ナナシ


『見える? あれがエミル。耳と尻尾がピョコピョコして可愛いでしょ? エミルはいつも元気いっぱいなの。ちょっと思ったことをズバッと言っちゃうところがあるけど、悪い子じゃないの。元気をわけてもらえるよ』


 サナはナナシの手を取ってスクリーンの前に行き、説明を始めました。今、身体は目を閉じているのでスクリーンに映るのはおそらくサナの記憶です。色んな表情のエミルが次々に浮かんでは消えていきます。どの表情もニカッ八重歯を見せた可愛らしい笑顔です。


『あれがフラン。フランチェスカって名前なの。なんと王女様なんだよ。まさか王女様と友達になれるなんて思ってなかった。頭が良くて美人で……えっと、お胸が大きくて。私にも普通に話しかけてくれて、すっごく優しいんだよ』


 次に、記憶の中のフランチェスカが流れては消えていきます。どの彼女も優しい笑みを浮かべていますね。サナの強い印象により、主張の激しい胸がやや強調されているような気がしますが。サナは自身の胸を見下ろしながら、もう少しくらいは大きくならないかな? などと呟いています。……意外と、気にしていたのですね。新たな発見です。


『それからあれが……ナオ。勇者だよ。デリカシーがなくて、余計な一言が多くて。勝手に家に上がり込んでは自分の家みたいに寛ぐし、シャワー上がりでタオル一枚の姿も見られたことがあったっけ。それなのにいつもヘラヘラ笑って……』


 今度はナオの姿が流れては消えていきます。ナオだけは、色んな表情の映像が出てきますね。それだけ、サナはナオを見てきたのでしょう。


『馬鹿みたいに強くって、いざって時は絶対守ってくれる。誰に対しても優しくて平等で……人の心にグイグイ入ってくる。そんなに来られても、迷惑、なのに……』


 もごもごと口ごもり始めたサナ。ナオだけは悪口が多めでしたし、褒める部分は声が小さくなっています。


『でもね、ナナシ。私は、ナオと離れたくない。そう思うんだ』


 それから、小さな小さな声でポツリと告げました。こちらにもわずかに聞こえましたから、ナナシにも聞こえたことでしょう。それが、サナの本音なのですね。


『この後の事は、ナナシが決めていいの。好きなように動いて、喋って。暴れても喚いても……殺されても、いい。だからね?』


 サナは両手でナナシの手を力強く握りしめました。


『お願い。外に出て、ナオと話して』


 それからサナは、支配者の席へと目を向けました。それを受け、ナナシもゆっくりとそちらに顔を向けます。彼女の体が、遠く離れた場所から見ても、震えているのがわかりました。


『大丈夫、私はすぐそばにいる。ナナシの左手を離さないよ。怖かったらぎゅっと握っていいから』


 さあ、とサナがナナシの手を引いて支配者の席へと向かいました。


 ゆっくりと、ナナシの足が進みます。私たちはただ黙ってその様子を見守りました。


 本当は殺されるのなんて嫌だと思っているオースティンやニキータもジッと佇んで。エーデルはどこか楽しそうに嫌な笑みを浮かべて。アリーチェはよく分からずに不安そうなノアを抱え、パウエルは不思議そうに首を傾げて。

 ルイーズはどこか心配そうに彼女たちを見守り、私は……ただ、ひたすらに祈っていました。


 それぞれが、納得のいく結末を迎えられますように、と。


 そして、ついに。


 スキル【スピリットチェンジ】発動しました。

 身体の使用者が本体に戻ります。


 うっすらと、目を開けました。スクリーンに映像が映し出されます。ほとんどのスピリットがそちらに視線を移しました。私も未だに手を繋ぎ続けるナナシとサナを見て、それからスクリーンに目をやります。


「…………っ。来て、くれたのか」


 これまで目を閉じて座っていたナオが、何かを察知して目覚め、こちらを見ました。それから上半身を起こしたナナシの姿を確認し、そう声をかけたのです。


「にゃ、来たって? あ……」

「ん、なにかありました、の……?」


 見張りをしていたエミルが気付き、ナナシに目を向け、目覚めの良いフランチェスカも目を大きく開いてこちらを見ます。きっと、紫の瞳を確認したのでしょう。


「魔王……いや、身体の持ち主、だな?」


 ナオが優しく問いかけた瞬間、魂が激しく揺さぶられるのを感じました。会うべくしてようやく出会った、惹き合う魂を持つ者同士。ナオの声も震えていましたので、同じ感覚を共有しているのだと思います。

 ナナシはすぐには声を出せず、周囲にわかるかわからない程の小さな動きで頷いて見せました。それでもナオには伝わったようです。スッと手を伸ばし、ナナシに触れようとしました。……が。


「っ、さわ、るな……!!!!」


 ナナシの激しい拒絶は、荒れた闇の魔力となって吹き出しました。呆然とした状態から我に返ったのでしょう。闇の魔力は限界を知らないのではないかというほど天高く登り、広がって世界中に散らばっていきました。


「あ、あ、空が……!」

「このままでは、世界中で魔物が大暴れを始めますわ!」


 その光景に最悪を思い浮かべたエミルとフランチェスカが声をあげます。その様子にナナシは怯え始めました。


「あ、あたし、が……出てきちゃった、から……!」


 その様子に失言だったと気付いた二人はすぐに口を閉ざしましたが、すでに遅いですね。ナナシは聞いてしまいましたから。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですわ! 魔物が増える事、暴れる事など、各地に伝達が回っているはずですもの。対応してくださいますから!」

「そ、そうにゃ! まだ、大丈夫……」

「大丈夫じゃ、ない……!!!!」


 二人のフォローにかぶせるように、ナナシは再び声をあげます。さらに闇の魔力が吹き出しました。


「あたしが……あたしがいたら、ダメなんだ……やっぱり、ダメなんだ……!」

「そんなこと……きゃあっ!」

「話を聞い……んにゃあっ!」


 取り乱すナナシに二人はどうにか落ち付けようと近付こうとしましたが、吹き荒れる膨大な闇の魔力に吹き飛ばされてしまいました。

 そんな二人を、ナオが軽々と片腕ずつで受け止めます。それから一度ナナシから離れ、二人を地面に下ろすと、光の結界を張りました。かなり強力なもののようですね。


「な、何をしますのナオ!」

「ここから出すにゃあっ!」


 結界の内側からドンドンと殴りながら二人が抗議の声をあげています。そんな二人を結界の外から手を当てたナオは、いつものように明るい笑顔でヘラリと笑いました。


「ここにいれば安全だから。見てて。全てを終わらせるからさ!」


 それだけを言うと、ナオは走ってナナシの方へと戻ってきました。まだ二人が抗議の声を上げていますが、振り返る事はしません。……二人を、守るためにはこれがいいかもしれませんね。どんな結果になるにせよ、ここまで制御の出来ていない大きな闇の魔力を浴びてしまえば、二人の精神も蝕まれてしまいますから。


「なぁ、名前……っと、ない、のか。ナナシ? うーん。ナナでいいか? そっちの方が可愛い」


 ナナシの前まで来ると、ナオはいつもの調子で話しかけました。魔力が荒れ放題でもはや竜巻の渦の中にいるようなものなのに、ナオの様子からはそんな事は微塵も感じさせません。彼自身が光の魔力の塊みたいなものですからね。唯一耐えられる人物というわけです。ナオの身体は光の魔力で覆われています。


「なぁ、ナナ。聞いてくれ。俺はお前に、謝りたいんだ」


 それから真っ直ぐな眼差しでナナシを見つめ、ナオは語り始めたのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る