友達とはあい成らず(2/4)
使い魔の研究に没頭したのは、もう3年も前のことだ。
魔術書を熟読して、知識を吸収して、実践を繰り返した。黒猫や鴉、犬や鳩、果ては蛙や魚に至るまで、いくつもの眷属を従えては逃がすということをひたすら続けた。
魔術師で食べていくなら、使い魔の作成は要不要はともかく、できてしかるべき技能だ。系統樹をもとに体系化された術式は動物の種類ごとにパターンが違っていて、さらに個体ごとの調整が必要だから、面倒ではある。けれど、ただ時間がかかるだけで難しいわけじゃない。
たとえば、廊下を1往復することと10往復することとに、所要時間の差はあっても難度の差はないはずです。
……そう言ったら先生は苦々しい表情を浮かべた。
当時の私はまだ中等科で学んでいて、周囲の他人は私を天才だとか神童だとか呼んだ。試験ではいつも圧巻だったし、おかげでいくつか飛び級もしていたから、私の能力は具体的な形として実感できるものだった。
形あるもの以外は、ぜんぶ味がなくて空疎だったけれど。
当時の級友――と言っても歳は5つも6つも上で、親しい交流なんてできなかったけれど――が私にどういう感情を向けていたかは、いま思い出してみればそれはとても明快なものだけれど、当時はまるで理解していなかった。
賞賛。敬意。嫉妬。軽侮。そういうものの上で、私はぷかぷか浮いていた。そして私を浮かせる彼らとは相容れないのだと、それだけはわかっていた。
天才とは孤高なのだよ。
そんなことを言う人もいた。けれど、孤高になりきれない私は孤独だった。
孤独は寂しい。もしかしたら、それは価値観じゃなくて本能なのかもしれない。
いつもひとりぼっち。手を伸ばしても誰にも触れられない。暗闇のような時間。
対等に在る相手を、手をとってくれる誰かを、光をもたらす人を望んだ。
友達を、私は渇望した。
*
私は魔術を使って友達を作ることにした。
普通に誰かと仲良くすればいいのにと思うのはもっともだけれど、当時の私にその方法はわからなくて、魔術のことはよくわかった。だから正しいか誤りかはともかく、近道を選んだのだった。当然誤りだったけれど。
はじめに手を出したのは誘惑の魔術だった。
これは本来、主に対象の恋愛感情を錯覚させたり、性欲を昂進させたりする魔術だ。科学的な根拠のあるものから、民間に伝わる事実無根のオカルトまで、幅広い誘惑魔術が存在する。
私はこの魔術の効力を弱めれば、相手を友達にする魔法にできる魔術になるのではないかと思った。
それはもちろん間違いなのだけれど、当時の私はそんなことは知らなかったし、気づけなかった。
アイデアの欠点が致命的であればあるほど、それに気づかないうちはすばらしく思ってしまうもの。
私は思いついたその日の放課後、図書館に駆け込んで誘惑魔術に関連する書物を片っ端から読み込んで基礎をたたき込んだ。
次の日の朝はいつもよりも早く寮を出て、適当な同級生を見つけて誘惑魔術を使った。
私が使ったのはいわゆる呪言を唱える方式のもので、耳にした全員に効力がある。呪言はそれを完全に『解読』していると効力を発揮しない(つまり、基本的に術者自身には効果がない)けれど、誘惑魔術の呪言は高等科までのカリキュラムには組み込まれていないし、中等科の生徒に理解できるレベルのものでもない。
友達なら同性がいいと思って被験者には女子生徒を選んだけれど、無事に成功したらしく、私を見た途端に顔をぼうっと上気させ、なにか話しかけようとした。それを聞く前に解呪した。彼女はなにが起きたのかわからない様子できょとんとしていた。
講義を聞き流しながら私は呪言の希釈を試みた。昼前には完成して、昼休みに早速試すことにした。とても気が逸っていた。
友達は同じ年頃がいい。初等科の校舎に潜り込んだ私は、人気の少ない廊下をひとりで歩いている栗色の髪の女の子を見つけて、呪言を唱えた。
彼女と私の視線が一瞬だけ交差した。一瞬だったのは、彼女がすぐにうつむいて目を逸らしてしまったから。
失敗したか、と思った矢先、彼女は「んふ」と声を漏らした。心にざわめきを感じたのは、不安と期待とがまぜこぜだったから。
彼女は顔を上げて私を見つめた。きらきらと輝く大きな青い瞳に吸い込まれてしまいそうだと思った。
「中等科の……ひと、ですよね。どうしてここに?」
私が中等科の生徒だとわかったのは制服のデザインが違うからなのだけれど、そのときの緊張した私にはそれを理解するのに少しの時間がかかった。
そういえば、友達ってなにを話すんだろう。どう答えればいいんだろう。
魔術のことばかり考えていて、いちばん肝心なことはなにも考えていなかった。
「え、と……。あなたと、友達、に……なりたくて」
嘘をついた。だって誰でもよかったんだから。
そもそも、見ず知らずの上級生が友達になりたくて下級生に会いに来るなんて、そんな妙な話があるものだろうか。
けれど魔術というのはよくできたもので、彼女はそんな不可解さには全く触れることなく、直視しがたいほどの笑顔を私に向けた。
「やったあ! 嬉しいですっ!」
彼女は私に飛びついてきて、さして体格差のない私はその体を受け止めきれずに尻餅をついた。
それから、私と彼女とは一緒の時間を過ごすようになった。
朝は寮から学舎までの短い道のりで語らい、昼は食堂で昼食をともにし、講義が終われば図書館で一緒に勉強した。
初等科と中等科は校舎が違うから、一緒にいられる時間は限られていたけれど、わずかな時間のひとつひとつが私にとってはなによりも嬉しかった。
目を覚ますことも、勉強することも、お風呂に入ることも、眠りにつくことも、全部が幸せに通じた。いつも友達のことを考えていたから。まるで自分が魔術をかけられたみたいだった。
私は孤独じゃなくなった。
けれど、それもほんの短い間のこと。
私と彼女の関係はあっさりと崩れ去った。いや、もとより破綻した関係だったというべきかもしれない。
*
それは、いつものように放課後の図書館で勉強していたある日のことだった。
私が教えて、彼女が解く。学年の違いから、必然的にそれが常だった。
普段は日が暮れる頃には彼女は疲れて、「そろそろ帰りましょう」と言って私も帰りの支度を始める。けれど、その日は試験が近いこともあってか彼女はいつになく真剣で、夏の長い日が暮れてなお音を上げずにノートに向かってペンを走らせていた。彼女が「この前の実技試験で一番だったこと、兄さんがほめてくれたんです」と言った彼女の屈託のない笑顔と、立て付けの悪い窓から吹き込んでくる隙間風がカーテンを揺らしていたことをいやによく覚えている。
気づけば私たち以外に生徒はいなかったし、司書も私に戸締まりと鍵の返却を言いつけて帰宅してしまった。
ふたりきりだ。私が思ったそのとき、
「……いま、ふたりきりですね」
彼女はそうつぶやいた。
私は教本に落としていた視線を彼女に向けた。彼女も私を見ていた。見つめていた。
彼女の顔が熱を帯びているように見えたのは、ランプが暖かい光を放っていたからじゃない。彼女の秘めた感情が熱を放っていたからだ。
夢を見ているようなとろけた目で、熱い視線を向けている。
それはいつか見た、わたしが名前も知らない誰かに向けさせた感情。
恋。
私がなにかを言うよりも先に、彼女は身体を傾かせて私に預けた。吹き込むの風のせいか、その身の温みはランプの灯なんかよりよほど熱く感じられた。私はそれで火傷して、焼き切れてしまいそうな気がして、ようやく己の間違いに気がついた。
「やめて……!」
その声は私が生まれてから発した中で一番大きかったかもしれない。
彼女を突き飛ばして立ち上がり、椅子に足をぶつけてもつれさせながらも後退りした。床に尻餅をついた彼女は後頭部を机の脚にぶつけた。鈍い音が不快感を催した。
「友達はそんなことしない!」
痛みすら忘れて呆然とした彼女は、私の表情を見て――それがどんな表情か、当の私自身はわからないけれど――、クッとしゃくりあげた。
円い目から大粒の涙が零れる。落ちていく大切ななにかを受け止めようとするみたいに、彼女は手のひらの付け根のあたりで涙を拭う。ごめんなさい、ごめんなさいとびしょ濡れの声で繰り返される言葉に思わず顔をしかめた。
にわかに吹いた風がごうと唸って立て付けの悪い窓を打ち開き、彼女の言葉を覆い隠した。私は鞄をつかむとすかさず走ってその場から逃げ出した。
全部に裏切られたような気がしていた。
*
自室に戻るやいなやベッドに突っ伏した。特待生に与えられる無駄に広い部屋は空洞みたいで、それを見つめるのが嫌だったから。
眠りに落ちて、数時間後に目を覚まして、焦りも恐怖も緊張も落ち着いて、ようやく冷静にものを考えられるようになった。
今回はイレギュラーだったのかもしれない。実験だったと思えばいい。今回の失敗から得られた成果はなに? 原因は? 希釈が足りていなかった? 効力を弱めたつもりで、じつは遅効性にしていた? それとも他のなにか?
考えられる理由をリストアップして、その日は眠りについた。そもそも恋情と友情がまったくの別物とはたと気づいたのは、翌朝リストを眺めてみたとき。リストを破いて捨てた。
ばかばかしい。
……でも、まだ。
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