最悪の記念日


「はぁ……ご飯よ。さっさと食べてちょうだい」


 その日は、サナの誕生日でした。両親も、そしてサナ本人でさえも覚えていないでしょうけど、私は覚えています。間違いなくあの日は誕生日で、そして人生で最も最悪な記念日でした。


 そんな最悪の記念日の朝は、いつも通りの素っ気ない言葉と共に床に放り投げられた固いパンを食べるところから始まります。サナはそれを、やはりいつも通り床にペタンと座り込んで、少しずつ食べていました。お腹が空きますからよく噛んで、時間をかけて食べるのが常ですからね。この後は夕方まで食事はありませんし、一日二食ですので自然と覚えた食べ方なのです。


 けれど、そんな日常がその日の午後、崩れ去りました。


 食事を食べ終えると、サナはいつも家の外に出されます。勝手に時間を潰して寝る時に帰って来いと言われていたのです。もちろん、森には魔物が出てくることもありますから危険がいっぱいです。そんな中で一日を過ごさなければならないために、サナは危険察知のスキルを得たといえるでしょう。

 なんとなく、あちらの方には行ってはいけない気がする、という感覚だけで森を散歩して一日を過ごしていましたからね。当然と言えば当然です。家の近くでじっとしていられればそれが一番なのですが、あまり近くにいすぎると両親に見つかって怒鳴られてしまいますから。


 でもその当時はまだ未熟だったスキルのせいで、時々魔物に遭遇してしまうこともよくありました。そして、せっかくの誕生日にサナは魔物と遭遇して大怪我を負ってしまったのです。あの時はさすがに私が表に出ていきました。あのままサナでいたら、きっと魔物に食い殺されていたでしょうからね。恐怖に怯え、その場に座り込んで動けなくなっていましたし、すでに最初の攻撃で胸から腹部をバッサリ切られてしまいましたから。


「……私も、戦闘経験はないのですけどね」


 そう、交代した私はすぐさま敵の分析を行いました。たしかあれはウサギ型の魔物でしたね。大きさとしては小さな子どもくらいでしょうが、十三才とはいえ小柄なサナからしてみれば、かなりの脅威です。鋭く長い牙と爪を持つ魔物。おそらくあの爪でやられたのでしょう、爪の先から血が滴り落ちていました。


「弱点は……なるほど、腹ですか。では、跳躍した一瞬が狙い目ですね」


 基本的に私は戦えません。ですから敵の弱点を分析してそこを的確に狙い撃つしかこの状況を打破する道はありませんでした。血が、止めどなく流れてきますし、当然痛いですし、表に出るのは苦手ですし、私も許容オーバーギリギリでした。

 ですので、どうにか私に向かって飛びかかってきた魔物めがけて、石を投げつけるのが精一杯。的確に急所を狙えたことでどうにか倒せはしましたが、同時に爪で二撃めを食らってしまいました。


「っ、はぁ……倒せましたね……これは、すぐ家に戻るべきでしょう。まだ早い時間ですが、そうも言っていられません。このままでは出血が多すぎて死んでしまいそうです」


 本当は、すぐにでもサナとまた代わりたかったのですけど、そうすればサナはこの場から動けなくなり、やはり命の危機になると私は考えました。


 ……ええ、今でも後悔しています。あの時の判断ミスを。思えば、あれ以来ですね。私が絶対に判断を誤らないと誓ったのは。


「なっ、あんた、なにその……!? 魔物ね?」


 命からがら家にたどり着いた私は、母親からの言葉に軽く頷いたところでサナに戻りました。申し訳ないことに、もう限界でしたからね。私は魂の力は強いのですけど、表に出ることに関してはどうも耐えられないのです。短時間しか出ていられません。ですから、談話室に戻った私は、どさりと深く座り込み、しばらくはグッタリと動けなくなっていました。

 つまり、スクリーンを見る余裕がなかったのです。ああ、これも後悔ですね。


 まさか、サナに戻った後、森の中に放り出されるなんて、思ってもみなかったのですよ。


 きっと、このまま死んでくれるならそれが一番良いと思ったのでしょうね。あの両親の考えそうなことです。なぜ、こんな簡単なことに思い至れなかったのかと、自分を責めました。私も焦っていたのでしょうけれど、ここは判断を間違えてはいけないところだったのです。

 とはいえ、あの時の状況を考えれば家に戻ろうがあの場に留まろうが、森に放置されるという点で結果としては同じでしたけれど……


 両親に見放された、という事実がある分、家に戻ってきた方が遥かにサナの心に傷をつけてしまいましたから。


 次に私がスクリーンを見たときは、目を疑いました。サナの身体があちこちおかしな方向に曲がっていたり、腕や足がなくなっていたりしていたのです。……信じられませんでした。ここからの生存の道が見えず、目の前が真っ暗になるのを感じたのです。辺り一面、血の海で……目の前で魔物が食事中で。


 死ぬのだと、思いました。虫の息で、サナはどれほど苦しい思いをしただろうと胸が痛みました。そして気付いたのです。……死ぬにしては、この心の中の世界は平穏そのものだ、と。

 その瞬間、心の中の渦が蠢きました。当時はまだ小さな染みのようだった渦が、小動物サイズに大きくなったので驚いたのを覚えています。と同時に、表に出ているサナの身体が黒い靄に包まれたのです。


 黒い靄が闇の魔力であると、すぐにわかりました。でもこの魔力はサナのものではない、ですよね……一体誰の? そう考えているうちに驚くべき事象が起こったのです。


『身体が、再生している……!?』


 そう、確かに血を流して欠損していた部位が、見る見るうちに元に戻っていくのです。そしてあっという間に傷一つない綺麗な身体に戻ってしまいました。あまりにも禍々しい魔力のせいで、食事をしようと群がっていた魔物たちが一斉に血相変えて逃げていきます。

 今のは、一体誰の能力だというのでしょうか。全知で調べようにも、情報が足りません。


 とにかく今は、この現象について考えるには場所が悪いです。もう暗くなっていますし、魔物たちが逃げていったとはいえ、いつまた来るかはわかりません。いくら再生するとはいえ、魔物にやられて酷い怪我を負う痛みは感じるわけですし。もう二度と、苦しい思いはさせたくありませんしね。


 これは再び私が交代して、と考えた時、意識を失っていたサナが目を覚ましました。状況が飲み込めていないようです。確かに自分は怪我をしていたはずで、服もボロボロなのに傷がないことに首を傾げていました。


「あれは、夢……? でも、うーん、わかんない……」


 考えても答えが出てくるわけもありませんよね。その点、サナは肝が据わっているのか、深く考えず、気にせず思考を切り替えていましたが。ある意味才能ですよね。普通はもっと疑問に思うか、気味悪がるかすると思うのですけれど。


 でも、目覚めてくれて助かりました。おかげで、サナは当たり前のように家へと戻っていきましたからね。ホッとしましたよ。これでゆっくり考えられる、と。その時は思ったのです。最低の誕生日でしたが、奇跡的に助かったのはある意味プレゼントだったのかもしれない、と。


 けれど、本当の地獄はこの先に待ち構えていたのです。

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