三話 『被殺害保険』
「殺害・・・保険・・・ですか?」
「いいえ。正しくは、被・殺害保険です」
被殺害保険。
それは、10年添い続けた妻から初めて「子供ができた」との報告を受け、すぐさま『株式会社 善意』という数奇な保険会社へと足を運んだ私にとっては馴染みのない言葉だった。
「えーと。何ですか?それは?生命保険とは違うんですよね?」
「そうですね。違うことには違うんですが、全く違うということも無いですね」
私の質問に男は殊更もったいぶって答え、詳しく聞いて欲しいのかそのまま黙りこくる。
正直気味が悪いと感じた私はあえて質問をしないで話を続けるのを待ってみたが、男はいつまでたっても話を切り出さず、仕方なしに「それは、どういうものですか?」と尋ねて見ると、ようやく男は説明を再会した。
「最近の世の中をどう思いますか? 非常に物騒でしょう? 親が子を殺したり、子が親を殺したり、私怨ふくんだ復讐劇があるかと思えばあれば、逆に無差別に人を殺して回る通り魔だっています」
私が「はぁ」とか「そうですね」と適当に相づちを打つと、男は独り言をつぶやくかのようにただ淡々と話を続けた。
「しかし、世間はそんな様でも警察は民事不介入な上、動き出すのは実害が伴ってからです。 もし、仮に私が今から刃物を持ち出して、お客様に襲い掛かっても手の施しようがありません。 そのうえ・・・」
「あのー。被殺害保険ってのは、契約者が誰かに殺された時に保険金が支払われるということですか?」
長ったらしい前置きに呆れた私が横やりを入れて話の核心に迫ろうとすると、男は話を潰されたことなど気にする様子もなかった。
「仰る通りですね。お客様は頭の回転が速いようです。ただ、失礼ながら一点だけ訂正させていただくなら我々がお支払するのはお金では無いという部分ですね」
「え?・・・お金じゃないんですか?」
予想外の言葉に私の口からは勝手に疑問の声が漏れ、アッと思った時には男は既にまた長話を始めていた。
「ハンムラビ法典というものをご存知ですか? 古代メソポタミアに実在した法律の指針を示したもので、『目には目を歯には歯を』で有名な奴ですね」
「ええ。一応、知ってますけど・・・」
「そうですか。ハンムラビ法典はまさに当社のサービスを体現したかのような法律です。目を潰されたら目を潰し返し、歯を折られたら歯を折り返す。 まさにやられたらやり返すの精神。 非常にわかりやすいとはおもいませんか? 昨今では『やられたらやり返す!倍返しだ!」なんてドラマもありましたけれども、こちらは『やられたらやり返す!等倍返しだ!』なんて感じになるんでしょうか。 まぁ、別にドラマに影響を受けてサービスを開始したわけではないんですがね。 うちの創業は・・・」
「あの!すみません!お話は非常に興味深いのですが、結論だけを知りたいんですが・・・」
何度も何度も繰り返される与太話にしびれを切らせた私が横やりを入れると、男は時計を確認してから一言だけ告げた。
「つまりそう言うことです」
・・・そう言うこと?
この会話におけるそういうこととは「やられたことをやり返す」という一点のみに絞られるが、常識的に考えてそんなことはできるはずがない。
「えーと。正直に申し上げると、非常にばかばかしいですね。警察でもないのに犯人を特定できるわけないですし、例え人殺しをした相手でも勝手に殺せば罪に問われますよ」
保険料の安さにつられて来るべきところを間違えた。
私はそう思って営業マンの話を一蹴して席をたった瞬間。
突然、急激な眩暈が襲った。
「なん・だぁ・・」
景色がぐるぐると周り、必死の思いでソファに尻もちを付くと、営業マンは「時間通りですね」と呟いた。
最初から可笑しな接客だと思っていたが、どうやら何か薬を盛られたらしい。
私はソファに体をぐったりと押し付けながら、呂律の回らぬ舌に力を入れ振り絞るように声を出した。
「なんのぉ・・つもり・・だ・・・」
「お客さん。あなたがしたことを私は別に責めません。真面目な父親になりたかったのは素晴らしいことです。例え、口封じのために愛人の女性を殺したとしても・・・」
営業マンは一枚の書面を男に付きつけ、「読んでみてください」と男の耳元で囁く。
私は営業マンに睨みを利かせながら書面の内容を確認すると、見る見るうちに血の気が引いていった。
「ただですね。彼女、被殺害保険とやらに加入していたみたいなんですよ・・・」
沈みゆく意識の中で私が最後に見たのものは、男の感情を感じさせない笑顔だった。
『株式会社 悪意』 リーマン一号 @abouther
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