二話 『あなただけの新聞』


ピンポーンという軽快なノイズが、夜遅くまで作業を強いられた俺の睡眠を妨げ、近くにあった目覚まし時計に睨みを利かせてみると、時刻は午前9時。


非常識すぎるとまでは言わないが、人を尋ねるにはそこそこには常識不足な時間。


無視を決め込むことは簡単だったが、なんとなく嫌な予感がした俺は寝ぼけ半分な頭のまま玄関に近づきドアスコープを覗き込んだ。


ドアの向こうにはピシっとしたスーツ姿の30代くらいの男が見える。


十中八九、訪問販売の飛び込み営業であろう。


俺は居留守を決め込み、音を立てずにベットへと引き返そうとしたが、不注意にも玄関の段差に足をぶつけてしまった。


ドン!


静まり返った玄関に鈍い音が響き、それと同時に扉の前の男がニヤリと笑った気がした。


「ごめんください」


まるで今の音が聞こえたぞと言わんばかりの大きな声である。


『チッ・・・』


こうなってしまってはさすがに居留守は通用しないだろう。


俺は小さく舌打ちしてから玄関の扉を少しだけ開けた。


「なんですか・・・?」


もちろんできる限り嫌そうな表情を浮かべることも忘れない。


「おはようございます。もしかしてお休み中でしたか?」


「ええ。まぁ・・・」


「そうでしたか。それは、大変申し訳ございません。実は私こういう者でして・・・」


果たして本当に申し訳ないと思っているかは甚だ怪しかったが、手渡された名刺には『株式会社 善意』という何とも奇妙な社名が書いてあった。


「株式会社・・・、ぜんいであってますか?」


「ええ。そう読みます。実は当社は新聞を扱っておりまして、この辺でご入用な方がいらっしゃらないかと探しているんです」


「はぁ、つまり勧誘ですか・・・。申し訳ないですけど新聞ならもう取ってるんで、勧誘なら他を当たってください」


俺はそのまま扉を閉めようとすると、途中で何かに突っかかり、なんだろうと視線を下げた先には、ピカピカの革靴が扉の間に挟まっていた。


「ちょっと、足引いてもらえますか?」


俺は少し語気を荒げた。


「これは、すいません。ただ、一つお尋ねしたいのですが、本当に新聞を取っていらっしゃいますか?」


「はい?何言ってんすか?取ってますよ」


もちろん嘘だが、相手には確認のしようもない。


「では、おかしいですね・・・」


「・・・何がですか?」


「レターボックスの中には新聞が入っていません。今が朝の9時だというのに」


男は扉の隙間から手を入れてレターボックスを指さした。


「・・・もう読んで捨てたんですよ」


「捨てた・・・?」


「そうですよ」


「先ほどはお休み中だったと仰っていませんでした?」


「ちっ・・・」


問答が面倒になった俺は力ずくで扉を閉めようと両手で思いっきり戸を引いたが、


どこにそんな力があるのかのか男は簡単に片手で受け止めた。


「一月、いや一週間でも構いませんので・・・。新聞をとってもらえませんか?」


「悪いけど、政治にも経済にも興味ないんでね!」


何度も扉に力を加えるがビクともしない。


「問題ありません。当社が扱う新聞にはそういった類のものは一切含まれておりませんので・・・」


「はぁ?それ新聞て言えるんすか?」


「ええ。新聞ですよ。当社が扱うのはあなたの為だけの新聞です


・・・


「いいお部屋ですね」


結局、根負けしたのは俺の方だった。


「はぁ・・・。ただの賃貸ですよ」


「いえ。そういうことではなくてですね、部屋の趣味が私好みなんです。何か楽器をやっていませんか?」


「・・・ギター弾きますけど、何でわかったんですか?」


確かに押入れにはギターが三台あったが、普段からその辺にほっぽり出しているわけでもないし、アンプやピックも昨日のうちに綺麗に片付けてある。


「ステレオにお金がかかっています。私もそうなんです。専ら鍵盤を叩くことが専門ですけれども」


男はそう言って机を鍵盤代わりに引くような仕草をしてみせたが、今朝のことといい恐ろしいほどの観察眼の持ち主だと俺は警戒した。


「それで?あなただけの新聞てのは何なんですか?」


「そうですね。お時間をかけるのも忍びないので、早足に説明させていただきます。あなただけの新聞とはおそらくご想像頂いている通り、ご契約者ご本人様にとって興味のある内容だけを抜粋した新しいタイプの新聞になります」


「内容も政治や経済に関することじゃないってことですか?」


俺が興味なさそうに確認を入れると、男は優秀な生徒を褒めるように続けた。


「まさにその通りです。ご契約者様にとって今何の情報が欲しいのか、それを事前に察知して新聞に反映する。それが当社が経営するあなただけの新聞のシステムでございます」


「確かに面白そうだけど、それだと高いんじゃない?」


「まぁ、そうですね。仰る通り個人別で記事を作り変える必要がありますので、一般の新聞に比べると少し値段は張りますね。けれども、絶対に為になる情報が目白押しなのは補償いたします。とりあえず今回は初回ということで初刊発行のみ無料で差し上げますので、もし興味を引かれたら契約いただけませんか?」


そう言うと男は真新しい新聞を手渡してきたので、俺は言われるがままにペラペラとページをめくると、そこには一人暮らしの男性用のグッズや日用品の記事が載っていた。


「もちろん。ご希望いただければ明日にでもそのページに楽器関係の記事を加えることもできます」


「ふーん。確かに面白いけど、今のご時世、新聞に頼らなくてもインターネットがあればいくらでも調べられるからなぁ・・・」


やはり要らない。


そう判断して断りの返事を入れようとしたその時。


おざなりにページをめくる俺の手が、ある記事で止まった。


「あ?」


「どうかされました?」


「いや、この記事はなんすけど・・・」


俺は男に見えるように新聞を傾けた。


「ああ。そちらは証拠隠滅方法の記事ですね」


「いや、そうじゃなくて、なんでこんなのが俺の新聞に載ってんのって話だよ」


「もちろん。それは・・・あなたにとって必要な記事だからですよ・・・」


男のニヤついた顔が俺の時間を静かに止め、そして、再び動き出すころには額からは冷たい汗がしとどに流れる。


「別に気に病む必要はないと思いますよ。隣人との騒音トラブルが思わぬ方向に進んでしまうことはドラマの世界では定番ですから」


「あんた、何が目的だ?」


俺がどすの利いた声で問いかけると、さっきから気味の悪い笑みを浮かべていた営業マンは急に表情を無くした。




「さっきから言ってるじゃないですか。新聞、取ってくれますよね?」

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