3話「祈りは自分のためにある」
キャロルの護衛が始まり、1カ月近くが経過していた。
「ウィルソンがプロテスタントだったなんてね」
からかうようにキャロルが言った。
「……神様なんて信じてねえよ。居るのかも知れねぇが、俺には関係の無い話だ」
この日、2人は教会を訪れていた。街の中心に近い場所で、土地の4方を道路が取り囲み、周辺には多くのマーケットが存在した。だが、教会自体に雑多な印象はない。芝生や木々は綺麗に整備され、切妻屋根から尖塔が出ており、レンガ造りの建物には温かみを感じた。
当初は険悪な態度を取り続けたキャロルだったが、チェイスが訪れた時から、少しずつ態度を軟化させていった。日々の喜びを分かち合うようになった――とまでは言わないが。
しかし、ウィルソンが殺し屋を撃退した日には、少し距離が遠くなった。
初めに殺し屋が訪れたのは、15日目の夜だった。寝ていたキャロルの部屋を突然にウィルソンが訪れ、上下スライド式の窓を開けて3発撃った。すると、窓を開けようとしていた殺し屋が、成す術なく死んだ。
次は3日後、セールスを装った男だった。玄関ドアを開けた瞬間に、ウィルソンの銃弾が眉間を貫いていた。
その次はそれから1週間後。庭に水を捲くための配管が壊れたので修理業者を呼んだら、来た男が殺し屋だった。これも即座にウィルソンが撃ち殺した。
更に1週間後。珍しくデリバリーピザを注文すると、配達員が殺し屋だった。ピザを受け取った後、チップの代わりに銃弾を送った。更に、裏から侵入しようとしていた殺し屋がトラップに引っかかり爆死した。
それが昨日のことだ。キャロルは朝から沈んでいた。当然だろう。自分が狙われているという実感は精神的疲労を招き、殺し屋を撃退すれば死体が残る。どちらにせよ死を実感する。そして、人を躊躇いなく殺すウィルソンに護られているというジレンマ。まだ割り切れていなくとも、当然だ。
(まあ、こんな場所へ来ちまう辺り、俺だって割り切れちゃいねぇんだろうが)
他の多くの国民同様、ウィルソンは無宗教者だった。それでも、神に祈りたくなる時がある。
平日の昼間、人の姿は少ない。そこそこ広い1室、中央に廊下があり、左右に長椅子が10列。ウィルソン達は最も後ろの長椅子に座っている。後方から、数人の老人が祈りを捧げている姿が見えた。ウィルソンの姿に気づいた牧師が十字を切った。何度も訪れているので、顔ぐらいは知っている。
「だがな、神に祈りは捧げない」
「じゃあ誰のために祈ってるの? まさか、殺した人達に?」
ナイーブな状態のためか、何処か質問が攻撃的だった。
「今日の腕時計だって殺した人達から盗んだ物なんでしょ。そんな物を付けて教会へくるなんて、趣味悪すぎ」
「まあ、それは認めるがな」
キャロルの気持ちは分かる。殺した者達のために祈るのならば、ふざけるなと言いたくもなるだろう。だが、ウィルソンの答えは違った。
「……自分のためだ。祈りなんてものは、俺にとってはそういうもんだからよ」
「殺し屋って、勝手な生き物ね」
「大人になれば誰だってそうさ。お前だってそうなる」
教会の空気は、普段吸っている空気と何処か異なる。それが聖なるものだとは考えていなかったが、何もかも赦されたくなるような心地を覚える事は確かだ。人々の信仰心、その歴史がウィルソンのような殺し屋にすら、そのような気持ちを覚えさせるのかもしれない。
「質問を変えるわ。誰を想って祈ってるの?」
「……妹のためさ。随分昔に死んじまったがな」
「妹……? 妹がいたの? どうして亡くなったのか、聞いてもいい?」
「なんだお前、カトリックか? 俺は懺悔しに来たわけじゃねぇぞ」
「懺悔しなければならないことが有ったのね」
ウィルソンは絶句した。キャロルは頭が回る。普段は揚げ足を取られないように注意して会話しているが、此処ではどうも調子が狂う。
「教会では静かにしてろ」
「今更なこと言わないでよ。私は……ウィルソンのことをもっと知りたい」
軽く舌打ちし、瞑目して考えた。これもまた、意味のあることかもしれないと。
深く息を吐き出して、彼は少しずつ話し始めた。殊更に音量を下げ、秘密の話をするかのように。
「……もう40年近く前になるか。親父が妹を殺した。……まあ、養父だったんだが。俺達は母親の連れ子だったんだ」
キャロルが息を呑んだのが伝わってきた。
「こいつがクソ野郎の見本みたいな男でな。博打、酒、クスリもやれば、盗みもした。もっと色々やってたかもしれんが……そんである日、母親がいなくなった。他所に男を作って……実の子供達を養父に押し付けて逃げちまった」
「……最低ね」
「……とにかく、数年経ったある日のことだ。あの野郎、酒とクスリでラリって、妹を娼婦かなんかと勘違いしたらしい。夜中、妹がクソでかいカエルみたいな声で呻いてたから様子を見に行ったら、妹に跨って腰振ってた。俺はと言えば……正直、その頃には耐えかねてた。色々な事にな」
養父との思い出を掘り返せば、罵られるか、殴られるか、食事も禄に食わせてもらえなければ、学校も行った覚えが無い。実のところ、ウィルソンにはその頃の記憶があまり無かった。忘れたい記憶なのか、あるいはずっと同じ事を考えていたのか。同じ事――つまり、養父への殺意だ。そればかりが印象に残っていた。
「覚悟だ。覚悟を決めないと何も変えられない」
見て見ぬふりをすることも、当然出来た。当時のウィルソンは貧弱で、暴力を振るう養父に恐怖を抱いていた。殺意を抱くことすら恐ろしかった。だが、駄目だ。許せないことは許せない。この運命と決着を付けなければ、この先を生きていくことは出来ない。
「俺は養父の銃を持ちだして、まあ、なんだ。頭を吹き飛ばしてたよ。……言っちゃなんだが、スッとしたぜ。自分が生まれ変わったような気分だった」
「…………」
キャロルは蒼白になって話を聞いていた。少女には色々とキツい話だろう。これでもまだオブラートに包んだ方なのだ。
「……で、妹も死んでた。首締めながらヤッてたわけだ。そのせいで……いや、もしかしたら俺が頭を吹き飛ばした時に力が入って、首が……」
それ以上を言葉にしたくはなかった。
しばらくの間、2人とも黙り込んでいた。数分後、息の全てを吐き出したかのような声音で、キャロルは言った。
「……そんなこと、無いよ」
「……かもな。まあ、だから俺は祈ってる。そんな事が有りませんようにってな」
ウィルソンはそれから、祈りを再開した。誰のためでもない。自分のための祈りだ。
何時か酷いしっぺ返しが訪れますように、と。チェイスがキャロルに語った事は間違っていない。何れ然るべき報いを受ける日が来る。そんな世界であって欲しいと願っているのだ。
何故なら――ウィルソンはあの日、妹の死を知った瞬間、心底良かったと思ってしまったからだ。これ以上、妹に辛い世界を見て欲しくなかった。妹を愛していた。だから実のところ、妹も殺してしまおうと決めていた。その覚悟も決めていた。だが、結果的に妹を殺したのは養父だった。自分が手を汚さないで良かったと、思ってしまったのだ。
こんな勝手なことを考える男は、それは相応しい死が待っていなければおかしい。
日記帳の力を使って、ウィルソンは何度も死を経験した。そして何度もやり直し、とうとうここまで生き残ってきた。それと言うのも、何れ相応しい死が待っているのではないかと期待していたからだ。だが、とうとうこの歳に至るまでそんな機会には恵まれなかった。そしてここ十数年は腕が上がりすぎて、日記帳の力に頼ることすら無かった。
どう死ぬかでは無く、誰に殺されるかだと、ずっと考えて生きてきたのだ。
帰りの車中で、キャロルが呟くようにして訊いてきた。
「ねえ、本当のお父さんはどうしたの?」
「……さあな」
「気にならない?」
「もう何もかも今更の話だ。どうせ死んでるさ」
「もし、本当のお父さんが生きていたとしたら……ウィルソンを見捨てたお母さんが目の前に現れたとしたら……復讐したい?」
「……そう思うことに罪はないだろ」
「え……?」
キャロルは目を見開いた。自身の考えを見透かされた事に驚いたのだろう。ウィルソンは、彼女が何を言いたいかを正しく理解していた。
「復讐したいんだろ。親を殺した奴に。それも自分の手で」
「……うん。だから、私に教えて。殺しの技術を」
殺し屋をあれほど憎んでいた少女が、その技術を乞う。矛盾しているようではあるが、ウィルソンは疑問を挟まない。本質的に、技術とそれを扱う人間は別だからだ。全ては扱う人間の問題。そして、ウィルソンは復讐で人を殺すことと、金銭で人を殺すことは雲泥の差だと考えていた。
だが、最終的に同じことに成りうるということも分かっていた。
「それが何を意味するかは、ちゃんと理解してるんだろうな」
どんな理由があれ、1人でも殺せば、もうそれまでと同じようには生きられない。見掛け上の話ではない。精神構造そのものが変化してしまう。人を殺すということは、それまでの自分を殺すということだ。
「分かってるつもり。でも……きっと分かりきってはいないんだと思う」
やはり、聡い子だ。資質は十分に有ると言える。人を殺すための資質だ。
それに――復讐心は生きる糧になる。普通の人間には理解できないかもしれないが、ウィルソンにはそれが実感できた。
だが、1つ問題がある。
「いいぜ。……と言いたいところだが、もう俺が殺したかもしれんぞ」
「あ……!」
護衛初日からこれまで、もう7人は殺した。お抱えの殺し屋も出尽くした頃だろう。仮定ではあるが、ほぼ間違いなく殺したと見て間違いはない。
「いいとこのお嬢ちゃんなんだ。銃の撃ち方なんて知らない方が良いさ」
誰か殺したい奴が出てきても、殺し屋を雇って殺させれば良い。上流階級はそれが可能な人間だ。しかし、キャロルは引き下がらなかった。
「……まだよ」
「あん?」
「まだ、仇は討ってない」
「そりゃどういう意味だ?」
問うても、返答は無かった。だが、決然とした眼差しがそこには有った。
「……まあ、良いぜ。銃の撃ち方くらいは教えてやるよ」
それが決してキャロルのためにならない事を理解しつつ、それでもウィルソンはそうしてやりたいと思った。キャロルがそれを望むならば。
妹の面影を感じた彼女だから、依頼を引き受けたのだ。
※ ※
養父を殺したウィルソンを待っていたのは、地獄のような日々だった。知恵も力も金も無い少年が生きるには、メンフィスという都市は過酷と言えた。
『何処でも同じさ。世界中、何処でも同じなんだ』
ホームレス仲間だった老人の言葉だ。彼は、当時のウィルソンより年若い少年に刺されて死んだ。
何処でも同じだ。アメリカを出ようが、アメリカのスラムに留まろうが、何処でも同じ。
ウィルソンには力が必要だった。そして、知恵と金を持たない者が力を手にするには、力を持つ集団に依存するしかない。年若い多くの弱者がそうするように、当然の帰結としてギャングに加入することとなる。
ギャングの構成員になれたものの、使いっぱしりの生活は酷いものだった。何度も死に掛けたことすらある。死んでいた方が楽だったかもしれない。実際に、つまらない理由で命を落とした仲間達が大勢居た。だが、ウィルソンは生き残った。幸運にも、あるいは不運にも。
ある日のこと、ウィルソンは稼いだ金を上納金として巻き上げられていた。稼ぐと言っても観光客目当てのスリや恐喝、あるいは空き巣だ。
上納金を支払う際、直属のボスから無意味に暴力を振るわれることも珍しくなく、この日もそうだった。虫の居所が悪かったのか、いつもより過剰ですらあった
そんな時、1人の男が現れた。冴えないとすら言える、中年の男だった。見覚えは無かった。見覚えは無い筈なのに、
「迎えに来たぞ。お前を一人前の殺し屋にしてやる」
と、彼はウィルソンに言った。
激高するボスを、彼は軽くあしらった。軽くあしらっただけのように見えたのに、ボスは首の骨が折れて死んでいた。
後でしったことだが、男は殺し屋だった。それも、業界では恐るべき実力者として知られていた。
ウィルソンは男に連れられ、街を出た。色々な事を教えられた。それは他愛もない知識だったり、今のウィルソンを形成する重大な要素だったりした。殺しの対象から物を1つ盗む悪癖も、彼を見習ったものであって――そんなものは勿論、見習うべきではなかったのだろうが。
そうして一人前に成長し、男の下を離れる時、彼はこう切り出した。
俺を殺してみせろ、と。
なぜそんな事を言うのか、まるで理解出来なかった。また、それが出来るとも思えなかった。
しかし、結果、ウィルソンは彼を殺した。問答無用で攻撃を加えてくる男から身を護るには、それしかなかったのだ。
死の間際、男はあの日記帳を押し付けてきた。
世の中には仕方がないこともある――と、言い遺して。
その時、直感した。
この男こそが、実の父なのだと。
殺し屋『ゴースト』は元々、彼を指した名前だった。
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