エーデルの目的


「ふ、ふふふ……懐かしいですねぇ! ああ、懐かしい。初心に戻りましょうかねぇ!」


 呆然と、あたりを見回しつつ警戒態勢をとっていたナオたちから一歩前に踏み出したエーデルは、不自然なほど生き生きとしていました。そのまま数歩前に出たエーデルは、ナオたちの方に振り返ると、徐ろにルイーズ用の剣を抜きます。


「エーデル……!?」

「な、何をなさるおつもりですの!?」


 突如、武器を構えたエーデルに、彼らは一層警戒をしてそれぞれが反撃できるよう構えました。すると、エーデルはニヤニヤと笑みを浮かべながら、首を横に振ります。


「ああ、皆さんに危害を加えるつもりはありませんよ? 覚えていてください。私は、皆さんの味方です。協力者なのですよ」

「にゃ、にゃにを……!?」


 そう言ったエーデルは、不穏な気配を感じ取ってサナに交代を叫ぶルイーズの声とほぼ同士に、あろうことかその剣を振って自身の首を切りつけたのです。


「えっ……」

「き、きゃあああああ!!」

「サニャ!!」


 首から血が吹き出し、三人は今見たものが信じられないと言った様子でエーデルから目を離せずにいました。こちらも警戒していたというのに……でも、こうなってしまっては迂闊にサナを交代させられません。


「お、おい……何を、サナに何をしてんだよ!!」


 状況を数秒遅れで把握したのでしょう。ナオが激昂し、エーデルに近付きました。けれど、エーデルは血塗れで真っ赤になった手を突き出し、こちらにくるなと暗に示します。状況的にさらに怪我を負わされる事を考え、ナオも思わず立ち止まります。けれどその拳は震え、瞳は鋭くエーデルを睨みつけていました。


『ジネヴラ……血が、止まらないみたい。私、死ぬの……?』


 サナが怯えたようにこちらに視線を向けました。ああ、そうですよね。サナには再生の記憶がありません。私はひとまず安心させるために大丈夫です、と声をかけました。はたしてこれが、大丈夫であると言えるのかは、わかりませんけれど。


『あっ、渦が……!』


 私の声かけの直後、談話室にまで侵食しつつある渦が再び動きを見せました。サナはたった今、渦の状況に気付いたと言うように目を見開いています。


『こんなに、大きく……なんだかとっても……』


 苦しそう、とサナは言い、ぼんやりと渦を見つめながら歩き始めました。ど、どうしたのですかサナ! 私が声をかけると、サナはこちらに振り返り、優しく微笑みます。


『大丈夫。ねえ、ジネヴラ。私、この渦の中に入ってみるよ』


 それから予想外の事を言い出したのです。何を言うのですか!? 危険です! 私はもちろん、ルイーズも止めました。けれど、サナはゆるりと顔を横に振って、相変わらず笑顔を見せています。


『ね、私を信じてくれないかな? きっと、大丈夫だから』


 サナの瞳からは、どこか確信のようなものを感じました。考えてみれば、危険察知は反応していないようですし、本当に大丈夫なのかもしれません。誰かの苦しい感情の塊がこの渦であるなら、悲しみや苦しみを受け付けないサナしか対処できないものであるかもしれません。渦に怯えて過ごすのにも限界がありますしね。

 少し考えてから、私はわかりました、と答えることにしたのです。


『お、おい、ジネヴラ……!』


 ルイーズはまだ戸惑うように声をあげます。気持ちは貴女と同じですよ、ルイーズ。でも、おそらく今こそが渦と向き合う時なのかもしれません。私たちは、これまでずっとサナを守ってきました。私たちが守らなければサナが潰れてしまう、と勝手に思ってきたのです。それはあながち間違いではなかったと思いますけれど……それなら、そろそろサナを信じてみても良い頃だと思うのですよ。


『……ありがとうジネヴラ。ルイーズも。心配してくれるの、嬉しいよ』


 サナは心の底から嬉しそうに笑いました。ほら、こんな笑顔を見られるようになったのですよ。私がそう言うと、ルイーズもようやく納得したようです。


『じゃあ、表のことはこっちに任せておけ。……っつっても、出来ることなんかないかもしれないけど……』


 ルイーズの言葉にそんな事ない、とサナは言います。とても心強い、とも。


『じゃあ、少し行ってくるね。身体のこと、私も信じているから』


 そうして、サナはそれだけを言い残し、渦の中へと消えて行きました。怯えた様子は全く見られませんでしたし、後は信じるしかないのでしょうね。




 そうなれば、私たちは表のことに集中しなくてはなりません。どうやら、ナオたちの前で切った首が再生し終えたようです。当然ながら三人はその様子を見て絶句しています。


「怪我が……」

「治った……そ、そんな魔法、あり得ませんわよ!?」


 治療の魔法を使うフランチェスカであるからこそ、この現象は異常であると驚きも人一倍だったのかもしれません。彼女の治療魔法の腕を持ってしても、致命傷を一瞬で綺麗さっぱり治すことなど出来ないからです。どうしてもしばらくは痕が残りますし、流れた血が戻ることはありませんから、普通はもっとフラフラになるはずなのです。


「ええ、まあ。魔法ではありませんからね。もう一度見て、確認しますか?」

「やめろ!!!!」


 再び剣を構えて今度は胸部を貫こうとしたエーデルに向かって、瞬時にナオが駆け出しました。たとえ綺麗に元通りになったとしても、サナの身体が痛めつけられるのは我慢ならなかったのでしょう。それは、私も同じです。

 そうして、ナオが手を伸ばし、エーデルの手に持つ剣を払い落とそうとした時です。


「なっ……!?」

「あまり、私を舐めない方が良いですよ。私は、暗殺者のスキルも持っていますから、ね?」

「くっ、ダブルスキル持ちだったな……!」

「そうですよ。それを忘れて油断するなど……勇者にしては抜けていますねぇ」


 目にも留まらぬスピードで、エーデルはナオの背後に回り、ナオを拘束し、首筋に剣を当てがったのです。


「ニャオ!!」


 あのナオが、一瞬で捕まってしまったという事実に、それぞれが驚き、目を見開いています。


「エーデル、ナオを離してください!」

「ええ、もちろん。彼を殺すつもりは全くありませんよ」


 フランチェスカの叫びに、エーデルは予想に反して呆気なくナオを離しました。そして、勘違いしてもらっては困ります、と語り始めたのです。


「彼には、殺してもらいたいのですから」

「なっ」


 そう、エーデルの目的はいつだってただ一つなのです。


 ──サナを、殺すこと。


 でも、サナのことを傷付けることはできても、決して殺すことは出来ないのです。こうしてエーデルは、何度も自殺を図っては失敗しているのですから。


「さあ、殺してください。遠慮はいらないのですよ?」


 エーデルは両腕を広げ、ナオに告げました。目を閉じたまま、口元に笑みを浮かべて。


「……い、嫌だ。でも、まさか……」

「ナオ、挑発になんか乗りませんわよね? だって、サナの身体ですもの。攻撃する意味がありませんわ!」

「ニャオ……どうしたのにゃ……?」


 ナオも、何を言っているのだと言い返すものだと思っていました。けれど、どうも様子が変です。まさか、でもそうとしか……など、ブツブツと一人呟きながら葛藤しているように見えました。目の下のクマが今になってクッキリと見えます。どうしたというのでしょう。


「なぁ、エーデル……」


 しばらく、フランチェスカやエミルの声かけにも答えず、一人で考え込んでいたナオが、ゆっくりと顔を上げてエーデルを呼びました。


「目を、開けてくれよ……」

「おや、なぜです?」


 それから、懇願するように、出来れば違っていてほしいというように、でもどこか確信めいた表情で告げるのです。


「お前が、魔王なんだろ……?」

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