1話「中華料理屋にて」

 殺し屋ウィルソンが『日記帳』の力に気付いたのは、数十年前、2度目の死を迎えた時に、だった。

 まだウィルソンが若く、組織に属していた頃、とある任務で返り討ちにあったことがある。ターゲットのボデイーガードで、当時のウィルソンに叶う相手では無かった。相手の力量を計り間違えて、当然の如くに敗れた。この業界では、敗れるということは死を意味する。そう、ウィルソンは死んだ。

 そうして、驚くべきことが起こった。

 格闘の末、相手の銃弾がウィルソンの頭を貫いた――と思った直後、宿泊していたホテルの一室へワープしていた。日記帳に栞を挟み込みながら、椅子に座っていたのだ。慌てて確認すると、日付は死亡する1日前へ戻っていた。

 悪い夢を見ていたのだ。

 あまりの事に、そう思い込んだ。思い込もうとした。

 それが夢でなかったと理解したのは、同じ相手に破れ、同じ殺され方をした後に、再びホテルの一室へワープしていた時だ。日付はまたも1日前へ戻っていた。正確には、日記を付けて栞を挟んだ時点に戻っていた。

 これは夢でもワープでもない。日記帳のチカラで時間が戻っているのだと確信した。記帳した日付に栞を挟むことで、その日付に戻れるのだと理解した。

 いくら書いてもページが無くなることはなかったが、不思議なことに3ヶ月より前の日記は消えていた。ゲーム風に言えば、3か月間のセーブポイントというところか。

「随分と余裕じゃないの」

 対面に座る、中学生くらいの少女から掛けられた言葉に、ウィルソンは鼻で笑った。

 ニューヨーク市ロングアイランド島の高級中華料理店に2人は居た。赤色が多用された、オリエンタルな装飾に彩られた店内だが、天井、棚、椅子やテーブルに飾り紙やテーブルクロスに至るまで、ウィルソンの眼からすれば奇妙にしか見えない。だが、雑誌やネットのクチコミによれば、雑多ではなくむしろ洗練されているらしい。世の中というものは分からないものだ。

「食事が進んでいないところを見ると、お前には余裕が無いようだな。サンフランシスコは中国人が幅を利かせてるんだろ。遠慮せず食え」

 ウィルソンの対面に座る少女、名はキャロル・キャンベル。肩下まで伸びた、やや癖のある茶色がかったブロンド、体型は年齢並と言ったところか。勝気な碧眼がこちらを見据えていた。機嫌は決して良くない。

 対するウィルソンは、清潔に整えられた茶色の短髪、高級感漂うフォーマルジャケットに、下から覗く純白のワイシャツ。如何にも東海岸のビジネスマンと言った様相だが、その全てが鋭い目つきで台無しになっていた。あるいはギャングにしか見えない。

 傍から見れば親子連れに見えるだろうか。無理が有るかもしれない。

 奇妙な形のテーブルにはトマトを使用した赤いチャプスイやチンジャオロース、小龍包やセサミチキンなど、様々な料理が並んでいた。紹興酒を呑むのは初めてだったが、マデイラワインのような風味があって悪くはないと感じた。

「私は中国人じゃないんだけど」

「知ってるさ」

 彼らが中華系アメリカ人だということも知っているが、ウィルソンにはどうでも良いことだ。ただ、確かめてはいないが、キャロルが食べ慣れているかもしれないと、気を利かせたつもりだったのだ。

「ああ、そうだ。9月はまだサンフランシスコと気温は変わらねえが、こっちでは1ヶ月ごとに気温がどんどん下がっていく。風邪引くなよ」

「……そんなので私を護れるの?」

 更に気を利かせたつもりだったが、スルーされてしまった。

 ウィルソンは殺し屋。年齢は48だが、キャリアは人生の大半を占める。

 だが、今回の以来は護衛だった。

 目の前の少女、キャロルの護衛。期間は無期限――依頼人であるキャロルの叔父が、殺し屋を差し向けてくる新興中華系ギャングを何とかするまでだ。キャロルの父は大手不動産会社の重役で、ギャングの幹部と揉めてしまった。会社に対する見せしめとして一家全員の惨殺が決定されたのだ。依頼人が中華系ギャングとどのように折り合いをつけるのか、それは不明だ。

 先行きの見えない護衛任務に、目の眩む想いだった。

 だが。

「自信が無いなら受けはしないさ」

「でも、あなた殺し屋なのよね。私の両親を殺した奴と同じ」

「……知ってたのか」

「叔父さんが言ってた。辛いだろうけれど、我慢しろって。でも……」

 その身震いは何だっただろうか。恐怖か、怒りか。何れにせよ、不機嫌の理由は分かった。両親を殺した人間と同じ人種が眼の前に居れば、気分も悪くなるだろう。

 彼女の両親は殺し屋の被害者だ。その護衛を殺し屋のウィルソンに託すというのだから、依頼主である彼女の叔父も正気ではない。

「殺し屋が人を護る? ふざけないでよ」

 最もな反応だ。

 気分的なものを差し引いても度し難い。だが、キャロルの叔父がウィルソンを選んだのには理由が有る。それは、ウィルソンが業界でも無敵と目される実力者だからだ。この業界、名が広がるようでは三流であり、ウィルソンもそう心掛けてきた。だが、密かに、微かに、長年を掛けて拡散された、抑えようのない噂がある。

 数十年前より殺し屋業界に君臨する頂点。どれほど堅牢な要塞であろうと、どれほど武力を固めようと、幽鬼のように突破して依頼を遂行する。付いた渾名が殺し屋『ゴースト』。

 気が向いた仕事しか引き受けず、彼に繋がるパイプも流動的。キャロルの叔父は運が良かったと言える。

「お前の言う事は最もだがな、人は飯を食わなきゃ死ぬぞ。殺し屋に殺されるよりも早くな」

「食べたく無いのよ」

「そうかい。だがまあ……人は腹が減る。それが悪い事だなんて、思わないことだな」

「……殺し屋に知ったふうなこと、言われたくないし」

 言いながらも、少しづつ食事に手をつけ始めた。ウィルソンへの対抗意識がそうさせているのかもしれない。

「……で、こんな所で食事なんてしてて、私を護りきれるの?」

 最初の発言はそういう意味だったか、と今更に気が付いた。

「大丈夫に決まってるだろ」

 いざとなったら自殺すれば良い。そうすればやり直せる。などとキャロルに言う筈もないが、最終的にはそれが出来る。もちろん、それがウィルソンを無敵にした理輔だった。

 だが、それとは別に、大丈夫という根拠は有る。

「ここに入ることは事前に決めてないから、仕掛けの仕様が無い。それに、怪しい奴が近寄ってくれば、直ぐに分かる位置に座ってる」

 店内はパーティールームにテーブルを置いたような開放感があり、客の動向は直ぐに分かる。分かる位置に陣取ったのだ。

「でも、敵が集まって対策を打つには十分な時間でしょ。きっと尾行されてる。……サンフランシスコから、ずっと。お客さんの中にだって、きっと紛れてる」

 利口な娘だ。自身の身に迫る災いに敏感なのだろう。臆病なのかもしれない。何れも殺し屋に必要な資質であることは、何の皮肉だろうか。

「確かに尾行は付いてた。3人な。客の中に2人。入口から2つ目の右テーブルと、4つ目の左テーブルに付いた男だ。おっと、振り向くなよ?」

 緊張に顔を青ざめたキャロルは、フォークに刺していた小龍包を取り皿に置いた。

「ど、どうするのよ。それにもう1人は何処へ行ったの? 大体、尾行されてるのが分かってて呑気に料理屋に入るなんて、どういう了見なのよ!」

「落ち着け。尾行を解消するためにここへ入ったんだ。いやまあ、ここじゃ無くても良いんだが。まあ、必要なことだ」

「……どういうこと?」

「相手の連中は俺を知らない。経験上、俺を知っている殺し屋は尾行なんて間抜けな真似はしない」

 一般人を巻き込む覚悟で重機関銃を掃射した方が、まだ建設的だからだ……とは言わなかったが、実際にされたことはある。もちろん死んだし、やり直して重機関銃の引き金を引く前に殺した。

「まあ、殺し屋であることすら知らないかもな。新興組織の悲しいところだ。情報を持っていない。だが、尾行自体は間違っていない。戦力が分からない相手は、まず見に徹する。情報収集の基本だな。向こうは自分達の位置がバレていないと思ってるだろうが、尾行そのものは気づかれているだろうと知っている。なのに、俺達は悠長に食事を楽しんでる。何か仕掛けが有ると深読みする。まずここでは襲ってこないさ。ここで襲ってくるようなアホは大した連中じゃないし、そもそもこの業界じゃ長生き出来ない」

「じゃあ、どうするのよ。ここで襲ってこないってことは、大した連中だってことじゃない。どうやって尾行を解消するの?」

「まあ、見てろ。そろそろ……」

 ウィルソンの言葉を遮って、駐車場から大きな爆発音が聞こえた。

 客の全員が――こちらを尾行していた殺し屋ですら、爆発音に気を取られて入口を向いた。

 その一瞬を逃さず、ウィルソンは消音器付きの銃を懐から取り出し、尾行者達へ向けて発砲した。あらかじめスライドを引いておいたのだ。その弾丸は寸分の狂いも無く殺し屋達の頭を撃ち抜く。時間にして1秒未満の早業だった。

 他の客は爆発音に気を取られ、誰も気がついていない。ウィルソン達を写す位置にある監視カメラは、入店時に破壊していた。

 何が起こった、とか、車が爆発して男が1人、火だるまになってる! とか、警察を呼べ! とか、そういう野次馬の声が店外から聞こえてきた。

「……さあ、行くぞ」

 ウィルソンは立ち上がって、キャロルを促した。

「警察が来る前に撤収だ」

「な、な、何が……」

 目を大きく見開いて、倒れた2人をキャロルが凝視していた。他の客や従業員もそろそろ気が付くだろう。

 騒ぎが起こる前に、金を置いて悠々と店を出た。

「ちょっと待って! 何が起こったの?」

 キャロルの手を引きながら足早に歩き、近くのパーキングに停めていた別の車に乗り込む。暫く車を走らせて、フリーウェイに入った頃、ウィルソンは口を開いた。

「ああいう場合、ターゲットの車を調べるのは定石だ。発信器や盗聴器を付けたり、手っ取り早く片付けるために、車に爆弾を仕掛けたりする場合もある」

「じゃあ、その爆弾が爆発したの? 相手が勝手に失敗して、爆発したってこと……?」

「いや、俺が仕掛けた爆弾が爆発したんだ。情報収集のためには、当たり前だが扉を開ける必要があるな。だが、正規の手続き以外で扉を開けると、指向性を持った爆弾が開けた奴を殺す」

 ウィルソンの殺し屋生活は長い。他の者がとっくに死ぬか引退するかの年齢を飛び越しても、彼は活動を続けている。若い時分に死を繰り返した事に因る夥しい経験則が、日記帳を使わずとも予知に近い予測を可能にしていた。並みの殺し屋では相手にもならない。

「上手くいかなかったらどうするつもりだったのよ……」

「その時はまた別の手を使うさ」

 納得しているのかしていないのか、助手席でキャロルは目を白黒させていた。

「そんな……あんな、あんなに簡単に人が……人を殺せるなんて」

「…………まあ、それが仕事なもんでね」

 ウィルソンの殺し屋生活は長い。――だが、護衛の仕事など初めてだ。避けることも出来たこの仕事を、敢えて引き受けたのには、もちろん理由がある。

 それがどんな結果をもたらすことになっても、日記帳があるから大丈夫。この時は、そう思っていた。

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