14.記号病

記号病(1/2)

 午前8時、性格は奇矯だが時おり人間としては尊敬に値するような面を見せる母親の見送りを受けながら、俺はいつも通り家を出た。

 電車に30分も揺られれば都市に出られるような、日本中どこにでもあるありふれたベッドタウン。そんな街の一角の、似たような家々の立ち並ぶ住宅街。まだローンの残っている築10年。そう言ったって各々の想像する景色はバラバラで、こんな説明は無意味なんだろうが、なんだって問題ないからこれでいい。

 そんな愛着ある我が家の隣には、我が家とさして変わらない外観の家がある。ここには俺の幼馴染が住んでいて、彼女も俺と同じ午前8時に家を出る。今まさに、幼馴染が門を開く音がした。


「よっす」


 俺が軽く右手を挙げて挨拶すると、幼馴染は俺を一瞥し、ツンとすました表情で「おはよ」と返した。そのままつかつかと歩いて行ってしまう。俺はその後ろをついていく。


「なんでついてくるのよ」


 幼馴染は振り向いてツインテールを揺らしつつ、不機嫌そうな表情を見せた。


「目的地が同じだからだよ」

「違う道から行けばいいじゃない」

「……そんなに俺と登校するのが嫌か?」


 こんなやりとりはいつものことで、俺があきれた風に言うと、幼馴染はほほを少しばかり赤らめて裏返り気味の声を出してぷいとそっぽを向いた。


「は、はあ? べ、べつに、嫌じゃ……ない、けど……」


 仲良いと思われたら恥ずかしいじゃない……と、小声でつぶやいているのは丸聞こえなのだが、俺は聞こえなかったことにした。


「ん、なんか言ったか?」

「な、なんでもないわよ! バカ!」


 幼馴染は早足になった。ここで俺が歩調を合わせなければ、彼女はどうするだろう。たまに思うのだが、思うだけだ。

 幼馴染がこんな性格なのは、じつは昔からというわけではない。むしろ、ごく最近に突然こういう態度をとるようになった。それ以前はクラスの中ではどちらかというと地味な部類の、明るい性格だがおとなしい少女だった。


 これはそういう病気なのだ。


 記号病と呼ばれている。

 街の中央を貫くように流れる大きな川の上流から運ばれてきたという伝染病で、その存在が確認されてから早半年。今やこの街で記号病に罹患していない人間は、俺をはじめごく少数しかいない。

 そんな状況にあっても、この街はなんの問題もなく回っている。なぜかといえば、記号病が心身の健康に異常をきたすことがないからだ。

 ……いや、それでは病気とは呼べない。正確に言うならば、性格が根本から変異してしまうという異常をきたすのだが、それが本人や周囲になんらかの害をもたらすということがないのだ。


 その変異とは、性格が典型的なキャラクターの属性をもってしまうというもの。

 たとえば、幼馴染の場合は“ツンデレ”。いまどきライトノベルでも見ないような、好きな人に対して天邪鬼さや不器用さゆえに素直になれずツンツンした態度をとってしまうという、使い古しの性格だ。

 判を押したような典型的な人格、記号のようなパーソナリティを得てしまう。それが「記号病」という病名のゆえんだ。


 理想の自分を演じるのも人生のあり方のひとつなのかもしれない。だがこの記号は誰の理想だ?

 誰も彼もが得体のしれない理想に酔う街で、俺だけが素面しらふだ。

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