友達とはあい成らず(4/4)

 結局、私はカブトムシのことは下等生物として見下していた。他の使い魔だってそうだ。他人もそうなのかもしれない。

 相手を見下している限りは、どんな手を尽くしたって本当の意味で友達にはなれない。

 そんな当然の話すらわからないほど、私は友達というものについて無知だった。


 使い魔たちは私にどんな感情を向けていただろう?

 敬愛? 畏怖? 憎悪? 同情?

 わからない。

 表向きは従って見せても、その内心は読みとれない。使い魔との契約は思考を共有できても、心までは通じあえない。

 あのとき、カブトムシはなにを思っていたのだろう。

 あのとき、カブトムシはなぜあんなことをしたのだろう。


 当時の私は他人から寄せられる感情に無頓着で、その性質は言うまでもなく、それが私にどういう影響を与え、いかなる結果をもたらすかについても、全く顧慮しなかった。

 私の一挙手一投足が他人を怒らせようが、妬ませようが、恐れさせようが、みんなどうでもよかった。

 そもそも他人を理解することを拒否、いや、忌避していた。他人と向き合うことから逃げ出して、自分とばかり向き合っていた。

 人との関係をあくまでもその場限りの、うわべだけのものとして捉えていたのかもしれない。自分のために関係を持つのであって、自分のためにならない他人と関わりたがらなかった。

 そんな私が友達をほしがるなんて、お笑い草のおこがましい話だった。


          *


 私がクラスメイトに騙されて別棟の湿った空き倉庫に閉じこめられたのは、まさに他人から寄せられる感情への鈍感さゆえだった。

 それはカブトムシに飽きて、部屋に置いておくことの多くなったある日の朝のこと。その倉庫は半地下で、円筒状の空間の上部に備え付けられた鉄格子付きの窓からわずかな日光が穏やかに差し込んでいた。

 窓は換気のためにあるのかもしれないけれど、実際には雨水を流れ込ませることにしか役立っていないのか、ぬめるような湿気とこけかびとが混じり合った臭いははなはだ不快で、呼吸もしたくなくなるほどだった。閉じこめられている間、私はずっと口を真一文字に結んで、眉間に少ししわを寄せていたように思う。

 木製の分厚い扉は傷んでいて、たぶん魔術で施錠されていたとは思うけれど、それでもその気になれば私には魔術で簡単に破れただろう。手首にかけられた枷だってその片手間に解除できたはずだ。

 けれども私はなにもせず、ただ茫漠ぼうばくとした疑問とともに閉じこめられていた。


 なんで私はこんなところに閉じこめられているんだろう?

 目的はなんだろう。私をどうしたいんだろう。

 どこを見ても変わり映えのしない石壁に、疑問だけが渦を巻いて巡った。

 空き倉庫に閉じこめられるときに揉みあったから、靴が片方だけ脱げて、おそらく扉の外に転がっている。靴を履いた左足と素足の右足で歩くと、ず、ひたり、ず、ひたり、とすすり泣きのような音が染みこんでいく。

 疑問をよそにじわじわと私を苛んだ空腹感は常に頭の隅にこびりついていて、それだけがわずかな苛立ちの源だった。それはかえって精神的には安定をもたらしたかもしれないけれど、落ち着いたところで疑問に答えは出なかった。


 陽がほとんど沈みきってしまって、自分の手のひらの皺すらはっきり見ることができなくなった頃、足音が聞こえた。別棟は人の出入りが少なくていつも静かだから、それは明瞭に響きわたった。笑い声も一緒だった。

 笑い声は空想上の人間を嘲り見下すもので、恍惚にはずいぶんと気が早い。これは私への期待でもある。当時は気づかなかったけれど、私へ向けられる期待の中には、たまに失敗や恥辱を求めるものが混じっているのだ。

 ごく単純な術式を無駄の多い工程で解除し、合鍵を挿して扉を開けたのは、見覚えのある顔だった。驚愕と、戸惑いと、それから少量の恐怖が混じった表情は初めて見るから、判別するのに時間がかかったけれど、クラスメイトの、名前をよく覚えていない男の子。私を閉じこめた少年だ。

 彼らが期待したのは、普段とさして変わらない私ではなかっただろう。みっともなく怯えて震えて泣き叫んで、暴れ、喚き、助けを乞い、水滴と湿気と蜘蛛の巣と石壁の冷たさと影と音とに押しつぶされてぐしゃぐしゃになっている私のはずだ。

 あまりにも未熟で迂闊な期待だ。不徹底も甚だしかった。本当に私を制圧したいのであれば、石壁に隙間なく幾重にも呪言を刻み込んで結界を作り、一呼吸ごとに心臓を締め付けて呪い殺すような気でいなければいけなかった。


「おっ……おまえ、どうして」


 震えた声を発した男の子の動機を知ったのは、全部が終わったあとのこと。

 彼には妹がいて、その妹は素直で純真な性格が周囲を惹きつける魅力的な少女だった。けれど、ある日を境にとある上級生に心酔し、執心し、やがて失恋したと嘆きに嘆いて塞ぎこむようになってしまったという。

 その妹とは、他でもない私があの日友達にしようとした女の子で、とある上級生とは、言うまでもなく私だ。

 妹を傷つけられた彼は怒りに燃え、私に復讐しようとしたのだ。


 戸惑う彼を、私の平たい視線が打ち据える。

 攻撃されたから反撃するとでも言わんばかりに、彼は私を殴り飛ばした。行く先を失って暴発した思考と感情が、堅く握られた拳の形を得て、改めて私を攻撃したのだ。

 明確な敵意の凝固したものに殴り飛ばされ、石壁に頭を打ち付けて、口に広がる血の味の気づいて、そこで私はようやく彼らのことを少しだけ理解した。そうなると途端にわき上がってくる感情の怒濤があった。

 彼は荒い息を吐きながら、杖を構えて呪文を唱え、こちらへにじり寄ってくる。これまではいてもいなくても同じ存在だったのに、いまは恐怖の輪郭を明らかにしていた。

 私がそのとき叫んだ言葉を、わたしは覚えていない。きっと助けを求めていた。それは無自覚に口を衝いて噴き出したもので、それでも、大きな力を持った言葉だった。


(防衛防衛防衛。壁、盾盾盾)


 目の前でカブトムシが砕け散っていた。杖の先端から放たれた光は、とるに足らない虫の1匹のためにその力のすべてを使い果たし、ばらばらになって消えた。


(成功成功。歓喜)

(感謝)

(愛情――)


 私の中に流れ込んでくる、単純で原始的なものの奔流。それにあまりにも疎い私には、到底理解しえなかった。けれど、不思議と私の頬には熱く伝うものがあって、それが私の意志を固めた。

 男の子は自信の渾身の一撃が一瞬にして消し飛んだことに戸惑っているようだった。これが駄目なら次の手だとでも言うかのように、彼は術符を取りだした。

 その符に刻まれた呪言には誤りがあったから、私はすかさず燃やした。誤った呪言は不発に終わればいいけれど、最悪の場合は暴発してこの別棟くらいは倒壊させてしまう。

 起こったことを理解できなかった様子のか、彼は妙な悲鳴を上げて半ばまで燃えた術符を放り投げた。

 私は慌てる彼を弾き飛ばして尻餅をつかせると、靴と床を凍らせて動けないようにした。

 呪文を唱える必要がないくらいに染み着いた私の魔術は、怒りも憎しみもあっさり吹き飛ばしてしまったらしい。彼はできもしないのに後退りして私から逃げようとする。

 枷を壊して静かに立ち上がると、私は彼の横を通り抜けて倉庫を出た。ひんやりした空気が心地よかった。転がっていた靴を履いて、今日受講できなかった講義がなんだったかを思い出す。たぶん、受けなくても問題ないだろう。

 もう涙は流れていなかった。


          *


 その年の秋に私はまた飛び級して、あの男の子の上級生になった。復讐事件は話題にならないうちに学校側が内々に処理してしまったそうだから、もしかすると彼はもう下級生ではなかったかもしれない。ともあれ、彼や彼の妹との関わりが切れたことは確かだ。

 使い魔の研究は趣味になった。友達を作るのではなく、純粋な知識欲のため。植物の使い魔化を応用した促成栽培に成功するのは飛び級から1年後の話だ。

 結局、私は私のまま。


 あのとき、カブトムシはなにを思っていたのだろう。

 あのとき、カブトムシはなぜあんなことをしたのだろう。


 私の心に残るのは、いまやそれだけ。

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