5.命を革む
命を革む
北校舎の屋上から、中庭を一望する。
高らかに嘶く小屋の鶏、池に泳ぐ鯉、風にそよぐ花壇の草花――そして、整然と立ち並ぶ無数の墓標。
この灰色ののっぺりとしたモノリスの群を教え子たちが造ったのだと思うと、苦々しい表情を抑えるので精一杯だ。
命の尊さとそれを弔うことの大切さを学ぶため、校内で飼育していた生き物を埋葬するという試みだそうだが……そんな題目があったところで、気味の悪さと空恐ろしい印象は覆せない。
私の勤務するこの学校は、『未来を見据えた先進教育』を掲げる、全寮制の私立小学校だ。本州某県の自然豊かな地域――身も蓋もない言い方をすれば、山奥の田舎だ――に位置し、未だかつてない学校教育を推し進めている。私などは教育学のある種の実証実験を、保護者の目につかない環境で試みているのではないかと邪推してしまうのだが……。
その『未だかつてない学校教育』とはなにか。
たとえば、『児童による自治』などわかりやすい例だろう。児童らの意思を尊重し、学内における活動の企画立案や実行が児童ら自身によって自由に行えるというものだ。委員会の活動や運動会・学芸会の企画はもちろん、課外授業の行き先や時間割の作成まで、児童らの合議によって行われる。
そもそも、右も左もわからない幼い子どもに自治などできるのか、という疑問を抱かれるだろう。
驚いたことに、現時点で問題というほどの問題はまったく生じていない。私も赴任当初はこの学校の荒唐無稽な方針には心底呆れていたが、子どももなかなかどうして侮りがたい……というべきだろうか。大人の作ったくびきから解き放たれた子どもたちは、自身らの秩序に従って学校生活を送っている。
その活動のオブザーバーが我々83名の教師陣だ。役割は指導ではなく監視に重きが置かれており、自主的活動に問題があると判断されたとき、必要に応じたレベルの介入を行う権限がある。
もっとも、驚くべきことに、その権限も6年前――とある児童が入学した時期――から、一度も行使されていないのだが……。
「せんせい」
と、不意に背後から声がした。振り向くと、そこにはひとりの少女が立っている。
校則を逸脱しないようタイを1ミリたりとも曲げずに制服を着こなす彼女の容姿には、特異さや派手さはない。だが、艶やかな黒髪と白い肌、そして整った目鼻立ちは――教師が教え子をこんなふうに評価するのは好ましくはないだろうが――端的に表現すれば美少女だ。
「……村崎」
私は彼女の姓を呼んだ。私の教え子であり、この学校の先進教育システムのひとつである『スクールカースト』の頂点に君臨する少女の名を。
スクールカースト。
言わずと知れた、米国のハイスクールなどに顕著に発生する学生間の階級社会のことだ。この学校ではそのスクールカーストを意図的に作り上げていた。学力や運動能力はもちろん、容姿や芸術的センス、性格、趣味嗜好、果ては家柄まで、あらゆる要素を総合して判断し、最上位から順に紫、青、赤、黄……と色分けしてその児童の属する地位が決定づけられる。
赴任当初、私はこのシステムにはなはだ驚かされたものだ。掲げる題目は『格差社会に耐えうる人間を育成する』ため。そんな馬鹿な。しかし、一般の学校にも不可視の格差が存在していることや、学習塾などでは学力順にクラス分けをすることを鑑みると、あえて異を唱えるほどのものではないのかもしれない。
……いささか盲目なのではないかと思わないでもないが、彼女を、村崎咲子を知ってしまった今、どうこう言おうという気にはならない。
彼女は端的に言って異質なのだ。人として根本から異なっている。誰よりも勉強ができ、運動もそつなくこなす。容姿端麗は言わずもがな、絵を描かせても歌を歌わせても一級品。人当たりもよく礼儀正しい。優等生、というありふれた言葉に収めることすら
それだけではない。
その姿は人を惹きつけ、その言葉は人を魅了し、その一挙手一投足が人を心酔させる。
いわばカリスマなのだ。もしかすると彼女がいなければ、この学校は児童たち各々のわがままがぶつかりあう紛争地帯で、いたるところでカースト上位者が弱きを
結局、彼女あっての秩序だ。この学校は彼女が君臨するためにつくられた……というのは、さすがに過言かもしれないが……。
「すみません。遅くなりました。2年生の子のけんかを仲裁していたものですから」
「構わないよ。それよりも、私に知らせたいこととは何かね」
村崎は子どものものとは思えないあか抜けた歩みで私のほうへ近寄りながら、質問に答えた。
「大したことではないのです。ですが、気づいたことがありましたので、お伝えしておくべきかと思いまして……」
あら、と言って立ち止まり、視線を中庭へと向ける。
「どうした?」
「お墓……。予定ではすでに作り終えているはずなのですが、作業が遅滞しているようですね。わたしの監督不足です」
しかしその口ぶりは淡々としていて、己のミスを悔いるような雰囲気は微塵としてない。村崎の言葉はいつもこうだ。子どもたちを引きつける他方、われわれには底知れない超然としたものを感じさせる。教師の中には彼女にうやうやしい敬語で話しかける者もいるほどだ。
村崎に倣って中庭に目をやると、隅のほうで数人の児童が灰色ののっぺりとしたものを立てようとしている。そもそもあれはなんなのだろう。一体どこから仕入れてくるのか。村崎は当然知っているだろうが、あえて聞こうとも思わない。
「あれは、幾つめだ?」
「83基めですね。鶏舎で死んでいた雄鳥のものです。全身を傷だらけにして倒れていたという話ですから、きっとイタチにでも襲われたのでしょう。放課後には簡易ながら葬儀を執り行って、そのあと埋めてやるつもりです」
2手3手先を読んで質問に答えるような受け答えに、失われた尊い命に対する感傷は感じられない。当初はこの小学生らしからぬさまに戸惑ったものだが、すっかり慣れてしまった。
今となっては、彼女が小学生であることも、本来あるべき小学生の姿も、ぼやけてしまった気がする。
「さて、先生」
「ああ、本題かね。一体なんだ?」
「あれを見てください」
そう言って村崎が指し示す先には、ひしゃげて壊れた柵があった。なにか重いものが幾度もぶつかったように見える。
「これは酷いな……」
私は柵に近づき、中腰になってその具合をよく観察した。大人にとってはもちろん、子どもにとっても、これはもはや柵としての機能を果たし得ないだろう。一体誰がこんなことをしたのだろう。村崎による統制がある中で、児童がこんな悪質ないたずらをするだろうか? とはいえ、だからといって教師がやったとも思えないが……。
「どう思いますか?」
「悪戯だとすれば酷いものだが……落下物や飛来物の可能性もあるな。どうあれ誤って落ちる者が出るといけないから、犯人探しよりも修理が先決だろう」
「そうですね」
無感動な声だった。それもそうだ。私は感動に値しない一般論を述べたのだから。
「――――」
背中に衝撃があり、私の身体は中空に投げ出された。何だ? 何を言った? 視界の端に村崎の、やはり無感動な表情を見る。彼女の足はさっきまで私の背中があった場所に突き出されていた。大人といえど私のような貧相な人間であれば、小学生の彼女にも難なく蹴落とせるらしい。中庭で働く児童らは私の転落に気づくことなく、一心不乱に墓作りに精を出している。これも村崎の指導のたまものか。全く誇らしい。くそったれだ。校舎の壁面。窓。壁面。窓。暗転。
*
中庭でお墓を作っていた8名は、せんせいの頭骨が砕ける音を聞いて作業を止め、一斉に行動を開始しました。彼らはせんせいの周りに集まると、首筋をカッターナイフで切り、それから6人がかりで運搬します。残ったふたりは清掃作業です。別の斑は棺を用意して、墓穴に設置。せんせいを仕舞って、処置をして蓋を閉め、土をかぶせていきます。
いいでしょう、満点です。彼らにはあとで褒美をあげましょう。
対してわたしはかろうじて赤点回避といったところ。この方法は身を危険に晒すうえに非効率的です。まとめて処理する方法を実行できるようにしなければ。あと1ヶ月以内に。
ここがわたしのモノになるまで。
残り82人。
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