4話「ゴースト」
用意した8個分のマガジン全てを撃ち尽くし、キャロルは肩で息をしていた。前方の棚に銃を置くと、反動や姿勢維持で痺れた手や腕を揉み合わる。筋肉が痙攣を起こしていた。吊るされた紙人形への的中率は、決して悪くない。
耳当てを外して、こちらを向いた。どうだ、と言わんばかりの顔だった。
「良いぞ。随分と様になってきたじゃねえか」
「えへへ」
褒められたためか、嬉しそうな顔で微笑む。
セーフハウス地下の射撃訓練場。キャロルには危ないから近寄らない旨を伝えていたが、銃の扱いを教えるとあっては、使わないわけにはいかない。
教会での出来事から1週間、ウィルソンは時間を見つけてキャロルの訓練を行っていた。とは言っても、致命的に体力が足りない。体力作りの基本訓練だけで、依頼そのものが終わりそうだ。
この1週間は襲撃が無かった。送り込んできた殺し屋を8人も殺したのだ。向こうの戦力も弾切れだろう。そうなると、ギャングが次に打つ手は決まっている。
その時、コントロール・ルームの電話が鳴った。地下射撃場に割れ鐘のような音が漏れてくる。キャロルの叔父からだろう。定期連絡の時間だ。
「ストレッチでもしてろ」
射撃されたら五月蝿くてたまらない。
電話に出ると、軽い挨拶から始まり、キャロルの近況報告を簡単に済ませた。
「そっちはどうだ。解決しそうか」
ウィルソンが訊くも、返事はどうも芳しくない。それどころか、深刻そうな声音で警告を発してきた。ギャングがエコーズという殺し屋を雇って、こちらへ向かわせたという。
「そりゃあ、高くついたもんだ」
もちろん、ウィルソンはその名を知っていた。一緒に仕事をしたことすらある。若い女だが、殺しの技術は天才的。共に仕事をしたのは彼女が駆け出しの頃だが、当時から不可思議な技術を駆使して仕事を成功させていた。噂を聞く限りでは、業界でも最強と呼べるくらいの実力を手にしている筈だ。
それだけに、支払う報酬も莫大になる。
仮にウィルソンとキャロルを始末出来たとして、つまらない揉め事の代償としては割に合わないと言えるだろう。
「ああ。ああ。問題ない」
むしろ、それこそがウィルソンの狙っていた展開だった。過剰な武力を有した殺し屋が来てくれないと困るのだ。キャロルの叔父は盛んに心配しているが、本当に問題は無い。日記帳がある限り、相手がどれほど強かろうと対策は打てるからだ。若い時代、どうにもならない問題はそうやって解決してきたものだ。
この会話は盗聴されているだろうが、気にする必要は無い。隠しだてすることなど、何一つ無いからだ。――いや、キャロルに殺人技術を教えているなどと、それはまさか言える筈も無いが。
そこで、ふと思い出して聞いてみた。
キャロルが殺人技術を乞うた理由。『まだ、仇は討ってない』と、こちらを見据えた真剣な眼差し。彼女からは聞き出す事が出来なかった。
なので、それとなく彼女の叔父に訊いてみた。
すると――。
「……なんだと? そりゃどういう意味だ」
ウィルソンは自分の耳が病気にでも掛かったのかと疑った。
「ああ、いや……別に問題があるわけじゃねえが……」
ウィルソンが意識しなければ、問題にはならない。
電話を切り、頭を抱える。まさかそんな事に気がつかなかったとは。己の馬鹿さ加減に苛立ちすら覚える。
「どうしたの、ウィルソン」
彼の様子に気づいたキャロルが、不安げにこちらを見ていた。
「いや……。そこの倉庫、入ったか」
地下射撃訓練室には、コントロール・ルームの対面に倉庫が有った。そこには様々な物を収めていた。仕事関連の物品もその1つだ。
「入ってないけれど……どうして?」
「いや……何でもねぇよ」
彼女を護衛するためには、特に問題が無いことは確かだ。平常心で努めなければ。今度の相手は、少しばかりキツい。
「忙しくなりそうだな」
ポツリと呟いて、気合を入れ直すことにした。
※ ※
夜が来た。時刻は深夜2時を回っている。今宵は新月。空は光を失い、闇との同化を容易にしていた。
着用した黒のボディースーツは強力な防弾・防刃性能を備えている。身体のラインがはっきりするため、扇情的な格好と言えた。長い金髪をシニヨンに纏め、エコーズは闇夜の下動き出した。
今回受けた依頼は、キャロル・キャンベルという少女の殺害。
エコーズは、自身が業界でもトップクラスの腕を持つ事を自覚していた。評判もそのようなもので、依頼料や殺しの対象も相応のものとなっている。それが、ただの少女を殺せと依頼が来た。当初は断っていたが、少女を護衛しているという男の話しが気になった。やたら腕が立ち、短期間でマフィアお抱えの殺し屋を8人も返り討ちにしたという。まるで全てを見通しているかのような、鮮やかな手並みだったという。
それを聞いて、エコーズは確信した。ボディーガートがゴーストと呼ばれる男であることを。殺し屋がボディーガードというのも訳の分からない話だが、公式に奴を殺すチャンスが有るならば、依頼を断る手は無い。
依頼を受けてから1週間、エコーズは侵入経路を模索していた。ある時は遠くから望遠鏡を使った。そこで、ボディーガードの男がゴーストであることを確信した。見覚えがある。5年前の印象はそのまま変わっていない。またある時は深夜にこっそりと敷地へ侵入して、入念に仕掛けを調べた。相手はあのゴーストなのだ。微に入り細を穿たなければ、返り討ちにされてしまう。
そうして1週間を掛けて、殺しの計画を建てた。
何処から侵入したとしても、最新の電子セキュリティーがこちらの侵入を知らせるだろう。そう考えていた。だが、事実は全く逆だった。電子セキュリティーなど存在しない。
エコーズはこれを挑発と捉えた。いつだろうと侵入すれば殺せる、という。怒りを覚えたが、既に奴の掌の上で踊らされているような恐怖があった。
(良いだろう……お前がそのつもりなら、私も全力を持ってお前を殺してやる!)
それはエコーズの悲願でもあった。ゴーストがいる限り、自分が業界で1番にはなれないことを知っているからだ。彼は名を広めない。存在すら不確かだが、極めて優秀な殺し屋が居るらしい、という評判が産んだゴーストという名前。だが、事実は違う。まるで超能力のように対象の動きを完璧に把握し、何時、何処から現れるか分からず、気が付けば対象を殺している。その恐るべき手際を指して、彼を知る殺し屋の間で広まった名前がゴーストなのだ。
音もなく家の敷地内へ入り込むと、裏口へ回り込んだ。ゴーストの寝室は2階にあるが、丁度裏手によじ登れる大木が存在した。そこから一気に奇襲を仕掛ける。先にゴーストへ攻撃を仕掛けるのは、キャロルに気を取られている間に不覚を取るかもしれないから――ではない。エコーズが受けた依頼はゴーストの抹殺のみだった。
1週間の監視から得た情報経験で言えば、この時間帯には間違いなく眠っている筈。一息に侵入して一瞬で殺す。エコーズはナイフによる格闘術を得意としていた。接近戦ならば負ける筈が無い。
裏口を通過しようとした瞬間、驚愕に一瞬だけ身体が硬直した。
扉が開いて、ゴーストが暗闇の中で立っている。ただ立っているだけではない。銃を構えていた。
「あっ……」
額に軽い衝撃が走ると同時に、液体が顔を伝う。死んだかと思った。だが、死んではいない。
「ペイント弾……だと?」
「賭けをしようか」
言って、ゴーストは闇の中へ消えていった。家の中へ入ったのだ。誘っている。だが、何を?
ペイント弾では無く実弾だったならば、決着していただろう。それをせずに、あまつさえ家の中へ誘う。賭けと言っていたが、それは何だ。無数の疑問が頭を過るが、思考を切断する。雑念を抱えて勝てる相手ではないことを確信した。この1週間、彼はこちらを気にする素振りすら見せなかった。それが、いざ襲撃という段になって、明らかに待ち構えてこちらを迎撃したのだ。
覚悟を決めて、裏口から侵入した。先にはダイニングルームが広がっている。エコーズの瞳は暗闇でも問題なく働く。
古い木造家屋では音が立ち易い。だが、エコーズの本領は音にあった。音の操作が可能という超能力。例えば、足音を完全に消したり、別の場所で鳴っているかのような操作も可能だった。故にエコーズと呼ばれるようになったのだ。幼い頃には身についていた能力だが、殺し屋としてこれ程に役立つ能力も無い。音を立てずに移動することが出来るなら、誰にも位置を悟られずに移動が出来るからだ。
ゴーストにはその能力を知られている。だが、使用する分には全く問題の無い能力でもある。
音もなくダイニングルームへ侵入し、上下左右に素早く視線を巡らせる。ゴーストの姿は無い。扉はリビングへ繋がる右に1つ、ガレージへ繋がる左へ1つ、その隣には倉庫の扉があり、正面には廊下へ繋がる扉が有った。そして最後に、ダイニングルームの左隅には地下室が存在している。しかし、どれも閉まっていた。時間的に、どれかを開けて閉めたならば、音を拾える筈だ。それが無かったということは、この部屋に潜んでいるということになる。
アイランドキッチンが部屋の真ん中に設置されている。隠れる物陰があるならば、あの辺りだが……。
エコーズは音も無く左から回り込み、半ばまで来た時、微かに音を鳴らした。その音を、アイランドキッチンを起点として真反対の場所で発生させる。一瞬でも気を反らせれば十分だ。
音を立てたと同時に、速度を増した。陰に隠れていたゴーストの姿が見えた。音のした方に顔を向けている。忍ばせていたナイフを取り出し、首筋を狙って腕を伸ばし――。
足を取られた。
「…………っ?」
正確には、右足が床を踏み抜いていた。床に予め切り込みでも入れていたのだろうか。大きく体制を崩すが、突っ込んだ勢いそのままに前転し、足を引っこ抜く。宙で身体を捻って着地した。
すると、狙いすましたかのように後ろから首を掴まれ、後ろから足を払われる。鎖骨の辺りを押され、床へ叩き付けられた。
「ぐ…………」
ナイフで反撃しようとしたが、腕を踏みつけられている。ゴーストは再びこちらの眉間へ銃口を向け、発砲した。
眉間に軽い衝撃と、液体が顔を流れる感触。またペイント弾だ。
「お前は気の済むまで俺を殺そうとしてみろ。俺はお前を殺すことなく制してみせる。それが出来たならお前、俺の言うことを1つ聞け」
「お前は何を言っているんだ……」
ふわり、と身体の自由が利いた。ゴーストの姿は既に消えている。廊下の扉が開く音がしたので、そちらから出たのだろう。
「なんだ……一体何が目的なんだ……?」
分からない。何も分からないが――既に2回も殺されてしまった。それは確かだ。おかしい。ここまで実力差があるものなのか。折れそうになる心を振るい立たせて、エコーズは立ち上がった。絶対に殺す。見逃したことを後悔させてやる。そのように奮起しないと、やっていられなかった。
勢いよく扉を蹴り飛ばすが、音はしない。代わりに廊下の向こう側から音が響いた。懐からスモークグレネードを取り出し、床へ転がした。あっという間に煙が充満し、廊下の全てを覆い尽くす。暗闇と煙が視覚による情報を完全にカットした。廊下へ素早く踏み出して、右足で強く床を打った。指向性を持たせた音が廊下を進み、エコーズに周囲の状況を明確に知らせる。エコーロケーションだ。ゴーストの位置も手に取るように分かる。
スルリ、とネコ科動物のような鋭さで滑るように疾走した。この状況で負ける筈がない。格闘戦の技量では、こちらが上だ――という自信が有った。
だが。
「はぁっはぁっ……くそ……!」
襲撃を続けること7度。
その尽くを退けられ、その度に武器と体力が消耗していく。
エコーズは再び床に押さえ込まれていた。ナイフや銃器の類は全て奪われた。こちらの動きが尽く読まれている。まるで何も通用しなかった。自分と同じように、彼にも超能力めいた何かが有るのではないかと、疑いたくなる程だった。
戦闘中、家のあらゆる場所を駆け回ったが、キャロルの姿を見つける事は出来なかった。ダイニングルームの地下室は射撃訓練場になっている筈だ。そちらへ避難させているのだろうか。ということはやはり、襲撃のタイミングすら完全に見切られていたということだ。
「殺せ……もう、何も残っていない」
腕を上げて、降参の姿勢を示す。
「殺さないって言ってんだろ。それに、腕を上げたってことは、そっちに注目して欲しいってことだ。膝裏辺りにまだナイフを忍ばせてるな。それに、その安全靴の中にも刃物を収納してるだろ。まだやるか?」
「ぐっ……正にゴースト、か……」
完敗だ。もう何も残っていない。
「じゃあ、賭けは俺の勝ちだな。全く、恐れ入ったぜ。ここまで来るのに3回死んだぞ」
「……意味が分からない。賭けなどと、一体何を……」
遊ばれている。そうとしか思えない。少しでも苦しめて殺そうという腹積もりか。――いや、以前に仕事をした時には、そのように趣味に悪い性格でも無かった筈だが。
「今のクライアントを殺してこい。もちろん報酬は払う」
「……なんだと?」
「キャロルの殺し、いくらで依頼を引き受けた」
「100万ドル、だが…………」
「じゃあ200万ドル出そう。それで良いか?」
呆気に取られ、暫し絶句した。クライアント――キャロル殺しの依頼を出した中華系マフィアの首を取る。そんな事をされて組織が黙っている筈がないから、事実上組織1つを潰せという依頼だ。出来るか出来ないかと問われれば――出来るだろう。波に乗ってはいるが、まだそこまで大きな組織ではない。
だが、能力的に可能かどうか、という話ではない。
「一度受けた依頼を反故にして、更にクライアントを殺すだと? そんな事をすれば、もう私は殺し屋として生きてはいけない」
信用というのは、裏社会で何より必要とされることだ。それを自ら地に貶めるようなことをするなど、正気の沙汰ではない。エコーズの生きていく場所は無くなるだろう。殺し屋は廃業だ。
「単純な話だ。此処で死ぬか、殺し屋という立場を殺すか。殺し屋なんてのは、生き汚い生き物だ。考えるまでもねぇだろ。そんなにプライドが必要な仕事か?」
「…………」
考えるまでもない。確かにその通りだ。なにより、死にたくない。まだ、死にたくはない。
「分かった……」
3日後、エコーズはクライアントの尽くを殺害してみせた。
もはや、キャロルが狙われることは無いだろう。
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