【2】

1 テト/「二つ目は、お前を殺すことじゃ」

 目的地は、テト、ソラ、ミューの三人の内誰も想像していなかった場所――林への入り口だった。

 

 どこからどこまでかが高い塀で囲まれており、ちょうど車が門の前にたどり着いたことによりナビの案内が終了したので、ミューはそこで停車する。


「ついたみたいだけど。どこ、ここ」


 ミューが、垂れ気味の目を細めてそう言った。


 三人共車から降りて、白く大きな門の前に立つ。


 三人の鼻腔を突いたのは、たくさんの木々、草、そして土の、自然でどこか湿っぽい匂いだった。


『運転手は入るな』


 門のどこかにスピーカーでも設置されているのか、正面から男の声がした。


『ここから先、行けるのは二人のみだ』


「ぼく?」ミューは自分を指差す。「じゃ、こっからはテトとソラだけか」


「ミュー、ありがとう」


 テトは、自らの手をミューに差し出してそう言う。


 ミューも、白い手を差し出し、テトの手を握った。


「うん……気をつけて。何かあったら、連絡してくれてもいいよ」


「ミューも、帰り気をつけて」


 互いに手をぱっと放し、放たれた手を軽く上げ、別れの挨拶をした。


 ミューは車に戻ったが、なかなか発車しなかった。一応、二人の姿が見えなくなるまで見送るようだった。


 重たそうな門の二枚の扉が横にゆっくりと開き、テトとソラを林の奥へと誘う。


『そのまま真っ直ぐ歩け』


 ソラが不安そうに目に力を込め、テトを見る。


「ちょっと寒いかも」


 ソラが腕をさすりながら言う。撮影現場での衣装そのままだったのであろう、鎖骨から肩にかけてが大きく開いた黒いワンピース姿のソラは、テトと比べて確かに寒そうに見える。


 テトはソラを引き寄せ、その肩をさすった。


「どこまで歩かされるんだろう、僕たち」


 自分たちをここまで連れてきた車が眠っていたあの駐車場ほどではないが、それでもどことなく鬱蒼とした雰囲気の林を目の前にして、思わずテトはぼやく。


 本当は一刻でも早く目的地についてしまいたかったが、距離が長かった場合のことを考え、早足ではなくなるべく普通の速度で歩いていく。


 普段ならばこんな道――もはや道ですらないが――を歩く時は靴の心配をしていたに違いないが、血だまりでさえも踏んできたテトの衣装のスニーカーのソールはすでに汚れきっているので、もう気にすら留めない。


 今後自分たちに何が待ち受けているのかはわからないし、楽しいことが待っているわけではないのはわかりきっていたので、テトとソラはたいして会話をすることもなく、手を繋いで黙々と林の中を進んでいくだけだった。


 体感では、二十分後。

 目の前に家が見えた。


 ただの長方形ではなく、元々そこに生えていた大きな木々を伐採せずその存在を尊重したかのように、その家は木々の間に無理やり建っているようで、複雑な形をしていた。


 広い、三階建ての家だ。


 外側はほぼ窓ガラスになっていて、木々の間から差し込む少ない光を取り入れようとしている。窓が大きいので、当然中の様子も確認できるが、誰かがいる気配はなく、白を基調とした家具が点在していて、広々とした部屋があるだけだった。


 入り口前では、軍服のようなものを着た男二人が地面に伏し、倒れている。


 一人の首から上は無く、血がコンクリートの地面に広がっており、もうすでに事切れていることがわかる。頭はどこにも転がっていない。


 ソラが口に手をやり、悲惨な光景から目を逸らす。


「なんだ……?」


 テトが呟くと、首から上が残っている方の男が、まだ生きていたのか、満身創痍の状態でありながらも、手を震わせながら前に伸ばす。


 と、男の頭上に、薄く、そしてひたすらに黒い、まるでA4サイズのフィルムのようなが現れる。


 その闇から同じく黒い女の腕のようなものが伸びてきて、ぼきり、と太い枝を折るような音をたてて男の首を捻じ曲げ、最後まで生きようとした男にとどめを刺した。


 用を済ますと、腕はすっと戻っていき、闇と共にそっと消えていく。


 テトとソラが思わず構える。


 と、背後から、まるで歌うかのような呑気な女の声が聞こえた。


「久しぶりじゃのう、テト」


 反射的に振り返ると、そこには一人の若い女がいた。


 榛色の長い髪に、同じ榛色のつり気味の瞳。不敵に上がる口角。赤い唇。黒のキャミソールからは長い腕が、そして黒のショートパンツからは長い脚が伸びる。背は、ソラよりも高く、テトと同じくらいだった。


 どことなく、化け狐でもみているような気分だった。


 この女が、あそこにいた男たちを?


 それに、「久しぶり」って? この女のことは、知らない。


 テトがあれこれ考え、口をわずかに開けて女のことを凝視していると、女がソラの首を正面から掴む。


「ソラ」


 すぐにテトがソラと女を離そうと手を伸ばすも、頭を打ったような感覚に襲われる。



   ◾︎



 鼻腔をつく匂いが、林の湿っぽい匂いからどこか懐かしい匂いへと変わった。


 気がつくとそこは、さっきまでテトがいた所ではなかった。


 足元を見ると、汚れたスニーカーが踏んでいるのは、汚れ一つない水色の綺麗な床で、そして自分を囲むのは同じく水色の壁だ。


 有能学園の、小等部のどこかの教室。


 そこにテトは立っていて、それからテトの目の前には、ワイシャツに鳶色のリボンタイをつけた五歳ほどの幼い少年少女が一列に並んで立っている。


 その列に立っている端の落ち着きのない様子の少年は、どう見ても昔のテトの姿だった。


 どうやら、記憶の中にいるようだ。


「パク・ジョンイン」


「はい」


 一名ずつ、点呼がとられている最中だった。


 拡張視界で子供たちのプロフィールが細かに記載されたデータを確認しながら点呼をとっているスーツ姿の長身の男は、ドウォンだ。今よりも皺がなく、かなり若く見える。二十代後半か、三十代前半だろう。


「チョウ・シャオジュン」


「ハイ」


「ホンダ・テトラ」


「はーい」


 幼き日のテトが堂々と返事をした後、周りの子供たちは表情こそ変えなかったものの、キョロキョロとお互いの目を見合わせる。


 少年のテトは、ポケットに入っていたフィルムシートを丸めたゴミを隣の少年に投げつけた。


「なにがおかしいんだよ」


「だって、えーっと、そのー」


 テトが掴みかかろうとするも、ドウォンがテトのシャツを掴んでそれを制止する。


 ドウォンの後ろに立つスーツ姿の若い女教師、ミンソは大げさに一度咳払いをして、


「あなたたちは、見事選ばれた優秀な六名です。そして、本日より、ドウォン氏がみんなのになります。ちゃんと敬い、期待に応えるように」


「うやまう、って」テトが首を傾げ、「なに?」


「自分よりもえらい人のことを、尊んで、礼を尽くすことですよ」


 テトの質問に答えた後は、点呼と確認という目的も終えたからか、教師とドウォンは教室を出る。


 特に指示もないので他の子供たちはそこに居続けたが、テトは二人を追って教室を飛び出した。


 少年のテトが出て行ったので、現在のテトもそれについていく。



 テトが二人に駆け寄ると、ミンソとドウォンが振り返る。


 ドウォンの決して温かとは言えない鋭い視線にテトは萎縮しかけるが、口を開く。


「先生、あの、ぼく、本当のパパ、いるんだけど」


「じゃあ、どこにいるんだ?」ドウォンが低い声で小さなテトに聞き返す。


「それは……わかんない。ママも教えてくれなかったし。でもいるんだよ。ママはこの間死んじゃったけど、パパはどこかにいるって、ママが言ってたもん」


 これに対して、何も言ってこないドウォンに向かってテトは早口で付け加える。


「ぼく、パパのこと探しにいきたい」


「駄目だ」


「なんで?」


「お前の本当の父親は、お前のことを捨てたからだ」


 非情にもあっさりとそう言い放たれ、数秒、テトは堪えたが、すぐに瞳から涙をこぼした。


 テトにとって「自分を捨てた」という父親の事実は、そのとき初めて知ったことだった。


「なんで? なんでぼくのことを捨てたの?」


「思っていたのと違ったからだ」


「ぼくが……?」


 ドウォンは、何も言わない。


 現在のテトも、何もできずにその記憶の流れを目で追うだけだった。ここで自分自身に声をかけ、その言葉が届いたとしても、現実がどうにかなるわけではない。


 ミンソが辛そうな表情を見せ、しゃがみこんでテトの頭を撫で、そして立ち上がって手を引く。


「テト。部屋に戻って」


「……ぼくのパパ、そんなにひどいひとなの……?」


 止まらない涙をシャツの袖で拭きながらテトが聞いたが、ミンソも、そしてドウォンは勿論、何も言い返さなかった。



 ◾︎



 そこでまた、無理矢理景色を変更させられる。


 今度の記憶は、小等部のどこかの教室ではなく、見慣れたドウォンの仕事部屋だった。


 ドウォンのデスクの前には本人が座り、そして彼に向かい合うようにして、ドウォンのものとは異なる回転式の丸椅子にテトが座っている。


 暗い緑色のブレザーを着ている、ということは中等部の頃の自分だった。


 この記憶もテトははっきりと覚えている。特別進路相談、という名目で高等部の学科の進路をドウォンと話し合っている時だった。


「で、志望の学部は」


 ドウォンが、肘掛けに両手を置いて、テトに聞いた。


 顔にはまだあどけなさが残り、そして黒髪のままのテトは躊躇わずに口を開く。


「僕、高等部では芸能芸術科に行きます」


「だろうな」ドウォンが、デスクの上に置かれたフィルムの「芸能芸術科」に丸印をつける。「お前は頭はいいが、落ち着きが無いからその方がいいだろう。志望理由は?」


「有名になりたいからです」椅子と一緒に体を左右に回しながら、「有名になったら、が気づくかも」


「……どうだろうな」


 まだフィルムに何かを書き記しているドウォンの視線は、テトではなくフィルムに落ちている。


「有名になって、父親と会って、見返して、復讐がしたい。僕を捨てたことを後悔させたいんです」


 ああ、そうか。

 真剣な眼差しでドウォンに自分の目標を話す過去の自分を見つめて、現在のテトは思う。


 そもそもの僕の目的って、実の父親のためだっけ。


 無事デビューできて熱心に仕事をしているうちに忘れかけていたが、テトの目的として底にあったのは、人々からただ人気や愛や注目や憧れを得ることではなく、実の父親に存在を知らしめ、会い、裁きたいからだった。


「無理だ、お前には」フィルムから顔を上げ、ドウォンが告げる。「お前がかなう相手ではない」


 テトが言い返そうとするも、ドウォンは続けた。


「だからこそ、彼はまだ生きている」



   ◾︎



 目まぐるしく、また素早く記憶の光景が変更させられる。

 

 そこは、楽屋の中だった。

 

 制服風の衣装を着ている過去の自分を見て、テトは気づく。デビューしてから二回目の番組収録の日だ。


「僕にも来てた!」


 椅子の上に立ち、顔を綻ばせて手紙を掲げるテトはご機嫌で、落ちそうになるのもお構い無しに飛び跳ねる。


「おお、テトにもファンレター届いたのか」年上の他メンバーが、腕を組んで嬉しそうに言う。


「僕の初のファンレターということで、記念に兄さんたちに音読します」


 電子フィルムと違って脆い紙はすぐに破けてしまうので、注意しながらゆっくりとテトは封を開ける。


 手触りの良い紙には、テトがよく見知った、まるで子供な書いたような独特で下手な字が散らばっていた。


 その字を見て、テトはハッとする。


 音読するつもりだったのに。思わず、口を震わせ、涙をこぼす。



『テトへ

 わらってるテトがだいすきだよ

 おうえんしてるね

 ごはんたくさん食べて

 あいしてる』


 

 差出人の名前がどこにも書かれていなかったものの、テトにはすぐ、手紙を書いたのが誰なのかわかった。



   ◾︎



 冷たい感触が頰に広がる。


 目を開くと、さっきソラに掴みかかった榛色の髪の女がしゃがみ、微笑みながら――ニヤつきながら、フローリングの床に伏した自分の顔を覗き込んでいて、記憶の旅が終わり現実に戻されたことをテトは悟る。


 テトは、上体を起こす。


 黒く、艶の無い手枷・足枷がはめられている。まるで誰かの別荘のような、スタイリッシュなこの家の中でこの状況なのは違和感があった。


 何をされたのか。全身が火照るように熱く、動悸がし、口での呼吸になる。

 

「なるほどの」女が、テトの頰を両手で包み、うっとりしたように言う。「ちょっとばかし記憶を見させてもらったが、やはり『父親』への意識が強いようじゃな。お前がアイドルとやらになったのは、自分を捨てた実の父親に存在を知らしめて、復讐がしたかったから。そんでもって、相思相愛の女がいる。熱いのう!」


 頰をこねられる。手を放してほしかったが、背中で手枷をされているため、手での抵抗はできない。


 一人で盛り上がる女の話は無視し、顔を振って手から解放する。


 息を切らし、変わった話し方をする女を睨み、テトは口を開く。「……ソラは?」


「ん? ああ、一緒にいた女か? 別の部屋でおねんねじゃ。安心しろ。寝かせただけで、手は出してないからの」


 それにしてもじゃ、と、女は指先でテトの顎を上げる。


「本当、久しぶりじゃのう、テト。ワシの期待通り、すっかり美男になったわい」


「……僕はきみのことなんか知らない」


「無理もないの」どこか得意げに、女は腕を組む。「ワシがお前に最後に会ったのは、お前がユリに抱かれて腕の中ですやすや寝とった赤ん坊の時じゃからの。あの時はどっち似なのかわからんかったが、今じゃ若いときの父親似じゃの」


 ユリ、とは、紛れもなく、テトの母の名前だ。


 他の子供たちと同様テトにも開発小板チップが埋められ、少し経った頃、有能学園――ドウォンへテトを養子に出し、そして首を吊り、自殺した母。


「母さんを知ってるの……?」テトは眉をひそめ、「それに、父親のことも」


「そうじゃ。ユリは、ワシの数少ない何番目かの友達じゃからの。お前の実の父親のことも、よくよく知っておる」


「まって、きみって一体いくつなんだ?」


「いくつに見えるぅ?」


「めんどくさ。……見た目だけで言うなら、二十七とか?」


「ま、今の体は確かにそんくらいじゃの。じゃが、実際に生きているのは二千年をゆうに越えておるわ!」


「はあ? 二千歳を超えてるんだったら、旧世の

時から生きてることに……」


「そうじゃな」豊かな胸を張り、女は言う。「お前は一人の男を思い浮かべたじゃろうな。愛してやまない実の妹の血を飲んで、不老不死に近づいている変態を。じゃがワシはそれとはまた違う方法で生き長らえておる。ワシのほうが、ある意味現実的な方法じゃ」


「……ジュノさんのことまで知ってるのか。きみは一体何者なの?」


「ワシか? ワシは、ハニという」


 自らをハニと名乗る女は、目を細めて愛おしそうにテトを見つめ、テトの前髪を指先でそっと撫でた。


「テト、お前がここに来させられることを知っていて、ワシもすぐにここに来た。ここはジュノの別荘か何かじゃの。お前たちを待っていたジュノの手先は邪魔だったから、殺した。ジュノはお前たちをここで監禁するつもりだったらしいのう」


「……なるほどね」


 ジュノはこの事態に気がついているだろうか。


「目的はなんだ? 僕とソラを解放しろ」


「よくぞきいてくれた。ワシの目的は二つ」


 ハニは指を二本立て、テトの目の前に出す。


「一つ目は、お前と性行為をすること!」


「はあ?」


 冗談はやめてほしい。テトは肩を落として溜息をつく。


 そんなテトを見てくつくつと楽しそうに笑い、ハニはテトの肩を軽く叩き、


「いや、冗談じゃないわい。いい女の姿で美男とするのがワシの生きがいなんじゃ」


「……それ、本気で言ってる?」


「だーかーらー、本気じゃて。初めてお前を見てから、成長が待ち遠しくて仕方なかったんじゃ」


「まあいいや。よくないけど。で、あと一つは?」


「ほう、聞きたいか?」


 ハニが、いや、妖狐が、テトの唇にそっと触れ、微笑みながら言う。


「二つ目は、お前を殺すことじゃ」

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