第一魂 サナ
本当の目的
『ナナシ、聞いている? だから心配いらないんだよ。人を傷付けなくて済む。むしろ今が大チャンスなの。ね、外に行こう?』
サナは、そう言ってナナシを説得しているようでした。すると、渦がゆらゆらと揺らめくのを感じます。迷っているのでしょうか……あと一息ですね。頼みましたよ、サナ……!
『うん、一緒に行く。私は支配者の席近くで待ってるから』
サナがそう言った次の瞬間、渦が一箇所に集まって行き始めました。もはや談話室いっぱいに広がっていた靄がまるで吸い込まれていくように集まって行きます。次第に、誰かに手を差し出すサナの姿が確認できるようになりました。
『サナ……』
ルイーズが思わずと言った様子でサナを呼べば、それに気づいたサナがこちらに一瞬目をやりました。それから口元に人差し指を当てて、少し微笑んだのです。今は黙って見守ってほしい、という事でしょう。
サナの指示通り、私たちは黙って様子を見ていることにしました。そうしてしばらくした後、一箇所に集まった渦が、人型をしていることに気付きます。ようやく、彼女が姿を現したのです。
伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪、長い前髪にハッキリとは見えませんが、紫に光る……瞳。無表情のまま立ち尽くしたその姿は、瞳の色こそ違いますが痩せ細ったサナそのものでした。まるで、あの頃の、時が止まった時のまま。
サナの差し出す手に、ナナシは震える手をそっとのせます。すると、スクリーンに映像が流れ始めました。……それは、私でさえ知り得ない記憶。おそらくは、誰も生まれていない頃の、まだ魂が粉々に砕ける前の……記憶。
まだ幼いナナシが、部屋の片隅で縮こまっています。なぜか、目隠しをされていました。その理由はすぐにわかることとなったのです。
『……邪魔ね。あ、目隠しを取らないで。気味の悪い目なんか見たくもない』
そういう、ことですか……呪われし紫の瞳。髪の色が金であれば祝福を受けていたであろうその瞳は、黒髪であることでその対応が真逆となります。でも、このベリラルで勇者が生まれていたら、それはそれで囲われて終わっていた可能性の方が高いのですけれど。
『…………』
ナナシがなにかを訴えるように顔を上げました。でも、おそらく言葉を理解はしていても、喋れなかった時期です。なにか言ったとしても喃語がせいぜいだったと思います。それすら、出させてもらえませんでしたけど。母親が思いきりナナシを蹴飛ばしましたから。
『喋らないでちょうだい! 近寄らないで! 私まで呪われるわ!』
お乳を与えてもらっていた時期はもう過ぎ去りました。まだ幼い子どもにとって、母親の人肌はなにより恋しいものでしょう。母親がいなくとも父親が、それすらいなくても誰か大人、いえ、多くは求めません。友達や、ペットでもいい。この時何者かがナナシに寄り添い、温もりを与えてくれていたら……何かが変わっていたのかもしれません。
────さ、み、し、い。
この時のナナシの気持ちがダイレクトに伝わってきました。談話室にいる
────ふつうがよかった。
これは、今のナナシの言葉でしょうか……
────ふつうの、おんなのこに。
何より求めたのは、「普通」でした。彼女は黒髪でも、紫の瞳でもない、普通の女の子として生まれたかったのです。とびきり綺麗でなくてもいい、特別裕福でなくても、なんなら貧乏でもいいし、孤児でもよかった。
ただ「普通」を渇望し、求めた……それが、ナナシの、最初の望みだったのですね……
でも、それはもはや逃れようのない現実。運命。彼女にはどうすることもできなかったのです。母親は蹲るナナシにこう言い捨てました。
「アンタは、外にバレるわけにはいかないから家に置いてるだけ。死んでくれてもかまわないんだよ! なんで……なんで、アタシのお腹からアンタみたいな奴が生まれてきたんだい!? 他の子を産みたかったよ!!」
瞬間、バリィィィィンと何かが割れる音が響き渡りました。この談話室いっぱいに音が響いています。いえ、私たちの心に直接訴えかけてくる音のように感じますね……
これまでずっと、縋ってきた相手が、自分を求めていないと知りました。酷い扱いを受けていたけれど、自分は愛されているから生まれたのだと、どうにか信じてきたのです。
けれどこの日、この時初めてナナシは母親から、ハッキリと拒絶の言葉を投げかけられたのです。唯一、縋れる、信じていた、たったひとつの希望の光が、閉ざされた瞬間でした。辛うじて保っていた、ナナシの心が……この時バラバラに砕け散ったのです。
同時に、スクリーンが、金色の光で輝きました。ああ、この時、サナが生まれたのですね。
────だれか。
────あたしの、そばに。
────だれか。
────あたしを、ふつうにして。
キラキラと大きな心のカケラが徐々に人の形を成していきます。そうして、心の中に談話室が出来上がり、支配者の席が現れました。その前に……ナナシと同じ背格好のサナ。この時はまだサナも、幼い姿。
サナは丸まって泣きじゃくるナナシを抱きしめました。
『いっしょに、いるよ。ずぅっと。私は、あなたが、あなたは私が、ずぅっと、だいすき』
にっこりと微笑んだサナは、ナナシにそう言って笑いかけたのです。
こうしてうまれたサナは、しばらくの間ナナシの唯一の友達でした。たった一人で蹲るナナシの、たった一人の話し相手。最初はもしかすると、単なる妄想だったのかもしれません。けれどそれが徐々に一人の人物となり、魂を持ち、時にナナシと交代して生活するようになったのです。
目隠しを外せるようになったのも、サナのお陰ですね。ある時、その黒目を母親に見せた時は、ほんの少しだけ喜ばれたのです。紫の目は見間違いだった、罰を与えることで悪しき呪いを自分が治したのだと、見当違いな見解を見せてくれましたが。
まあそれでも、ナナシやサナに対する態度は変わりませんでしたけれど。結果として散々な目に遭いましたしね。
こうして時折チェンジしながら幼少期を過ごしていく中で、サナとナナシは互いに依存しあってなんとか心の命を繋いできました。その過程で私が生まれ……そしてエーデルが生まれ。
ついに心を閉ざし、殻にこもって自らを守るようになったナナシは……サナの中にある苦しい記憶と共に、眠りについたのです。
『サナ。今日から貴女が
これは、私。談話室で呆然としているサナに声をかけました。けれど、一切反応がなくて……
『サナ……?』
サナに触れようとしても出来なくなってしまいました。たしかに最初は触れることくらいは出来たのに。
一からやり直そうと決意したのです。幸い、サナは呆然としてはいましたけれど、目に暗いものは宿っていませんでしたから。この子だけが希望だと、何としてもこの子を悪意から守らなければと思ったのです。
だからこそ、やり直しのこの日以降に起きた忌まわしい記憶は全て私が封印するようになったのです。サナを、なんとしてでも守るために。
そう、本来の目的はこうだったんです。私はいつしか忘れてしまっていましたが……
私の本当の目的は。
いつか、サナがまたナナシに、最高の笑顔で手を差しのべられるその日が来るまで、サナを守ることだったのです。
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