第40話 本当はクリス様が良かったなんて贅沢です


 ひらりひらり。

 ドレスの裾が広がり、殿下の外套も僅かに舞っています。


 今はこのダンスフロアには私と殿下、2人だけ。




 ………そう、2人だけ。




 しょうがありません。

 夜会のファーストダンス、しかも踊るのは立太子が近い第1王子ですから、皆様壁に寄ってこちらをガン見。様々な方向からご令嬢の怨みの矢が飛んできます。


 しかもなんなんだ!かなりこれ難しい曲なんですよ!最初にぶっこみますかね?!

 殿下の巧みなリードに必死について行きます。


 そして踊っていて考えるのは―――クリス様の事。


 ターンをする度に視界に映る、紺色のコートジャケットを羽織った夜会仕様のクリス様は、いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべてこっちを見ていて。

 それに少しだけむくれてしまう我儘な自分に凹んで。

 それだけでは無くて、デビュー初のダンスのパートナーはクリス様が良かっただなんて、更に贅沢な事を考えてしまう私は―――。




 ぐいっ




 いきなり身体を引き寄せられて一気に現実に戻ります。腰に腕を回され、殿下と私の鼻と鼻がくっつきそうな距離に、ギャラリーから悲鳴のようなものが聞こえました。


 私も内心叫び荒れていました。




(殿下の馬鹿!!!!!!んな事したら駄目でしょう?!?!)




 最近殿下に容赦なくなってきて、段々と父様や母様、兄様に近づいている事は、私自身気がついていませんでしたが……。


 欲情を瞳に浮かべ、すっと目を細めた殿下は、声変わりをして低くなった声を更に低くして、私の耳に口元をピタリと寄せて、囁くように、息を入れながら言いました。




「ねぇリズ。私が目の前にいるのに、別の男の事を考えるなんて……随分余裕なんだね」




 いえいえいえいえいえ。全く余裕ではないので勘弁して下さい。思わず口元が引き攣った私を見て、殿下はクスクスと笑いを零します。




「他の男に目をくれてやるなんて、許さない」




 不敵で綺麗な笑みを浮かべた王子様は、何故だか分かりませんが、心底嬉しそうでした。ぐぐぐっと顔を寄せられる私は必死に抗います。


 そろそろ危ない!と、そう思った時、丁度音楽が止みました。

 た、助かった………。




「……残念」


「え?」


「ん?いいや?……さぁ、戻ろうか」




 殿下が本当に小さな声で呟いた言葉は、私には聞き取れませんでした。私に言ったのか、独り言だったのか……。




「ねぇ、リズ。もう一曲如何かな?」


「いえ、大変光栄な事で御座いますが、辞退させて頂きますわ」


「ふふふっ、そんな事を言わずに、ね?」




 ………手を離して頂けませんか?殿下。

 壁際に着いたので、そんなにきつく握り締めなくても良いんですよ。と言いますか、私は一刻も早くここから逃げたい。


 と思っていたその時、フリーになっていた右手を誰かに取られました。ぱっと後ろを向けば―――――クリストファー様でした。いつもは緩い三つ編みですが、今は横に流して一つに結んでおり、礼服も相俟っているのか、いつもより大人っぽいです。


 クリス様は流れるような動作で、その形の良い薄い唇に私の手を持っていきました。そして甲に口付けを落としたまま、私を見上げ、そして目元をゆるりと和らげました。その色気に当てられて真っ赤になってしまいます。




「ジゼル嬢、一曲御相手願えますか」


「はい、喜んで……!」




 人の目が集まっているからなのか、殿下はぱっと私の手を離しました。「いってらっしゃい」と言ったその笑顔が酷く怖く感じたのは私だけでしょうか。


 殿下を一瞥した後、柔らかく優しく引き寄せたクリス様。

 手袋越しに伝わる熱と、大きな手、見上げれば鼻筋の通った綺麗な横顔。歩く度に香る彼の甘やかな香り。

 その全てが、愛おしくて、素敵で、大好きです。



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