のうなし

コオロギ

のうなし

 もうひとり、自分がいればいいのにとずっと思っていた。

 ひとりでいるのには慣れているし、大勢でいるよりずっと楽だったけど、もし、相手が他人じゃなくて自分自身だったのなら、自分相手なら、楽しく、気持ちよく過ごせるんじゃないかって思っていた。

 そんなことを考えていたせいか、午後の講義が休講になりまっすぐ帰宅したアパートで、こたつにぺたあっと陣取ってだらけている自分とバッティングしてしまった。

 わ、いるなあっていうのと、なんで頭がないんだろうっていう不思議があったけど、それはどう考えても自分だった。頭がないのに自分がこっちを見てにっこり微笑んだのが確かに分かったから、なんだかほっとしてこちらも微笑み返した。

 さすがは自分自身といった感じで、こちらが寂しいとき、自分はそっと自分に寄り添って、ときにはぎゅっと抱きしめてくれた。こちらがぴりぴりしているとき、自分は適度な距離を保ち、絶対にこちらに近づかなかった。こちらが楽しいとき、自分はいっしょになって転げ回って遊んでくれた。

 自分との生活は、思った以上に快適だった。好きなことも嫌いなことも、得意なことも苦手なことも全部わかっている。

 半面、どんどん外に出るのが嫌になった。理解されている状況に慣れて、他人が何を考えているのかますます分からなくなってしまった。

 そして本当に一歩も外に出ることができなくなって、いくらかの時間が流れたとき。

 どうしようもなく死にたくなった。

 キッチンの前で、頭のない自分が包丁を持って突っ立っているのが見えた。

 殺してくれるんだと思ってその刃を突き立てられるのを待っていると、自分はぶんっと包丁を振り上げると勢いよく自分自身の腹に突き立てた。腹からは血が溢れ、頭のない自分は膝を折った。

 あっけなく頭のない自分は死んだ。こちらの気持ちを完璧に把握し寄り添ってくれた自分が、どうして自分を殺さなかったのか、すぐには理解できなかった。

 しかし、だんだんと事態が飲み込めてくると、自分が盛大な勘違いをしていたことに気づいた。頭のない自分も、結局は自分にすぎないのだ。

 自分が、寂しかったからすり寄った。

 自分が、苛ついていたから近づかなかった。

 自分が、楽しかったから笑っていた。

 そうやって、ただ自分勝手に振舞っていただけだった。

 気づいた途端、猛烈な息苦しさを感じた。それはどうしようもない耐えがたいものだった。頭を抱えて首を振り、こんな苦しみから一刻も早く解放されたい、そう切に願った。

 ごとん、と何かが足元に落下した。

 そのあとにはもう、今まで感じていた苦痛もすべて抜け落ちていた。

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のうなし コオロギ @softinsect

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