雲の世界

休憩場所とコッペパンのお礼にと、僕と由紀は鳥の羽根を一枚ずつ貰った。月の光にかざすとキラキラと光るその羽根はまるで宝物のように見えて、僕は大きな鳥の羽根をベルトに差し、由紀は小鳥の羽根を髪に差した。

「うん、格好いいね。似合ってる。」と僕を見て由紀が言うので、僕も由紀に何かを言おうとしたのだけれど、女子に可愛いというのはなんだか憚られるような気がして「……ありがとう」とだけつぶやいてプイっと顔を背けてしまった。

鳥達と別れてまたどんどんどんどん階段を上っていくと、やがて僕たちはもくもくとした雲の中に入っていった。

地上から見る雲はまるでモコモコ膨らんだメレンゲのお菓子のように見えたけれど、実際にその中に入ってみると雲というのは霧と同じようなもので、それもとてつもなく濃い霧で足元さえ見えなくなるような状況になった。

階段を踏み外さないように慎重に上っていると、霧の向こうから「やっぱり手を繋いでいて良かったね。」と由紀の声がする。ひんやりとした雲に包まれている中で、暖かく柔らかい由紀の手の感触は僕を安心させてくれる。

そうやって少しずつ雲の中を進んでいくうちに、ホンギャアホンギャアと赤ちゃんの泣き声のような音が聞こえてきた。

「由紀、あれは何の音に聞こえる?」

「赤ちゃんの泣いている声みたいに聞こえるね。」

「こんな空の上に赤ちゃんなんているものかい?」

「そうでなかったら風の音か何かだと思うけれど、本当に赤ちゃんが泣いているんだったら放ってはおけないよね。」

やっぱり由紀は優しいな、なんてのん気に考えているうちに、いよいよ雲の濃さが尋常ではなくなってきて、すぐ目の前すら見えなくなってくる。足で階段の向きを確認して、由紀と繋いだ手の感覚だけを頼りに進んでいく。それなのに、あろうことか「アッ」という由紀の声の後、その手が振りほどかれてしまう。

「由紀?」

真っ白な世界に一人だけ取り残された僕は、あまりの心細さに泣きそうになってしまう。由紀はいったいどうしたんだ?もし足を滑らせて階段から落ちたりしていたら――そんな絶望的な考えが頭をよぎる。

しかしそれはほんの数秒で、すぐに由紀の顔が目の前ににゅっと現れる。

鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離に由紀の顔があって、ここまでの感情の上下も手伝って心臓が物凄い勢いでバクバク言っているんだけど、由紀はそんなことは気にも留めず興奮した様子でその手に握っていたものを僕に見せてきた。

「これ!雨の赤ちゃん!」

そこには水滴を手のひらサイズまで大きくしたような透明な丸いものがあって、ホンギャアホンギャアという声はそこから聞こえてくる。

「お腹がすいてるのかな?お母さんはいないのかなぁ?」

雨は雲の中で育つので、雲がお母さんということになるのだろうけど、雲は僕たちの周りに漂うばかりで何かをするようには見えない。

「うーん、よしよし。泣かないで、大丈夫だよー。」

由紀がそっと抱きしめると、泣き声が少し弱くなる。

「もしかして…・・・寒いんじゃないかな」僕はそう言うと、水筒に入っている温かいお茶をコップに注いで、湯気が雨の赤ちゃんに当たるようにしてみた。

すると、泣き声はピタリと止まり、雨の赤ちゃんは周囲の雲を吸い込んでみるみる大きくなっていき、やがて地面に向かって落ちていった。

「すごい……凄い凄い!寒がってるって良く分かったね!」

由紀が目を輝かせてピョンピョン飛び跳ねている。全くの勘だったので、そんなに感心されると心がこそばゆい。

辺り一面を埋め尽くしていた雲は全て雨となり落ちていったようで、見渡す限り晴れ渡っている。

そして見上げると――空には大きな虹がかかっていた。

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