友達とはあい成らず(3/4)

 誘惑魔術のことは諦めた。けれど友達を作ることは諦めなかった。

 次の手段を模索した。魔術書を手当たり次第に読みあさり、どこかに友達を作る魔術はありはしないかと血眼になって探した。恋情をわき上がらせる魔術があるなら、友情を抱かせる魔術があってもいいはずだ。

 数十冊を読破して、ようやくたどり着いたのが『使い魔』だった。


 使い魔とは、術式によって魔術師と契約――多くは一方的なものだけれど――を結んだ動物のこと。相棒だったり、小間使いだったり、研究助手だったり、実験動物だったり、その役割は多種多様だ。

 契約の内容もまた様々。お互いになんの強制力も持たない、絆を結ぶだけのものから、意識や感覚を借りるもの、果ては本能も自由意志も奪って操り人形にしてしまうものまである。

 私は友達を作りたかったのに、使い魔とは主従関係を結ぶことにした。誘惑魔術の時みたいな予想外の裏切りをされたくなかったから。論理的ではない。


 動物と友達になる、というとずいぶんメルヘンチックで気恥ずかしくもあるけれど、当時の私はいたって真面目だった。

 動物はあくまで実験で、最終目標は、人間を使い魔にして友達にすること。

 倫理も道徳もあったものじゃない。とんだ妄想と笑い飛ばしたいところだけど、人間を使い魔にした事例はいくつかあるので笑えない。


 ひと月たらずで10匹ほどの使い魔と契約した。黒猫、からす、犬、馬、蝙蝠こうもり蜥蜴とかげかえる、金魚……。

 人間を使い魔にすることを目標に掲げているのだから、少しずつ人類に近い生物を使い魔にしていくべきだ。

 それなのに蜥蜴やら蛙やら、明らかな逆行をしてしまったのは、実験に使える類人猿を手に入れられなかったことと、少なからぬ好奇心。本来の目的の上での収穫は皆無に等しかったけれど、動物ごとの性質の違いを見つけるのは楽しかった。


 哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、そして植物にまで手を伸ばして、身近にいる中でまだ手を出していないのは虫くらいだろうと思って、虫の使い魔を作ることにした。

 この頃は脱線も極致に達していたけれど、おかげで倫理を踏みにじらずに済んだと思えばよかったのかもしれない。


 虫を使い魔にするなら、ちょっとした油断で殺してしまうことがないようにある程度大きいもの、そして見た目の嫌悪感は小さいものが良い。

 ちょうど夏だったから、虫は探さなくても見つかるくらいたくさんいた。

 木々からはせみの喧噪、石を裏返せば団子虫だんごむし。古い倉庫の屋根には蜘蛛くもがいて、床には百足むかでが這っていた。池で滑るのは水馬あめんぼ、その上空には蜻蛉とんぼのつがい。

 蝉はうるさいから駄目。団子虫は小さすぎる。蜘蛛や百足は見た目が悪いし、水馬は水生だから扱いづらい。蜻蛉はつがいを引き離すのがかわいそうだ。

 数は多くても、これだというのはなかなか見つからなかった。

 使い魔におすすめの虫を紹介する本なんてないし、先生に聞こうにも質問がばかばかしすぎてはずかしい。相談する友達はいない。


 どうしたものかと自室の窓辺でため息をついていたら、私に向かってなにかが飛来した。

 それは私の頬をかすめて部屋に飛び込んで、壁に掛けていた替えのローブに止まった。黒っぽいからだは布地との境界が曖昧で視認しづらい。

 そっと近づいてみると、それはカブトムシだった。

 カブトムシは夜行性の虫じゃなかっただろうか? けれどいまは日の燦々さんさんと照りつける昼間だ。

 変だなと思いつつ、同時に「これだ」という確信めいた感覚が脳裡のうりを走った。

 窓を閉め、意を決して手を伸ばすと、カブトムシは思いの外あっさりと捕まった。


 使い魔と主との間には魔力の源であるマナのリンクがあるから、思考のみで意志疎通を図ることができる。もちろん使い魔の知能にもよるから、必ずしも伝えたいことが伝わるとは限らないし、伝わっても応えるとも限らないけれど、語りかければなにかしらのリアクションがあるものだ。

 ところが、私が使い魔にしたカブトムシときたら、なんの反応もしない。

 なにを言ってもじっとしているばかりで、まるで死んでしまったかのよう。思考を覗いてみても原始的な記号の奔流が見えるばかりで、コンピュータの中をのぞき込んだ気分になった。

 主と使い魔という関係でありながら、全く通じあえていない。こんなことがありえるだろうか?


 私はもはや目的を見失って、おかしな方向へ走り出していた。

 この虫は興味深い。そう思って、徹底的に調査して調教してやろうと息まいていた。

 あれだけ固執していたはずの『友達』はいつの間にか隅に追いやられて、見向きもされなくなった。知的好奇心が私の友達だったのだ、なんて言っても救われはしない。


 カブトムシと昼夜を問わず一緒に過ごす日々は、いま思えばあまりにも異様だ。

 周囲の人々はことごとく私を忌避した。当然だ。カブトムシと言ったって虫は虫、そんなものを四六時中侍らせているような変人とはお近づきになりたくないというのは、当然でごく自然な反応だ。

 教室で、カブトムシを肩に乗せて講義を受ける私に先生は戸惑いの混じった声で問うた。

「それはなんだね」

「カブトムシです」

「なぜ教室に連れ込んでいる」

「魔術師が使い魔と一緒にいるのは当然のことではないですか」

 当然のことではない。

 けれども先生は「そうか……」と諦めたようにつぶやいて、講義の続きを始めた。


 カブトムシとともに過ごした時間の成果は、ものの数日であらわれた。単純な命令であれば聞くようになったのだ。

「歩いて」と言えば歩きだし、「飛んで」と言えば宙を飛び、「止まって」と言えば空中であっても動きを止めた。

 ただ、奇妙なことに「歩け」や「飛べ」や「止まれ」ではいまいち反応がよくない。不満げ、というか、なにか言いたげに見えた。

 まさかとは思うけれど、虫のくせにプライドが高くて命令形じゃ嫌だとでも言うのだろうか。なにを考えているのかは依然としてわからない。なにも考えていないのか?


 奇妙なことはもうひとつあった。

 カブトムシは私の肩に止まっていると、ときおりギイギイといささか耳障りな鳴き声をあげるのだ。私はそれを聞くと内蔵の内側を撫でられるようなぞっとする気分になるので、そのたびカブトムシを振り払った。


 その後は成果らしい成果が得られない日々が続いた。

 カブトムシはこれといった変化を見せず、漫然と研究する日々が続いた。虫の命の短さを思うと、時間が経つにつれ焦らなくもなかったけれど、同時に飽きと諦観とがその体積を増していき、私とカブトムシの関係は倦怠的な状態へと移っていった。

 私がカブトムシを相手にする時間が減ると、それに反比例してカブトムシは頻繁に鳴くようになった。それは私を叱咤する声だったのかもしれないけれど、私はそれに尻を叩かれてやる気を取り戻すようなことはなかった。むしろ、やめろといってもやめないものだから諦めを強めることになった。

 やがて、カブトムシは使い魔としての契約を結びながら、ただ自室で飼育しているだけの虫になり果てた。

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