記号病(2/2)

 結局、学校まで一緒に登校した。

 教室に入るなり仲のいい友達に俺との関係を茶化される幼馴染を横目に、俺は窓際後方の自席についた。ちなみに、真後ろは幼馴染の席。漫画なんかじゃいわゆる「主人公席」なんて呼ばれる位置だが、学園生活を送るうえでの俺のモットーは「慌てず騒がず平穏に」だ。悪目立ちしたり、面倒ごとに巻き込まれるのは御免こうむるね。


 右斜め前方の席では、黒髪ショートの気弱な図書委員が今日も朝から本の世界に没入している。右斜め後方ではどぎついピンク色の髪をした背の低い女子が「はわわ」などと意味不明な文字列を口走りつつ涙目で今日提出の数学の宿題と格闘している。この2人も記号病患者だ。


「今日も朝からおアツかったみたいだな。全く、うらやましいぜ」


 なんてバカを言うのは、俺の前方の席に陣取る友人……というか、中学時代からの腐れ縁だ。こいつも罹患者りかんしゃなのだが、まあ取り立てて語る特徴もない友人Aにすぎないので詳細は割愛する。


 友人Aと駄弁っていると、教室前方の扉が開かれ、やたらと派手な女が現れた。金髪縦ロールなんてフィクションにはありふれているが、現実にいればそれは渋谷のスクランブル交差点の中に紛れ込ませても一目で見つけられるほどに目立つもんだ。


 金髪縦ロールはそこそこ目立つ取り巻きの女2人を引き連れて、廊下側最後方の席に向かう。


「どいてくださいます? お邪魔ですので」


 この女は一人称は「わたくし」、語尾には「ですわ」。言うまでもなく金持ちのお嬢様だ。それに成績優秀でスポーツ万能、そのうえ次期生徒会長候補ときたもんだから、教師の信望が厚いことはもちろん生徒の間でも支持者は多い。記号病にかかっているという点を除けば、問題らしい問題はない。


 高飛車な言葉を投げかけられたのは、友達と雑談に花を咲かせていた幼馴染であった。席と席との間に立って話していたから、通行を阻害する形になったのだ。

 そんなもの避けて通ってしまえばいいのだが、幼馴染と金髪縦ロールは犬猿の仲。プライドの高い金髪縦ロールが幼馴染に遠慮して歩くなどできるはずもなかった。

 もちろん金髪縦ロールの軽い威嚇で易々と引き下がる幼馴染ではない。こちらも気の強さでは引けをとらないのだ。


「そっちを迂回して歩けばいいんじゃない? それとも、前世がイノシシだったから真っすぐにしか移動できないのかしら?」

「ぐ! ……あらあら、人として最低限の気遣いもできないなんて、あなたは現世がサルなんですのね」


 ふたりの間に不可視の火花が散る。金髪縦ロールの取り巻きは主と一緒になって幼馴染をにらみつけていたが、幼馴染の友人はというと半笑いの困り顔で「ありゃりゃ」なんて言いながら事態を静観している。

 多勢に無勢、幼馴染は苦しい状況か……そんなことを考えた矢先、ホームルーム開始のチャイムが鳴り、よれよれのジャージをだらしなく着こなした30代半ば独身の担任教師が教室に入ってきた。


「おーしホームルーム始めるぞー。お前ら席につけー」


 長年の教員生活で反射として身についた台詞を垂れ流しながら、無精髭を隠しもしない担任は教壇に立つ。

 この担任は、幼馴染と金髪縦ロールが着席してなお互いをにらんで火花を散らしあっていることに気付いているだろうか?

 図書委員が本を閉じなければと思いつつも物語への好奇心を抑えきれず、申し訳なさそうな顔でページを繰り続けていることに気付いているだろうか?

 ピンク髪が1限目が数学だと気づいて絶望し、もはや文字として表記できない高音のうめき声をあげて筆記具を投げ出し突っ伏したことに気付いているだろうか?

 友人Aが名残惜しそうにしながら会話を切り上げ、しぶしぶ前に向き直ったことに気付いているだろうか?


 この記号のあふれた教室の中で、俺だけがただひとり、ごくごく平凡でなんの変哲もない、どこにでもいる男子高校生だ。


 やれやれ、まったく。

 今日も騒がしい一日になりそうだ。

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