪れる他所の集落である。


 僕もロゼさんもお金を持っていなかったので徒歩で向かうのかと思っていたが、道すがら通り掛かった行商のおじさんに僕が頼み込んで荷車に乗せてもらったのだ。

 最初は渋っていたおじさんだったが、ロゼさんが薬草の束を差し出すと、途端に上機嫌となって交渉が成立した次第だ。


「……いつの間に薬草なんて取ってたんですか?」


「坊やが水浴びをしていた時にだよ。森に魔気が戻ってきたから、あとは少しばかり成長を促して上げれば使えるな、ってね」


 あそこの薬草は上質らしく、それで行商のおじさんも気前が良かったのだそうだ。

 森が枯れていた事を考えると、もしかしたら都までの運賃なんて安いものだったかも知れない。


 そうして僕らはこの都市に来た訳だが、初めて見る都会に僕は目を丸くしていた。

 様々な店がひしめく通り──商店街は人波で溢れており、歩くのも一苦労だ。

 それをようやく抜けると、大きな噴水のある広場に出る。そこでは家族連れやカップル達が、所々に設置された長椅子に腰を下ろして休んでいる様だった。


 僕らも少し腰を落ち着けようかと思った時、噴水前に一人の男が走り寄って大声を上げた。


「──これより魔導師団による適性検査がある! 我こそはと思う者は是非とも参加して欲しい! 国の一大事だ、多数の参加を期待している!!」


 広場も商店街も、その声にガヤガヤとざわめき出す。僕らも顔を見合わせた。


「国の一大事とは、矢張り何事か起こっている様だねえ」


 ニコニコと微笑みを崩さずロゼさんが言う。僕の村で起こった事と関係があるのだろうか。


 すると、声を張り上げていた男がこちらに気付いた。足早に寄ってくる。


「おお、お嬢さん! 何やら貫禄のあるその出で立ち、もしや魔導の心得がおありなのでは!? 良かったら是非!!」


「ずいぶんと仰々しいけれど、何かあったのかい?」


 ロゼさんが男の勧誘を聞き流して訊ねた。

 ……しかし、男は「ん?」と小首を傾げるのみで応答が無い。そしてまた「どうですかな!?」と勧誘を始めた。


「…………ああ、駄目か。まだこの擬人体に慣れてないから、発声の調節が難しい。坊や、代わりに通訳を頼むよ」


 そう言えば、神の庭で端末がどうとか言っていたっけと思い出した。つまりこのロゼさんは本体では無いのだろう。

 僕は咳払いを一つすると、ロゼさんの言葉を伝えた。


「え、あ、もしかして喋れなかったのかい? そりゃ申し訳無い事をした! ──というか、この一大事を知らないなんて他所から来たのかい?」


 ビリビリと響く声でお詫びを述べてくれる。普段からこんな大声なのだろうか。

 取り敢えず、さっきここに到着したばかりである事を伝えて事情を聞いた。


 ──それは十年前の事だそうだ。

 最初はただ、動物の気性が荒っぽくなって人や住まいがたまに襲われ、荒らされる様になった。それも一時の事だろうと思っていたが、おさまるどころか年々悪化し、遂には死傷者まで出る様になった。

 次いで、方々で土地が枯れていった。近辺の村々が人の住めない程の毒に侵され、途方に暮れてこの都へ押し寄せる始末だった。


「その異変を解決する為に、国王が魔導師団を派遣して下さっているのだが……手が足りず、とてもじゃないが異変拡大の早さに対応し切れないのだ! それで──」


 民間から魔導の素質を持つ者を探している、という訳か。

 十年前となると、僕は恐らく生まれていないと思うが、動物が獰猛化したなんて話は初めて聞いた。もしそれが本当ならば、子供だけで森へなんて大人が向かわせないだろうし。


「商店街の向かいに大きな建物があるだろう? あそこで検査をしているから、落ち着いたら是非に! よろしく!!」


 そう早口で話すと、男はまた別の人達に声を掛けに走っていった。


 隣を見ると、ロゼさんは椅子に行儀良く座って頷きながら一人ぼそぼそと呟いている。


「状況は分かった。坊やの村はまあ特殊として、似た様な事が他所でも起こっている様だ。十年前となると、前回の管理交代からまだ五十年。変異時期が来るまで早過ぎるし、何か別の……」


 僅かに聞き取れた言葉は僕には分からない事だらけだったが、とにかく一大事なのだという事だけは分かった。


 そうして、しばらくしてロゼさんは大きく頷いた後、すっと立ち上がって僕の手を引く。


「取り敢えず話をもう少し聞いて来ようか。こっそり、慎重にね」


 そう言って、僕らは歩き出したのだった。



 色んな人達が飲み込まれる様にしてその建物の中へと入っていくのを見つめる。こんな大きな建物を見るのは初めてだ。村長さんの家よりも、ずっと大きい。

 そして中へ踏み出してまた驚く。天井が高いのは勿論、そんな高い所に薄ぼんやりとした灯りを放つ器具が設置されていた。松明なんかじゃ無いだろう。神秘的な光が浮遊しているかの様な錯覚すら覚えた。


 広間の奥の方では真っ白いローブを羽織った大人達──魔導師が、何やら忙しなく動いていた。

 テーブルに置かれた白く光沢のあるお皿の様な物の上に、綺麗な石が乗っている。

 そのテーブルを挟んで検査を受けに来た女性が胸の上に手を置いて言葉を発した。


「我らが神よ、生命の灯火をここに」


 それと同時に、石に小さな火が灯った。

 ゆらゆらと揺れるそれを見た魔導師達と検査待ちのその他の人々にどよめきが起こる。


「おめでとう、貴女は神に祝福された魂である。この灯火がその証だ。世界の為にその力を我らと共に──」


 魔導師の宣言が響き渡ると、続いて拍手の嵐と歓声が沸き上がった。火を灯した女性も照れた様子ではにかんでいたが、どこか誇らし気に見えた。


 こそこそと講堂内の隅に場所を移動しながら「凄いんですね、魔導って」と囁くが、ロゼさんは至極退屈そうに答える。


「あれは簡易魔導術さ。村で見た『アレ』と原理は同じ。まだこの世代では導気が一般的では無いが、誰しもが備えている機能に過ぎない。坊や達は薪を使って火を起こすのだろうが、城にいる者達はああやって生活に使用しているんだろうね。

 そして、信仰を深める目的としても使われている。わざわざ必要の無いあんな文言を言わせているのは、それが神の御業と思い込ませる為だ。──なるほど、なかなかに小賢しい真似をする」


 やれやれと華奢な肩をすくめて見せる。

 原理を熟知するロゼさんにとっては子供騙しであっても、僕らの様な魔導に疎い者にとっては錯覚させるに足るものなのだ。

 たまたま導気を操れた者は『選ばれた』と感じ、不確かだった神への信仰を深める事になるのだろう。


 まだまだ続くその検査を端から眺めていたが、不意に僕は体を後ろへ投げ飛ばされた。


 いつの間にそこにいたのか、検査をしている魔導師と似た真っ白いローブに金色の刺繍が入った豪奢な格好の男が、ロゼさんを組み抱いていた。

 細い腰を左手でがっちりと固定し、彼女の手首を乱暴に握り絞めている。ゆったりとしたローブ越しには分からなかったロゼさんの豊満な胸が、男の体に押し潰されその形を浮かび上がらせた。


「こんな隅で何をしている? 検査に来たのだろう?」


 ロゼさんよりも頭一つ分高い身長で、力は緩めず見下ろして言う。胸に顔を押し付けられる形となったロゼさんが苦し気に呻いた。


「……私に触れるな。今すぐ離せ」


 聞いた事の無い、暗く沈んだ声音。あから様に怒気を含んだ言葉だったが、その男には届いていない様だった。

 嫌悪感も露に男の顔を睨み付けていたが、そいつは意にも介さない。


「なんだ、口が利けないのか、女。……パーツも整っていてバランスも良いが、陰気な面構えだな。しかし、そういうのも美味そうだ」


 手首の拘束を解くと、ロゼさんの顎を指で持ち上げ顔を近付ける。にやにやとした表情に僕にも嫌悪感が走った。


「お前、魔導の心得があるな。検査は不要だ。俺の下に付け。──『四六時中』、俺の世話をさせてやろう」


 神を信仰する奇蹟の代行者ともあろう者が、下卑た表情を浮かべて笑う。強調してきた言葉に不快の匂いを感じる。

 なおも接近してくる男の顔から逃れる様にロゼさんは体を引くが、男の太い腕がそれを許さなかった。腰を押さえ付けながら器用に手首を臀部に這わせ、その肉に指を食い込ませていた。


(このままじゃ──)


 この男に彼女を奪われる。汚される。

 それは、絶対にあってはならない。

 何故なら僕は────。


 思考が跳躍する。

 しかし、それよりもさらに早く体が動いていた。


 男のローブを力の限り引っ張って、それ以上の侵攻を食い止める。村で戦った時と違い、同年代の子供にも劣るだろうか弱いものだが、それでも何もせずにはいられなかった。


「……なんだ、お前」


 不愉快そうな顔をこちらに向ける。先程まで浮かんでいた色の気配は消え、ただただ殺意が溢れてくる。


「お前……人間か? 不気味な女がずいぶんと大切そうにしてるただの人形かと思ったが…………面白い、よくそれで生きていられるものだ」


 在るはずのものが欠けている、つまり、通常ならばもう死んでいてもおかしくは無い状態。──導気の欠落。

 だから僕を、人形だと思ったのだろう。有り得ないのだから。


 じろじろと観察を終えると、しかし男はまた眉間を寄せて口を開いた。


「────おい、クソ餓鬼。いつまで汚い手で触ってんだ」


 その瞬間、視界いっぱいに赤い霧の塊の様なものがいくつも浮かび上がる。それは徐々に温度を上げていき、僕に覆い被さろうとしているのを感じた。


「──そこまでです」


 背後からの声に、視界が一気に鮮明になる。男の導気に寄せられた熱を持った魔気が霧散したのだ。

 声の主は優しく僕を抱き止めると、前を見据えたまま背中へ匿った。


 男は舌打ちを一つして、ロゼさんを解放した。ロゼさんは今までに無く焦った様子で僕に走り寄って抱き締めてくれる。少しだけ、その腕は震えていた。


「民を先導すべき者が下衆な真似を……」


「はっ! 戒律に禁欲なんてものは無かったはずだが? それとも、アンタが相手をしてくれるのか、加護持ち」


 僕らを助けてくれた、加護持ちと呼ばれた女性の肩がぴくりと震える。これは──怒りか。背中越しでも凄まじい怒気を感じた。


「魔導師風情が加護持ちの私に手を出せばどうなるか、知らないなんて事は無いでしょう? 土地の浄化より先に、あなたの頭の中を更地にして上げましょうか?」


「護る事しか能が無いアンタに、何が出来るんだ? 後生大事に『膜』なんか護ってねーで色を覚えろよ」


 くく、と噛み殺した笑い声を上げる。

 その瞬間、男の喉元にはナイフが突きつけられていた。

 加護持ちと呼ばれた女性では無いまた別の、鮮やかな青色のマントを羽織った男が魔導師に対峙していた。


「──あんまウチの相方イジメないでもらえます? 俺も堪え性ある方じゃねーもんで」


「自滅野郎が。……はっ、つまんねえ」


 大股で入り口へと消えていくのを見送ると、僕は二人を見やった。

 女性はなおも肩を震わせており、未だ怒り静まらぬ様子だ。男性はそんな彼女を気遣って肩をポンと叩くと、僕らに声を掛けた。


「すまねーな、恐い思いさせちまって。取り敢えずは大丈夫だから」


 笑い掛けてくれるその顔は気の良いお兄さんといった感じで、安堵を覚える。この人もどうやら、加護持ちである様だった。


「…………彼女達を私の屋敷へ連れて行ってやって頂戴。さすがにあの馬鹿でも、加護持ちの敷地にまで侵入などしないでしょう」


 私は少し頭を冷やしてくるからと、女性はマントの男に後を頼んで去っていった。

 あいよ、と返事をした彼は僕らに手を差し出すと、外へと促したのだった。





 検査を行う講堂を出ると、僕らはマントの男性の後に続いて街中を歩いていた。日も落ちて辺りは薄暗く、子供はもう家に帰ったか出歩いているのはほとんどが大人だった。


「それにしても、騒ぎにならなくて良かったですね」


 いつもよりも少しばかり強く手を握ってくるロゼさんを見上げて言う。

 隅っことはいえ、誰にも気付かれない程に静かな出来事では無かったと思ったのだが。


「…………予め人避けの結界を敷いていたんだよ。だが、それが裏目に出た。不自然に空いたスポットを感知された上に、解除するでも無く入り込んで来た。…………すまなかったね、坊や。そして、ありがとう…………私を助けてくれようとしたのだろう?」


 微笑んでいる様な、泣いている様な、曖昧な表情を浮かべてロゼさんは謝ってきたが、そもそも僕は僕──シモベなのだから。きっと、この人を護るのは当然の事であって、特別な事では無いはずで…………だのに、なんだろう、義務感とは違う感情が在った様にも思っていた。


「ロゼさんが無事で、良かったです」


 心からそう思って、それは自然と声になっていた。自分がどんな顔をしているか分からないが、せめてこの言葉が伝われば良いなと。本当に、無事で良かった。


「──うん、ありがとう」


 まるで子供みたいに微笑むのを見て、ああ珍しいものを見たなと思った。それは昔目にした幼馴染にも似て──。






 ──街の外れに到着すると、大きな門の手前でようやく足が止まる。

 ここが、あの女性のお屋敷なのだろうか。これまた大きな建物である。


「さ、お疲れさん! 今日はほんとツイて無かったなあ。ここはさっきの恐い姉ちゃんの屋敷で、あの変態野郎も迂闊にゃ来れねーから安心していいぞ」


 にこり、と笑顔が眩しい。

 彼に連れ立って客室へと通されると、家主が帰るまで少し休む様に言われた。

 広いベッドに浴室もある。なんだか自分が場違いに思えて仕方が無かった。


 それでも、神の庭を出てから色々あり過ぎて疲れていたのか、ベッドに腰を下ろしていると急激な睡魔に襲われる。感覚としては疲労感は無かったのだが、肉体はそうでは無かったらしい。


 うつらうつらとしていると、ロゼさんが僕を抱き締めてきた。


「…………坊や、坊や。お願いだよ、私を抱き締めてくれないか」


「ロゼさん?」


「あの男の感触を忘れさせておくれ」


 耳元で囁かれる声はいつもより切なく聞こえ、震えている体がとても小さく感じられる。余程、恐かったのだろうか。超然としている様に見えていたが、無理矢理あんな事をされれば当然なのだろう。


「良いですよ。僕は貴女のシモベなんですから」


 彼女がこれまでしてくれた様に、僕はロゼさんを抱き締める。彼女の胸の分もあって、僕の腕では背中まで回り切らなかったが、それでも脇から回した肩に優しく手の平をポンポンと叩く。それはもう、子供をあやすかの様だ。


 暫くの間そうやっていたが、いつの間にか僕の眠気が限界を超えてしまったらしく、僕らはベッドで抱え合って眠りについていた。


 トクン、トクン、と静かな鼓動と微かな寝息。──これは、僕自身のものか。


「──か──以外の者に触れられたく無…………」


 寝言か、うわ言か。

 しかし、それを鮮明に聞き取れるだけの意識が僕には残っていなかった。

 ついこの間の事なのにひどく懐かしく感じるこの温もりに、僕はまた意識を眠りの森へと沈めていった。





 ──冬の花は、未だ孵らぬ春を待つ。

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