2話「刑事は語る」

 チェイス・カーニーはニューヨーク市警の警官を勤めている。歳は40手前でスーツを着用、いかついスキンヘッドが特徴的だった。口元に整えられたブラウンの髭に、彼なりの拘りが見える。

 そんな彼が管轄の遥か外にある、ペンシルバニア州はアレンタウン郊外までやって来たのには、理由がある。知り合いの殺し屋を訪ねるためだ。

「……相変わらず、こっちは治安が悪そうだな。空気が悪いぜ」

 改善されたとはいえ、ニューヨークの治安も十数年前までは決して良いものでは無かったが。

 家と家の間隔が広くなり、農地が目立ち始めた頃、その家が見えてきた。

 一見、普通の家だ。コテージ様式の建物で、定期的に改修しているのか新しい部分も目立つ。玄関の隣には小さなテラスがあり、殆ど使われていないだろう白のロックチェアが2つ置かれていた。隣に設えられたガレージは、内部で建物と繋がっている。

 家の前に停車し、降りる。

 玄関まで続く石畳に足を置いた瞬間、玄関が開いた。相変わらず、人の行動を予測したかのような振る舞いだ。

「よおチェイス、久しぶりだな」

 中から出てきたのは、知り合いの殺し屋だった。偽名をウィルソン・ウォーカーという。本名は知らない。彼自身、それを覚えているかどうかは不明だ。

「……その懐中時計。相変わらずだな。盗んだ物を身に付けているのか」

 彼の首には銀の懐中時計が掛かっていた。彼には、殺した相手の物品を1つ盗むという悪癖があった。

 曰く、殺した者達を忘れないため、らしい。彼は意外と感傷的な男なのだ。

「マイケル・ターナーだったか。金に眼が眩んで、情報と共に中国へ亡命しようとした陸軍准将。そんなクズ野郎、さっさと忘れても損はないだろうに」

「かもな」

 ウィルソンが肩を竦めたのを見て、チェイスは本題に入った。

「何で俺が来たか、それは分かってるな?」

「皆目見当も付かんね」

 恍ける彼を見て、そう言えばこういう奴だったな、と今更実感する。

「嘘つけ。ロングアイランドで車が爆破された一連の事件、ありゃお前だろ」

「何で分かった?」

「店の監視カメラにお前が写ってた。どう考えてもお前だ」

「それで、俺を捕まえに来たのか? ニューヨーク市警がアレンタウンに?」

「違う。仮にそれが可能だとしても、今日は休暇だ」

「その割には、懐に物騒なもん隠してるじゃねぇか」

「お前の周りが物騒だからだ。でかい抗争になりそうなら、事前に連絡を寄越せと言っただろう。俺の街で勝手に暴れるな。今回は何をやらかすんだ」

「ニューヨークではもう暴れないさ。今回は女の子の護衛だ。狙ってくる奴を殺すだけの、簡単な仕事だぜ」

「護衛……?」

 チェイスはウィルソンの行為を容認していた。彼なりの倫理観に基づいて、ウィルソンの殺しが社会的に善である場合もあると知っているからだ。

「意味が分からんが、そんなもの、警察に任せろ」

「頼りになるかよ。お前らに任せたら、例え核シェルターに入ってても殺しにいけるぜ」

「まあ……お前ならそうだろうが……」

 それは認めざるを得ない。その卓越した力で、チェイスも危機を救ってもらったことがあった。それ以来の縁だ。

「だとしても、もっと分かりづらいところに隠れろよ」

「襲ってくる奴を殺した方が早いだろ。俺は殺し屋だからな。それに、ここは周辺に他の民家も無いし、人通りも少ない。万が一にも一般人を巻き込むことは無いだろうさ」

 これもまた反論の余地が無かった。何とも剛毅なことだが、それが大言壮語では無いとチェイスは知っていた。ウィルソンの場合、返り討ちにした方が早く安全であることは間違いない。

 取り留めも無い会話を交わしたあと、チェイスは誘われるがまま、家に入った。実際のところ、チェイスは彼を親友と捉えていた。自分でも意味が分からないが、心は誤魔化せない。

 キッチンに入ると、ウィルソンに少女を紹介された。護衛対象というわけだ。育ちの良さそうな顔をしている。金持ちのお嬢さんだろう。

 チェイスが自己紹介して警察だと知ると、訳が分からないと首を傾げていた。

「……で、何で護衛なんて引き受けようと思ったんだ」

 殺し屋が護衛などと、質の悪い冗談にしか思えない。だが、ウィルソンならば有り得ないことでもない――と思うくらいには、彼の人間性を信頼していた。

 端的に状況を説明されるが、チェイスの感想は変わらなかった。というより、状況だけ説明されても仕方がない。チェイスはウィルソンが護衛を引き受けた理由を知りたいのだ。

「金払いが良くてな」

「そりゃあそうだろうが……それでも、依頼を受ける意味があるのか? こんな不慣れな……」

 そこでチェイスは言葉を切った。不慣れな仕事は失敗するかもしれないぞ、と言いかけたのだ。失敗は即ちキャロルの死を意味する。わざわざ本人の前で言うべきことでは無い。

「……俺に取っては意味のあることだ。どうしてもな。これは金だけの問題じゃねえ」

 ウィルソンは、殊更に懐中時計を弄っていた。

「……何を考えてやがる」

「お前にゃ迷惑掛けねえよ」

 その言葉を聞いて、チェイスは納得がいかないながらも、コーヒーを一口で呷った。

「まあ、信じるよ。お前は一般人を無駄に殺さない。それに、俺を助けてくれたしな」

 椅子から立ち上がるチェイスに、ウィルソンは眉をひそめた。

「もう帰るのか?」

「なんだ、バーベキューでもするか?」

「まさか、冗談だろ」

「冗談じゃないさ。ニューヨークでの1件が有るからな。護衛の仕事が終わったら、飯でも奢れ。中華以外でな」

 ウィルソンは右手を上げて、了解の姿勢を示した。

 チェイスが出ていこうとした時、キャロルがそれを遮った。

「ねえ、この刑事さんと2人で話がしたいんだけれど」

 チェイスが訝しんで向けた視線を受け止めることなく、ウィルソンは肩をすくめた。

「……まあ、好きにしろ。チェイスおじさんが良いっていうならな」

「まあ、俺はもちろん構わないが……」

 ウィルソンはコーヒーカップを片手に、リビングの方へ姿を消した。テレビの音が聞こえてくる。それを確認して、キャロルは話を切り出した。

「ねえ、刑事さん。どうして殺し屋が友達なの?」

 真っ当な疑問だった。自分でも奇妙な縁だと思っていた。

「誰にも言わないでおくれよ、お嬢ちゃん」

「喋ったら殺す?」

 チェイスは面食らって、苦笑した。

「まさか。俺は警官だぞ。お嬢ちゃんが喋れば俺が破滅する。それだけの話だ」

「じゃあ、なんであんな奴と付き合ってるのよ」

 キャロルの遠慮ない質問に、チェイスはしばし迷う様子を見せた。だが、やがて渋い顔をして、

「それこそ誰にも言うなよ。ウィルソンにも、な。アイツはな……何というか、子供の頃に夢見たヒーローなんだよ」

「殺し屋がヒーロー?」

 唖然として、暫く絶句していた。だが直ぐに、

「頭おかしいんじゃない?」

 辛辣な言葉で怒りを露わにした。彼女の両親は殺し屋に殺されているのだ。最もな反応と言えた。

「すまない。言い方が悪かったな。アイツのやってる事は許されるもんじゃない。でも、それ以上に許されない奴らが……この世には確かに存在して……」

 刑事は絶望したかのように顔を歪ませた。

「……俺にはそういう奴らを、どうすることも出来ない。どうしようもない事ってのが、世の中にはある」

 警官になれば、悪い奴らをやっつけられると思っていた。子供時代の夢だ。いや、警官としてキャリアを積むまで、そのように信じていた。青かった頃の自分。だが、現実は厳しい。

「必要だっていうの? アイツがヒーローで、いい奴だっていうの?」

「……金で人を殺す奴なんて、俺はクズだと思ってる。それはあいつも例外じゃない。俺はな、過去は無かったことに出来ないと思ってる。何れ然るべき報いを受けるだろうさ。……いや、そういう世界であって欲しいと願っている」

 ウィルソンに殺された奴等は、だから殺されたのだ。彼はクズしか殺さない。

「友達なのに?」

「友達だからだ。それに……アイツ自身がそれを望んでるように思える。……アイツを見逃している俺も、何れ報いを受ける時が来るのかもしれないな」

 それが何時の事になるかは分からない。だが、何れそうなる。そうなるべきだ。その感情は怒りに似ていた。ヒーローになれなかった者の、世界に対するせめてもの怒りだ。

「安心しな、お嬢ちゃん。あいつが側に居るなら、そこは核シェルターより安全さ」

 自嘲を隠しきれずに、彼は言った。


    ※  ※


 キャロルは悩んでいた。チェイスの言うことも一理あると思ってしまったからだ。だが、それを容認するには、キャロルの人生も色々と有り過ぎた。

 もやもやとした物を心に抱え、遂に2日後の夕食時、チェイスとの会話をウィルソンに明かしていた。

 それを聞いたウィルソンは失笑し、夕食のハンバーガーが口から溢れていた。ウィルソンは料理上手だ。わざわざ自分で調理している。

「アンタも自分のことをヒーローだと思ってるの?」

 それはどうしても許されないことだった。殺し屋が自身をヒーローだと考えているなど、赦しがたい。だが、ウィルソンはその問いかけを一笑に付した。

「そんな馬鹿な話があるか。ヒーローってやつは慈善事業だろ。俺はそんなことしない。金を貰って人を殺してる」

 ウィルソンは言わなかったが、此処へ来てキャロルが享受したもの――衣食住の全てが人を殺したお金の産物だった。それを考えると死にたくなって、一時はせめて食事を拒否していたが、空腹には逆らえなかった。これがチェイスの言っていた、どうしようもない事、なのだろうか。

「クソ野郎から依頼されてクソ野郎を殺し、クソ野郎から金を貰う……全く、嫌になるよな」

 ウィルソンの声音に、キャロルは意外なものを感じていた。本当に心底うんざりしていると言った風だったからだ。

「じゃあなんでそんな仕事してるのよ。アンタ、滅茶苦茶に強いんでしょ。核シェルターより安全って言ってたわよ。……そんなに強いなら、ボクシングで世界チャンピオンにでもなればいいじゃない」

「……どんな理由であれ、1人でも人を殺してしまえば世界の見え方が違ってくるもんだ」

 人を殺しておいて、許されるわけがないよな。

 彼の呟いた言葉が、どうにも胸に残った。

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