本音


「きっと覚えてるだろ? 前世のこと。その前も、その前も、ずっとずっと全部」


 ナオは静かな声で語りかけます。ナナシはぐっと拳を握りしめました。ガタガタと震えています。でも、談話室ではサナがその手を両手で優しく包み込んでくれていました。大丈夫ですよ、ナナシ。がんばって……!


「そのどれも、俺は間に合わなかった。結局は魔王を……いや、俺の半身だな。守ることは叶わなくて、俺はその度にお前を……殺すことになったよな」

「っ……」


 二人とも、苦しそうに顔を歪めていました。あの時感じた苦しみ、恐怖、悔しさや悲しさが蘇っているのでしょう。特にナナシは、恐怖の色が強いようですね。ずっと震えが止まらないようです。


「なぁ。俺は、今回は間に合ったのか? 教えてくれ。俺にしてほしいことはないか?」

「っ、こない、で……!」


 ナオが歩み寄って手を伸ばしますが、ナナシは頑なに拒否をします。いやいやと首を横に振ってナオが近づくのを嫌がっていますね……


「怖がらなくていいんだ。頼む、この手を取ってくれ」

「だ、め……! だって……」


 ナナシは辿々しくもゆっくりと、自分の意思を伝えます。


「みんなに、迷惑をかける……あたしがいたら、この力が、暴走する……誰も止められない……! だから、だから……」


 ────私を、殺して。


 お願いだから、とナナシは懇願しました。死ねないのは辛いと。迷惑をかけ続けて苦しみ続けるくらいなら、死なせてほしい、と。……それが、あなたの望みだというのですか。


 ナナシ、貴女は死を選ぶのですね。


 それならそれで、受け入れますよ。私たちはみんな、貴女の決定を受け入れます。スピリットたちはみな、悲しそうな表情で、でも反論する意思はないようでした。


 けれど、ナオは違いました。ナオだけは、まだ諦めずにいたのです。


「迷惑になるとか、さ。もういいよ。自分がいるとみんなが困るとか……そうじゃない。俺はそんなのが聞きたいんじゃないんだ」


 ナオは力強い眼差しで続けます。何を、聞こうとしているのでしょうか。さらに一歩前へ進むと、ナナシもその分下がっていきます。それでもナオはさらに一歩、一歩とサナに近づいて行きました。


「俺は、お前の気持ちが聞きたいんだ、ナナ。どんなに醜い本音だっていい。いや、ない方がおかしい。俺はそれが聞きたい。絶対に、受け止めるから」


 本音……? ナナシの、本音。考えたこともありませんでした。思えば彼女の気持ちというものを、私たちは一度として聞いたことがなかったように思います。言いたくても言い出せない、そんな苦しみが溜まりに溜まって私たちになっていったのですから、当然といえば当然です。


 自分に、気持ちを聞いてくれる存在が初めて目の前に立っている。ナナシは激しく動揺しました。


「あたしの、気持ち……なんて」

「そう。ナナの気持ち。ナナにしかわからない、ナナだけの気持ちだ。聞かせてくれないか?」


 ナナシの戸惑いが伝わってきます。そもそも、自分に気持ちがあるのかさえ、よくわかっていないのですね。ああ、どうしたら教えてあげられるのでしょう。自分の気持ちをどう伝えればよいのかなんて。


『大丈夫。私も、ナオたちと出会って、教えてもらったんだよ。自分のことを話す大切さを』


 その時、サナがそう言いながらナナシと繋ぐ手を額を当てました。優しい金色の光がふわりと二人を包み込みます。サナがあの三人と旅に出て、信用できる相手になって行き、少しずつ自分の気持ちを言葉にしていけるようになった思い出を伝えているのでしょう。


『ナナシ。ううん、ナナだっけ。ナナ。私と貴女は同じでしょ? 出来ないわけないよ。貴女にもできる。言ってみて? どんな言葉でも、ナオは受け止めてくれる』


 そう言ってサナはナナシ……ナナの背をトンと軽く叩きました。背を押されたナナの口から言葉が溢れていきます。


「あ、あたしは……ずっと、わからなくて」

「……うん」


 ナナが言葉を紡ぎ始めれば、ナオが穏やかな表情でそれを聞きます。一言ずつ、相槌を打って、ナナの気持ちに寄り添うように。


「どうして、あたしがって……どうしてあたしは、こんな目に合わなきゃいけなかったの? だって、ちゃんと訓練さえしていれば、魔力の制御もできたんでしょ?」

「ああ、そうだな。俺だって属性は光だけど……訓練してなかったら暴走してた。光の魔力だって暴走したら危険なものだ。闇の魔力となんら変わらない」


 そうですね。どんな属性の魔力でも、たとえ無属性だったとしても、これほどの膨大な魔力を持ちながら制御の仕方も教えてもらえなければ、誰だってこうなるでしょう。今も吹き荒れる魔力の竜巻の中心で、ナナはさらに言葉を続けました。


「あたしは、ただ黒い髪なだけ。紫の瞳なだけ。闇の魔力を持って生まれて、その魔力が強力だっただけ……でも、それが普通じゃなかった。普通って、何……? これが、あたしの普通なのに……!」


 次第に語気を荒げていくナナに、ナオは変わらずその言葉を受け止め続けました。さらに竜巻は激しく、大きく畝って空へと伸びて行きます。


「自分の普通……そうですわよね。誰にだって自分だけの普通がありますもの」

「エミルだって、この耳と尻尾が普通にゃ!」

「ええそうですわ。自分の普通を基準に、人が物事を主張しているのがおかしいのです。そんな大人が多いから……話はこんなにも複雑になってしまったのですわよ。とても、悲しいことですわ」


 結界の中ではフランチェスカとエミルも話し合っているようです。


 人の数だけ、それぞれの普通があるというのに、おかしな話ですよね。人は、勝手に基準を作って、その基準から大きく外れたものを奇妙だ、普通じゃない、として攻撃してしまう。それが、悲劇を生むというのに……自分が普通ではないという状況になってはじめて気付くのでしょう。愚かなことです。


「あたしは、魔王なんかじゃない……! あたしを魔王にしたのは、人だろっ!!??」


 これがナナの、本音。ずっとずっと思っていた本当の気持ち。そうでしょう。そうですよ。なぜ、ナナが変わらなければならないのでしょう。なぜ、ナナだけが耐えて、その存在を消さなければならないのでしょう。


 真に変えるべきは、人々の意識だというのに。


 でも、きっとそんなに簡単に本質は変わりません。今後も人間は同じことを繰り返していくでしょう。

 だからといって、声をあげなけらば伝わらない。悲劇を、もう繰り返さないためにも。サナとナオが生まれ変わった世界では、改善している世界であってほしい。そのための種まきはなされ始めています。


「こんな世界、滅びちゃえばいいんだ……! 人間なんか、大嫌いだ!!」


 ああ、どうか。あと一息なのです。ナナ、貴女には一歩前に踏み出してほしい。先ほどまでは貴女の決定に従うと思っていましたが、ここへきて私は望んでしまいます。


 ここで、今世で、ナナとナオが歩み寄り、共に生きてくれたなら。

 きっと、来世も、その次も、生まれ変わった時には人の意識は大きく変わっているような、そんな気がしたのです。


「ああ、ああ、そうだな。本当に、そうだ……」


 ナナの叫びを聞いて、ナオは深く頷きました。それから……涙を流しながら、ナナを抱きしめたのでした。

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