ユキちゃんとわたし

@matsuri269

第1話

ユキちゃんはそれはもう聡明なひとで、わたしはユキちゃんのことが大好きです。

彼女は正多面体だけを残してゆきました、とユキちゃんのお母さんは言いました。

全部きれいに残りました。一つも残さず、全部。

白い箱の中には、色とりどりの立体が入っていて、好きに見てください、と言われたので落とさないようにそっと、その箱を受け取りましす。

大体15個くらいでしょうか。もう親族のひとたちが持って行ったのならば、これくらいが妥当な数なのでしょう。

わたしがまず目を引かれたのは赤くて透明な立方体で、内部に液体の含まれているものでした。液体の中の気泡が、掌で転がすと動きます。これにしようかと思いましたが、でもちょっと、ユキちゃんらしくないなと思ったのです。

全部ユキちゃんであったのですけれども。そのくらいは、わたしもわかっています。

ほかにもいろいろあって、緑色の正八面体の少し欠けたようなものや、球の中に延々と正方形の鏡が入れ子状になっているものもありました。

どれもいまいちピンときません。ユキちゃんのお母さんは黙ってわたしを見ています。

ユキちゃんは八面体とするなら安定していて、球というほど、不安定ではありません。

テーブルの上に置いておいたら、僅かな衝撃で均衡を崩してどこかに行ってしまうなんて、そんなことがあるはずはありません。

ひとつひとつ手にとってみます。小さなものはビー玉くらい、大きなものは握りこぶしくらいの大きさの、様々な立体です。どれもいまいち、違うな、と思いました。もしかしたら、わたしは呼ばれていないのかもしれない。どれをとむらうべきなのかは、たとえ他人のものであってもわかります。わからないのであったら、それはわたしのとむらうべきものではなかったのです。

最後の一つになりました。ああ、これだ。

藍色に、翡翠の線の入った、角の丸い三角錐です。表面はなめらかで、蛍光灯の明かりに透かすと何かが反射してちかちかと光ります。銀粉でしょうか。わたしの両掌で、ちょうど包み込めるくらいのサイズです。

「ユキちゃんのお母さん、これです」

ユキちゃんのお母さんは見つかってよかったです、これもおみやげに、とみかんを3つ渡してくれました。

みかんをビニール袋に入れて、三角錐を持って帰りました。

ユキちゃんを片時も手放したくなかったのです。

ユキちゃんの家からわたしの家までは、徒歩と電車とバスを使って一時間と少しくらいです。ユキちゃんがとなり町に転校してしまってから、わたしとユキちゃんが会ったことは一度しかありませんでした。その一度の帰り道は、ユキちゃんがわたしを駅まで連れて行ってくれたのです。

「雨だからいいよ」

と言ったのに、ユキちゃんはついてきてくれたのです。ユキちゃんの傘は、白くて縁に青いフリルの付いている、丸っこいものでした。わたしのは父さんが誕生日に買ってきた、桃色のうさぎ柄のもので、子供らしいからあまり好きではありませんでした。

「ユキちゃんの傘、かわいいね」

わたしがそう言うと、ユキちゃんは眩しそうに笑いました。その時もこの道をふたりで通っていました。

ユキちゃんは家の前の道で交通事故にあったと聞きました。この辺りだったのでしょうか。ユキちゃんに何が起こったのか、周りの人たちは正確なところは何も教えてくれませんでした。残酷だと思ったらしいのです。しかしわたしは想像することができます。ユキちゃんがバラバラになっていくところを、そのガラス質にひびが入って、指先から割れていく様を。その日が雨だったら、雨水の屈折率に紛れて小指の欠片が落ちていったことだし、晴れていたら、足首が分光器となって石垣に虹をかけてゆきます。荘厳な崩壊です。ユキちゃんは驚きもせずに、普段と変わらない瞳で、細雪のように崩れていく身体を見下ろしています。ユキちゃんの視界は最後まで、鮮明なのですから。視覚をなくして、頭が落ちて、ようやく物音に気付いたひとがやってきます。そのひとは救急車を呼ぶより先に、あまりの美しさに立ちすくみます。ガラス質は粉々になって、大気を輝かせます。それから、もう接着剤も効かないこともわかって、おとむらいが転がっているのを見ます。もしかしたら、ひとつ拾うかもしれません。靴で踏むのが忍びなくなる、それは命の終わりです。

わたしは立ち止まっておもいっきり息を吸いましたが、何も喉には刺さりません。コンクリートの隙間に落ちたガラス質まで全部、掃除されてしまわれていました。

わたしが家に帰ると、おとむらいはあったのかい、と父さんは新聞を読みながら尋ねました。

黙って三角錐を見せると、そうか、と言って新聞にまた目を落としました。お土産に持たせてくれたみかんを机の上に置いて、わたしは部屋に戻りました。学習机におとむらいを置きます。蛍光灯をつけると、表面で光は遮られて中が見えません。残念だったので、蛍光灯は消しました。ベッドにダイビングします。たくさん歩いたしこのまま眠ってしまいたいところですが、今日のうちに済ませてしまうのがよいのでしょう。

わたしの家にある庭は、そんなに広くはありません。ですがわたしは気に入っています。母さんは庭を整えるのが好きで、陶器でできた小さな家を鳥のために作っておいたり、透かし彫りの柵を設置して道を作ったりしています。父さんは凝り性な母さんにあきれていますが、時々庭に出てはのんびりしていることを知っています。

フリージアの株の横にある金魚草は、数年前おとむらいをした金魚のものです。金魚はゼリー質でできていますから、ある日突然水の中に溶けてしまっていました。わたしはその時まだ、寿命というものがよくわかっていなかったので母さんに「どうして金魚はいなくなってしまったの、誰かが連れ去ってしまったの」と聞きました。母さんは水の中に浮いている赤と青のビーズのようなものを見て、おとむらいだよと言いました。なるほど、と思いました。これがはなしには聞いていた、おとむらいというものです。なので、わたしのとむらうべき赤のほうをとって庭に埋めました。その金魚は、窓際に置かれた水槽にいたので、窓の見えるところに。季節の変わらないうちに目が出て、夏になったら赤い花が咲きました。金魚だったので金魚草、と呼んでいます。今年はまだ花の咲く頃ではありませんし、庭の中に半ば埋もれかかっているので、最近では気にかけることも少なくなりました。

ユキちゃんにはこの金魚草の隣がよいのではないか、と思いました。わたしは芽吹くのを、部屋の中から見ることができますし、妙に目立ったところに置かなくたって、ユキちゃんは際立った存在であるからです。

金属製のスコップを押し入れから出してきて、いささか硬化した土を掘りました。ユキちゃんはとても聡明なひとで、わたしはユキちゃんが大好きです。スコップの先端を土に押し込むと、地面にひびが入りました。クラスのみんなは、ユキちゃんが勉強ができるから頭がいいのだと思っていましたが、それではユキちゃんのよさを十分に伝えているとはいえないのです。硬い表面を剥がし終わると、中の土はそれよりも柔らかく、掘りやすくなりました。ユキちゃんの姿勢は凛としています。掘り進んでいたら金魚草の根を傷つけてしまいました。ユキちゃんは正しい方法で言葉を使います。そうやって作った穴に、ぐらつかないように三角錐を配置します。ユキちゃんはすべての友人を分け隔てなくあつかうひとです。埋め戻すと、ちょうど三角錐の頂点だけがわずかに地表にのぞきました。ユキちゃんの書く文章は、わたしのものとはまるで違っています。三角錐の体積の分だけ、戻した土が余りました。ユキちゃんは優しい上に綺麗に笑うひとです。余った土を踏みつけて、ユキちゃんのおとむらいを済ませました。

わたしはユキちゃんが大好きでした。

だけれども、もうユキちゃんはわたしの手を離れてしまったのです。

水をやったら、芽が出て、芽が出たら、花が咲きます。

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