エーデルの誕生
サナが無傷で家に帰ってきたのを見た母親は、恐ろしさに悲鳴をあげました。人は、こんなにも甲高い声が出るのかと妙に感心さえしたのを覚えています。
当然、そのことに驚いた父親が何事かと事情を尋ねました。
「こ、この子っ、夕方には傷だらけの血塗れで……! 魔物に襲われたって……どうして、どうして無傷なのよぉっ!?」
驚くのは無理はないと思います。けれど、許せないのは、そのまま事故で死んだことにしようと、再び森に放り出した事ですよ。正直、ここまで脅える様子を見た時はいい気味だと思いましたね。けれど、父親は違いました。もちろん驚いてはいましたが、その光景を見ていない分、どこか冷静だったのかもしれません。
「信じがたいが……君が言うならそうなんだろう。……試して、みるか」
そして、とんでもないことを言い放ったのです。試す……? 一体何を、そう思った時にはすでに遅く、父親は狩りで使っていた弓を引きしぼり、至近距離でサナを射抜いたのです。それはあまりにも突然で、考える間もない素早い行動でした。迷いさえ見えず、底知れぬ恐怖を感じました。
「あ、あなたっ、何を……っ!?」
矢はサナの額に直撃しました。床に仰向けで倒れたサナを見て、母親が流石に驚きの声をあげます。父親の手も震えていました。それでも、迷う事なく突き刺さった矢を引き抜くと、サナの額からは激しく血が噴き出します。
「ど、どのみち……この子は魔物に食い殺されたんだ……! お前の話が本当かどうか、この目で確かめるためにも……やらなきゃだめだろう? そ、そう、確認、確認なんだ」
父親は、返り血を浴びながら必死で自分に言い訳を言い続けていましたが、私はそれどころではありません。怒りで、目の前が真っ赤になるのを感じます。ああ、すぐにでも交代してやりたい。そこで私に何ができるわけでもありませんが、そんな衝動と葛藤していました。
おそらく、サナはこれでも死ぬことはありません。先ほどのように渦が蠢いて、身体を修復するのです。渦がまた少しずつ成長していますから間違いないでしょう。そして、予想通りサナの身体は再び黒い靄に覆われ、その怪我をあっという間に癒していったのです。
「ひっ……!」
「な、な……っ」
その光景を間近で見た両親は声にならない悲鳴をあげて尻餅をつきました。魔物でさえ恐れて逃げ出しましたし、当然でしょう。けれど、彼らは人です。人間なのです。逃げ出すこともできずにこの闇の魔力を浴びて、彼らの心はより一層歪んでいってしまいました。
「……殺し方が、まずかったのかもしれないわ」
「そう、だな……湖に沈めてみるか?」
「ええ、火炙りなんてどうかしら」
「思い切って首を切断してみるか」
次第に、どうしたらサナを殺せるのか、を試すようになっていったのです。……そうです、ニキータが言っていた、何度も殺されたというのは、まさに言葉通りの意味でした。
サナは、これをきっかけに実際、両親に何度も殺されながら日々を過ごすこととなったのです。
許せない。許せない、許せない許せない許せない許せない! 私の怒りは頂点に達しました。サナにばかり痛みを感じさせぬよう、半分以上は私が引き受けましたが、正気を保っていられないほどの苦痛と屈辱に耐えるのは、身を引き裂かれるより辛いと感じます。
こうしてある日、またしても両親に殺される直前、瞳から完全に光を失ったサナがポツリと呟いたのです。
────死にたい。
その言葉の重みを、誰か想像できる人はいますか?
瞬間、心の中に灰色のどす黒い光が充満しました。とても強い光を感じます。サナと同じように、精神が疲弊しきっていた私は、その光景をどこかぼんやりと眺めていました。一体何が起きたのだろうか、と。その頃は私以外
しばらくして、光が収まった時、人影が目に入りました。さすがに驚いた私は身を起こします。自分以外にいなかったのになぜ、と私は必死で全知スキルを発動させたのです。
『ああ、そうですか……ここは心の中の世界。サナの心が限界に達せば、いくらでも新たな
サナの心が限界に達する機会なんて、いくらでもあるのですから。
今後も続々と増えていくだろうことは、安易に想像できました。そうして私が項垂れていると、頭上から嫌味な声が降ってきたのです。
『そうして項垂れていると良いですよ。私はエーデル。彼女の望みを叶えるために生まれてきた存在です』
彼女の、望み……? 私はハッとなって顔を上げました。けれど、少し遅かったようです。エーデルと名乗ったその人物は、すぐに支配者の席へと向かうとサナと交代してしまったのです。
「あなた方の手を煩わせて申し訳ありません。お望み通り、死んで差し上げましょう」
「は……? 何を言って……」
交代した瞬間、エーデルは瞳を閉じたまま両親にむかってそう言い放ちました。そうして、呆気にとられている両親からナイフを奪い取ると、自ら首に突き立てたのです。迷う事のないその行動に、両親も、そして私も開いた口が塞がりませんでしたね。
「かっ、血が、……吹き出っ……ふ、ふふふ……ふふふふふふ!」
苦しそうにしながらも、自分の首から出てくる血を眺めてうっとりしながらエーデルは笑いました。その狂気じみた光景に、両親はさすがに恐れ、その場から逃げて行きました。
「……ああ、治ってしまいましたね。では、今度は心臓に……がっ……!!」
両親はいなくなったというのに、エーデルは気にする事なくその後も何度か自分を殺し続けました。何度も殺され続けたサナの身体は、回復するスピードもこの頃は早くなっていたのです。
『や、やめて……やめてくださいっ! そんな悲しい事、やめてくださいっ!!!』
私は必死になって叫びました。でも、それが無駄な事だということもわかっていました。だって、エーデルは、彼女が望んだ存在。
『死にたい』
心の痛みを、身体の痛みとして表現し続けるエーデルは、彼女の望みを叶えているに過ぎないのですから。でも、何度殺しても、身体の苦しみが心の苦しみを超えることはないのです。
悲しくて、悲しくて。私は、なんとしても彼女を守りたいと思いました。身体の成長が止まったのも、きっとこの日からでしょう。
ほんの僅かでもいい。彼女に幸せを。
誰か、彼女を見つけてください。きっとそれだけで、ほんの少し救われます。そして、ほんのすこしで良いから、優しい言葉を。優しい手を。優しい眼差しを。
────どうか。
「ここ、だ……」
ナオの言葉に私は我に返りました。どうやら、目的地に到着したようですね。いつの間に……私としたことが、それまでスクリーンから目を逸らしていたなんて。反省が必要ですね。けれど、しっかりスクリーンを見ていたルイーズやサナに変化はありませんから、特に何事もなかったのでしょう。
『ジネヴラ、ここは……!』
ルイーズが気付きました。もちろん、私も。
「な、何もありませんわよ? それどころか、なさすぎて……」
「ここだけ、草一本も生えてないにゃ……生き物の気配が全くしにゃいにゃあ……!」
そう。ここは、アリーチェが吹き飛ばし、全てを掃除した場所で、サナが何度も殺された現場で間違いありませんでした。
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