4.空の勇者

空の勇者

 木訥とした王国騎士ロブスは5000の魔王軍を前に単身で立ちはだかり、勇者の盾となって斃れた。

 皮肉屋の聖術師ウィルは魔王の秘術を打ち破るため、その身の聖基をすべて使い果たして散った。

 放埒な盗賊のレーラは王国を裏切ったが、魔王の懐に潜り込みその命と引き替えに唯一の弱点たる心臓の在処を暴いた。

 みな帰らぬ人となった。王国600万の民の祝福を受け、願いを背負って旅立った勇者ジーン一行も、今となっては“神託の巫女”リユとのふたりだけになってしまった。

 だが、喪失がどうしようもなく事実であるように、世界が平和を取り戻したことも間違いのない現実だ。

 ……ならば、喪失を嘆くのではなく、今この手の届く場所にある愛しいものに愛を注ごうじゃないか。

 ジーンは月夜の砂漠に揺れる砂往船すなゆきぶねに同期して船を漕ぐリューの肩を抱いて引き寄せ、微笑んだ。

 ――初めてこの船に乗ったとき、彼女は不安のあまり一睡のできなかったのにな。



 魔王軍が猛威を振るっていた頃、このアルカン砂漠には《環蟲獣サンドワーム》と呼ばれる魔獣が跋扈していた。30レーズもの長大なからだをもつその魔獣は、砂中に潜伏して通りがかる行商人や積み荷を背負った駱駝らくだを食い散らかし、オアシス都市ファダルの人々の生活を脅かしていた。

 事態を重く見た近隣諸国は連合討伐軍を編成した。ファダルの存亡のためではなく、交易ルート保護のためにだ。

 しかし、その成果は全くと言っていいほどあがらなかった。常に砂の中に潜伏している《環蟲獣》に対して討伐軍はそれを探知する術を持たず、奇襲を仕掛けられるばかりで、広大な砂漠に巣喰う魔獣を根絶やしにするなど夢物語と言うほかなかったのだ。

 各国が頭を悩ませる中、帝国が開発したのが砂往船であった。《環蟲獣》の感覚器官はアルベストロ鉱山でのみ産出されるオルバ鉱を用いた物質をいっさい感知できないことを利用した、いわば隠れ蓑の船だ。砂往船は聖基動力によって砂上を時速12バルで推進する。三日三晩をかけて帝国の辺境都市ルーガからファダルまでを結び、補給ののちさらに丸二日かけて王国の小都市エルパンまでを結ぶ。

 ジーンとリユは、以前は5人で乗ったこの船にふたりきりで乗っている。魔獣はもういないが、長い戦争のせいで駱駝の数も不足している。歩くよりは船旅のほうがよほどいい。



 砂漠の冷たい夜が明け、朝日がジーンの顔を照らした。うっすらと目を開けると、太陽を背にファダルの美しい街並みが見える。魔獣対策の城壁は無粋だが、いずれ撤去されることだろう。


「ん――」


 伸びをして、自身に肩を預けて眠る少女に目をやる。頬にかかったやわらかな金髪を人指し指でよけてやると、リユは身じろぎした。目を覚ますかと思ったが、その気配はない。そういえば彼女はよく眠る娘だ。宿のベッドでも、魔物の催眠魔法でも。

 結局、接岸するまでリユが目を覚ますことはなかった。肩を揺すって起こしてやり、手を取って砂上に立つ。


「くぁ……っ、あ、やだ……」


 大きなあくびをして、リユは赤面した。


「宿に行って、もう少し寝るか? 船の寝心地は悪かったろ」


 聖基動力の補給のためにファダルには少なくとも丸一日は滞在することになるから、どのみち宿は取ることになる。それに、勇者の来訪に街の人々は喜びを隠せない様子だから、きっともてなしでもされるだろう。喧噪を避ける場所が必要だ。


「勇者様がおっしゃるのでしたら、そうしましょう。でも……」


 寝心地は悪くありませんでしたよ、とリユは微笑んだ。



 王国がバックについているとはいえ、当然ながら路銀や食料が絶え間なく補給されているというわけではない。勇者の旅に節約は不可欠だ。戦闘で命を落とさないための十分な装備、体調を損なわないための健康的な食事。それらに比べると、宿の優先順位は一段落ちる。もちろん疲労回復にはより質の高い設備とサービスがものを言うが、そもそも魔王討伐の旅をするような人間は、木の根を枕に枯れ葉の布団で寝るような環境でも翌朝には全回復するくらいの図太さがなければ到底やってはいけない。

 とはいえ、今は帰路である。多少宿代を奮発したところで後々苦しくなるということもなかろうし、贅沢をしたって罰は当たらないだろう。ジーンの選んだ宿は普段よりも倍は高級な宿だった。


「絶対やっちゃいけないことがあんのよ」


 宿の女将である50代くらいの女性は、チェックインの作業をしながら言った。


「えーと、なんだったかしらね。とにかく、決まった行動をすると世界がひっくり返るような災いが起きちゃうんだって。詳しいことは忘れちゃったけど、たしか、部屋に注意書きがあるから。1泊80デルね」

「曰く付きの部屋なのか?」

「ごめんなさいね。でも、来る人が増えたから他の部屋はもう埋まっちゃってるのよ。これも勇者さまさまってわけ」


 この宿に来るまでの道中、街の人々はジーンを大いに歓迎してくれた。市長は勇者をもてなすために街中を飾り付けて宴の用意をするよう命じ、病床の母親は息子に支えられて涙ながらに感謝の言葉を告げ、露天商は売り物の中でも一等高級なものをタダでくれようとした。食堂の前を通りがかったときなど、客も店員も一緒になって押し寄せて来るものだから大混乱だった。

 嬉しくないといえば嘘になる。だが、ジーンは必要以上に賞賛されるのは苦手だった。

 その点、この宿は他の部屋が空いていないからと、当然のように勇者をいわく付きの部屋に案内しようとする。ジーンはそれに嫌悪感ではなく、好感を抱いた。

 それに、もうひとつ嬉しかったのは、いわく付きゆえか宿代が旅の中で利用してきた宿の半額以下だったことだ。染み着いた貧乏性はそう簡単には抜けてくれない。王国に帰っても質素な生活をすることになりそうだ、とジーンは我が事ながら苦笑した。



「災いなんてない。それを証明してやろうじゃないか」


 部屋に入るなり、ジーンは言った。


「えっ、さっそく禁忌を犯すつもりですか」

「まあな。人々の不安の種はどんなに小さくても取り払ってやるのが勇者の役目だ」


 ジーンはベッドサイドのテーブルに置かれたメモ書きに目を通す。女将の言うところの「やっちゃいけないこと」がそこには書いてある。


「ふっ……ははは! 見てみろ、これ。こんな迷信があるか?」


 笑いをこらえきれなかったジーンが、リユにメモを手渡してきた。目で文字を追い、声に出す。


「鞄の中身を23回覗き、そのいちばん底にあるアイテムを使い、部屋を1周し、ベッドを3回調べ、それから窓の外を見るべからず。災いが起きてしまいます。……こんなことする人いるんですか?」

「さあな。だが、するなと言われてしたがる奴は少なくないし、実際にした奴もいただろう。それで、世界はひっくり返ったか?」

「ふふ。なるほど、これは嘘っぱちですね」


 リユも笑った。

 聖術や魔術の中には、一見して意味のなさそうな行為が術式としての意味を持ち、発動のキーとなっているものがある。しかし、いくらなんでもこんな意味不明なものはリユの記憶するあらゆる術式に符合しなかった。


「さてと」


 ジーンは肩から提げていた鞄を床に降ろし、中身を覗き、目を逸らし、覗き、逸らし……


「本当にやるんですねえ……」


 リユは呆れと苦笑と、それから少しの愛おしい気持ちの混じった表情でジーンを見つめる。視線の先でジーンは回復薬を飲んでいる。彼はたまに妙なことにハマったり、普通なら避けて通るような道に好奇心だけで突っ込んでいったりすることがある。出会って間もない頃はそんな性格に振り回されたりもしたが、今となってはすべてが愛すべき魅力だ。


「あとは、部屋1周と……なんだった?」

「ベッドを3回調べて、窓の外を見るべからず、です」

「そうか、ありがとう」


 じつは街の人がみんなグルになって俺たちをからかってるのかもな。ジーンはそんなことを言いながら部屋を壁沿いに周る。その姿を決して視界から外しはすまいという風に、リユはくるりと1回転。巡る星みたいだと思って内心で笑った。


「ベッドは……どっちを調べればいいと思う?」

「え……お好きなほうを」

「そうか。じゃあ、窓に近いほうにしようかな」


 ジーンはベッドを3回検分した。少し古いが、とくにおかしな箇所もない。そのことを確認すると、窓際に近寄った。

 リユはそれを固唾をのんで見守る。たとえ眉唾でもまじめに取り組む様を見ていると、知らず知らずのうちに自分まで真剣な気持ちになってしまう。今のところ、怪しげな術式が発動している気配はなかった。


「うん。なんともない。平和な街並みが見え――」


 次の瞬間。


 


「っ……!?」


 鼓動が急加速し、いやな汗が吹き出るのをリユは感じた。窓の外でジーンが戸惑いの声を上げている。そこに確かに存在しているはずの窓を通り抜けてしまったこともおかしいが、それだけではない。この部屋は2階にあるのだ。ジーンは地面に向かって転落していなければならない。


「勇者様っ!」


 数秒の硬直のあと、あわてて駆け寄って窓を開いた。

 ジーンは空中に立っていた。そこに見えない床が存在しているかのようだった。


「リユ……これは一体どうなっているんだ? 何かの術式か?」

「わかりません……。わたしにも何が起こっているのかさっぱり……」


 ジーンは窓に向かって手を伸ばした。窓をすり抜ける……ことはなく、触れた。窓枠を跨いで部屋に戻ると、その足は板張りの床に確かに接している。


「……ふーむ」


 ジーンはふたたび窓枠を跨ぎ、室外に出た。リユは慌てて止めようとしたが遅かった。

 やはりジーンは空中に立っていた。



 女将にこれが「災い」とやらなのか確認をとろうと1階に降りようとしたが、ジーンは階段を降りることができなかった。階段がガラスで封じられているか、床に描かれた絵のように思えたが、リユは問題なく降りることができた。

 どうやらジーンは座標が空中に固定されているようだった。

 ふたりはこの異常な状況を打開すべく、ごく原始的な方法から高度な神秘術に至るまで、できうる限りのあらゆる方法を試した。

 しかし、それらが実を結ぶことはなく、ジーンはとうとう空中に立ったままの凱旋を余儀なくされた。意外にも王国の民は歓喜した。空に立つ勇者。その姿はまさに奇跡の体現者だったからだ。

 勇者ジーンは空中で眠り、空中で目を覚まし、空中で食事を摂り、空中で愛し合い、空中で子供たちと遊び、空中で老い、空中で妻を看取り、空中で病に倒れ、空中で天寿を全うした。遺体になってもなおその身は空中にとどまり続けたから、人々は苦労して亡骸なきがらを棺に収め、焼いた。灰になってもなお空中にあり続けたから、墓も空中に作ることになった。

 王都の中心にある記念公園の一角に、宙に浮くモニュメントがある。勇者は今、その中で眠っている。

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