#10 俺、逃走

「だからー! 今何時だと思ってるイン!」


魔族の子は眉をひそめて言い寄ってきた。

語尾が気になるが、そんな事言っている場合じゃない。

聞いた通りなら、不用意に近づけば身体中の水分を抜き取られてしまう。


「う、うわーーっ! 俺のそばに近寄るなーーーッ!」


叫びながら素早く身を引いた。


「何回言ってもわからないやつー! すぐに黙らせてやるイン!」


『ブワッ!』


魔族は大きな風音と共に藍色の翼を振るうと、その勢いでふわりと宙に浮く。

そしてそのまま、魔族は見上げるような高さまで浮き上がっていた。


「……しかし……よく見たらマァまた若い男……。良い栄養が取れそうだイン……!」


怪しい笑みを浮かべながら、魔族は俺の体を見下ろしてきた。その光る瞳に思わず足がすくむ。


しかし栄養だと?

言い間違いか? 水分を吸い取ると聞いていたのだが……。

だがどちらにせよ、自分の身が危ういことに変わりはない。


「や、やめろ! 人の栄養なんて取るんじゃない!」


「何を言うイン。死なないだけありがたいと思うイン!」


制止もきかず、魔族は勢いよく距離を詰めてきた。


「うわーっ!」


退く間もなく、瞬時に両腕をつかまれた。

とっさに振りほどこうとしたが、なんともその小柄さには見合わない怪力だ。つかまれた腕が思うように動かせない。


「ひー!」


「ふふふ、堪忍してお前の精気を吸わせるイン!」


腕伝いに身体を押され、そのままベッドに押し倒されてしまった。


まずい。このままでは本当に栄養を奪われてしまう! まだミイラにはなりたくない!

じたばたと足で抵抗するも、こいつの小柄さゆえに上手く蹴りが入らない。


「さあ……大人しく……!」


そう言うと魔族は槍状の尻尾を巧みに使い、スルスルと俺のズボンに這わせてきた。


「ヒェッ!」


撫でられたかのような感覚にゾッとする。


魔族は怪しい笑みのまま尻尾をズボンへと伸ばた。

そのまま先端を巧みに動かし、俺のベルトをゆるめ出した。


「っ!?」


意味がわからなかった。

なぜだ。俺は今、ズボンを脱がされかけている。


「何してんだお前!?」


「何って、お前から吸い取るためにズボンをおろしてるイン!」


こいつ、どういうつもりだ……!

栄養を奪うのになぜズボンを……。


「はぁ? ……あっ!」


そうか、なんとなく掴めてきたぞ。

吸い取るとか言うものだから吸血鬼とかをイメージしていたが、そう言うわけじゃないんだな。


さらに言えば……なんらかの本で、こういった見た目のモンスターを見た記憶がある!


そう、羊のような角……!

蝙蝠のような皮の羽……!

そして明らかに露出の多い服……!

生態、行動、全て繋がった!


「お、お前っ! サキュバスだなーーーッ!?」


「!!」


混乱からか、思った事が口に出てしまった。


するとどうだろう。魔族はピタリと尻尾を止め、顔からも笑みが一瞬で消えたではないか。


「…………サ……」


「……?」


「サキュバスじゃなーーーーいッッ!!」


魔族は突如激昂し、俺を掴む手を更に強く握りしめた!


その顔は先ほどの笑みとは程遠く、怒りに満ちた、鬼のように真っ赤な顔だった。


禍々しい表情を目にした俺の頭からは、栄養や水分などといった思考など、もはや消えていた。


殺される。


その恐怖で頭が真っ白になっていたのだ。


そして何より握力が強い。腕がもげるんじゃないかってくらい強く握られている。ただ純粋に痛い!


「痛たたたたた! 痛い! 痛い!」


「あっ……」


俺が痛がった瞬間、……いや魔族は我に返ったのか、力強く握っていた手をするりと緩めた。


「いっ……え?」


俺も思わぬ出来事で驚いてしまったが、一瞬動く隙ができた。

もちろんチャンスは逃がさない。すかさず体をひねり、


「今だっ!」


『ゴスッ』


膝蹴りを入れてやった。


「ぐえっ!」


この感触、みぞおち辺りに入ったようだ。

魔族は痛そうな声を出し、転がるように倒れこんだ。


「ごめんよ! 俺も必死なんだ!」


そう言いながら俺はベッドから跳ね上がり、ベルトを締め直しながら部屋を飛び出した。


――


俺は廊下を走り続けた。

逃げたは良いが、これからどうしよう。


さっきは咄嗟な事だったから、何故俺の腕を離したのかはわからない。

ただ、次捕まれば今度こそ終わりだ。死ぬか干物かだ。


ちくしょう、これは子供が頼んできた話だったんだぞ。

だから、手ぶらでも勇気さえ出せば追っ払える、ネコみたいな小さい魔物だと思って引き受けたのに……。


道中で魔族と聞いた時から、そこそこ後悔はしていたんだ。

急いで有名になろうとして、焦って前に進みすぎて、自分で対処できるかとか、何も考えてなかった。


こんな事なら、事前にジェットへ連絡しておけばよかった……!


今となってはジェットに連絡するすべなんて無い。

自分にはスマホこそあるが、ジェットが持ってないんだから電話もできない。

だから今は、妙案を思いつくまで逃げ回るしかない……!


廊下の角を二度、三度と曲がり、先ほどの部屋からどんどんと遠く離れていった。


「はあ……はあ……。さすがに撒けたかな?」


立ち止まって周囲を見回したが、魔族の気配はしなかった。恐らく大丈夫だろう。


だが、アイツの弱点がわからない以上、もう一度襲われたら今度こそ終わりだ。

せめて対策でも見つけないと……。


藁にもすがる想いで、もう一度スマホを手に取った。


だがだめだ。やはり検索すれど何も出てこない。

魔族のことも、サキュバスのことも、まったく引っかからない。


ちくしょう。なぜヌタムシはあんなに細かく出たのに、サキュバスについては何も出ないんだっ!


……待てよ? ヌタムシといえば……あの時は個々の居場所まで割り出せたよな……。

もしかしてだが、種族は無理でもアイツ自体の事なら割り出せるか?


そうなら早速調べよう。まずは地図機能だ。

推理が正しければ館内の居場所がわかるはずだ。


今度はブラウザではなく、マップで「魔族」と検索してみた。


するとどうだろうか。マップ上にピンが一つ出たではないか。

しかも画面には先ほど「間取り図」アプリで作った家が映っていた。


「なんだこれ!連携リンクしてんのか!」


こりゃ高性能だ。これならアイツの居場所が少なくとも確認できる。


見たところアイツはさっきの部屋から移動している。どうやら俺を探しているようだ。


ならば時間がない。急いで打開策を模索しよう。

次は出前アプリだ。

この流れだとどうせ出前とかいうのは名前だけで、宅配に近い事もできるだろう。

武器はないものか。「食べ物」をマイナス検索した。


普通の出前アプリだったら意味の分からない行為だろう。

だがこのアプリは違った。期待通り食べ物以外がずらずらと並んだのだ。


金槌、大剣、ジェット、スコップ。

色々なものが注文できるじゃないか!


「ってジェット!?」


危うくスルーするところだった。

サムネイルにはよく知る男の姿が映っている。

この「ジェット」は恐らく推進機のことではない。

あの優しい男、「ジェット」のことだ。


ならばと俺はジェットを注文……いや、この場合はでいいのか?

まあいいや。注文した。

これでこの館にジェットが来てくれるはずだ。


ついでに、護身用のナイフも注文した。

いくら魔族とはいえ攻撃なんかはしたくないが、正当防衛が必要な時は来る。念のためだ。


これであとは出前の配達を待つだけだ。それまでは逃げ回らなくては。

そう思い、すぐに受け取れるよう俺は玄関近くへと逃げ出した。


しかし、今思い返すと、あの時アイツはなぜ急に怒り出したんだ?


「サキュバスじゃない」と叫んではいたが……。

仮にサキュバスでないとしたら、アイツは一体なんだ? なぜ間違えられて怒ったんだ?

それなりにプライドの高い魔族、いやそもそも魔族だったのか……?


「エルフ? 妖精? いやでも、角があったもんな……」


そんな思考を巡らせていると、ふとある事に気がついた。


……自分の体が心なしか若干軽い。

なんだか、体から何かが抜け落ちたような気分がするのだ。


「……?」


その軽さは、決して良い意味での身軽さなどではなかった。

何か、「足りない」という感覚に陥るような不安感。

力が入らないような喪失感。

強く拳を握っても、握りしめる感覚がほとんどない。


「ようやく……気付いたイン?」


「ゲっ!?」


後ろから声をかけられた。

振り向くと、そこには魔族の姿が。


「インは触れるだけでもパワーを吸い取れるイン!」


「お前……! これお前のせいか!」


「さっきはよくも蹴ってくれたインね……! もう観念するイン!」


「うるせぇ! あっち行けバカ!」


俺はぎこちない動きで玄関へ走りだした。


「うわっ!」


しかし何もない所でこけてしまった。


「無駄だイン……!感覚が狂ったお前はもうまともに走れないイン……!」


ゆっくりと近づいてくるインキュバス。

その足取りにはどこかしら重みがあった。


「くそっ! 余裕こきやがって!」


「余裕……? それは違うイン。これは……」


「"我慢"ッッ!」


「……何?」


「余裕なんて一切無いイン……。お前が持ってきた……。 アレを飲んでから様子がおかしいイン……!」


「アレ……? ……お前まさか、俺の買った牛乳を飲んだのか!? こんな時に!?」


「こんな時だからこそイン……! 栄養補給と思って飲んだのに……! まさか牛乳だとは……!」


牛乳じゃなきゃ何だと思ったんだ。豆乳か?

というか牛乳苦手なんだ……。


しかしこれは好都合だ。こいつがこんな状態なら捕まることなんてないだろう。

俺はニヤニヤと笑いながら背を向け、ひょこひょこと歩き出した。


「あっ! おい待て! 待つイン!」


「待たねーよ! お前なんか早歩きでも逃げられるもんねーー!」


「このーーっ!」


顔を真っ赤にしながら追いかけてきた。

だがやはりあんな状態では満足に歩けないようだ。さっきと比べてだいぶ遅いぞ!これなら逃げられる!


しかし、流石に魔族だ。体力の差だろうか。

早歩きの俺に、ヨロヨロな状態なのに追いつきそうじゃないか。


えっ!? 追いつきそうじゃないか!


やばいやばい! 遅いけど思ったより早い! 捕まったら大変だ!

煽っておいて捕まりなんかしたら、ミイラにされてしまう!


俺は全力で、なおかつコケないよう丁寧に早歩きをした。

それでもダメだ。どんどん距離が縮んでいるじゃないか。


もうすぐ手が届く! まずいっ!



その時だった。力強くドアを開く音。

横からジェットが飛び出し、魔族の腹を思い切り蹴飛ばした――。



俺は、玄関に、たどり着いていたッ!

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スマートフォンを片手に異世界へ飛び込んだ結果苦戦するかと思いきや何故か充電環境あるし電波通るわ検索できるわで意外と不自由なくスマホ活用できた上にそれなりにあるコミュ力で友達もとい仲間がたくさん増えた件 Lein. @lears33

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