旅の始まり
勇者の誘い
まだ薄暗い、夜も明けてない時間に、サナは自分が殺される夢を見て飛び起きました。
これまでも何度か悪夢というものを見た事はあったと思いますが、覚醒とともに上半身まで起きあがるような起き方は今回が初めてです。私も驚きましたよ。
「妙にリアルだったな……」
飛び起きた原因はこれだろう、とサナは呟きます。気付けば汗で下着までベトベトでした。寝る前に微熱だったのが寝てる間に上がっていたのかもしれませんね。
まずは着替えようと部屋の明かりのスイッチに手を伸ばしました。触れるだけで魔力を感知し、すぐに部屋が明るくなります。それだけでどこかホッとするのだから、明かりとは偉大ですね。
それから、立ちくらみを起こさぬよう、緩慢な動きでベッドの下に足を下ろし、フラつきながらクローゼットへと向かいます。まだ熱がある感覚があったので、シャワーは朝浴びれば良いだろうと考えながら、替えのナイトウェアを引っ張り出していました。
着替えながらサナは、今しがた見た夢について考えを巡らせます。どんな夢でもいつもすぐに忘れてしまうのに、今回はまだ鮮明に覚えているのが不気味なようです。
『悪いが、死んでもらう……!』
そう言って目の前の男が腰にある剣に手をかけると、目にも留まらぬ速さでそれを抜き──次の瞬間景色が逆さまに。……首を刎ねられたのでしょう。赤い血飛沫を確認したその瞬間、目が覚めたのでした。
「……まだ胸がバクバク言ってる。でも」
決して目覚めの良いとは言えないその夢を思い返し、胸に手を当てています。
「首を刎ねられた事を覚えている人って滅多にいないよね? 貴重な夢を見たと思おう。うん」
彼女は存外神経の図太い少女でした。
次の日の朝目覚めたサナは、今度は夢も見ずに熟睡出来たようでした。熱もすっかり下がり、鼻歌を歌いながらシャワーを浴びています。
しばらくして、頭から大判の真っ白なバスタオルをかけて浴室から出てきました。真っ直ぐで長い黒髪を拭きながら歩いています。バスタオルが大判である分、巻かなくてもある程度その小柄な身体を隠してしまうのですが、ほんのりと紅く色付いた色白の素肌がチラチラと見え、まだ成長しきっていない少女の美しさを醸し出し、背徳感を感じさせました。
──何故かこの部屋に入り込んでいた、勇者に。
「……色っぺぇ」
「っ!? でっ、出て行け! この変態っ!」
「痛っ、ごめ、待っ、痛いっ! わかったっ! 出て行くから重くて硬そうな物をわざわざ選んで投げて来ないでくれ、頼むから!」
どうにかこうにか世界の勇者こと
「なんなのもうっ。勇者だからって何しても許されるってわけぇ? 信じらんない!」
サナは、ギュッとバスタオルごと自分の身体を抱きしめて頰を膨らませ、勇者が出て行った扉を睨みつけながら文句を言うのでした。
世界の勇者、ナオ。
輝く金髪に特徴的な紫の瞳。年齢は十七という若者ですが、既に成人を過ぎた立派な大人です。だからこそ、この非常識さにサナは理解が追い付かないでいました。
「どうせ侵入するなら、王女様や可愛い獣人ちゃんのところへ行けばいいのに。同じ王城に住んでるんだからさっ。なんでわざわざ街まで来て私に構うの……!」
いつも通り、シンプルなワンピースに袖を通しながら憤っています。魔王を倒す旅路にお供として有能な美女2人が付くというのですから、そちらと仲を深めれば良いのに、と思っているのでしょう。サナ自身は魔物から身を守れる程の力も持っていませんし、当然旅には行きませんしね。
養父母が男爵家という事もあって暮らしはそれなりに良いものですが、その程度の自分とは住む世界の違う彼が、なぜか毎日顔を見せにくるのです。サナはそれが不思議で仕方がありませんでした。
これで彼が、紳士で真面目な人物なら嫌な気はしなかったのでしょうけど、初対面の時からやけに馴れ馴れしくて遠慮がなかったので、印象は最悪でした。本当、残念な男ですね、勇者のくせに。
さて、ナオの事情を整理してみましょうか。彼はこの世に生まれ落ちた瞬間から、世界を救う勇者としての運命を背負っていました。この世に存在する紫の瞳の持ち主はたったの2人。それが勇者と魔王であるからです。
『輝く髪は勇者の証、闇色の髪は魔王の証。共に瞳は紫の輝きを放つ』
これが、古くから伝わるこの世界の理でありました。確か数百年に一度、全く時を同じくして二人は生まれ落ちるという話だったかと思います。
そのうちの輝く髪を持った勇者がこの少年、というわけです。
素直で正義感も強く、加えて見目も良いということで、王女様はすでに彼をロックオンしているらしいですよ?
「おーい、サナ。もう入っていいか?」
「ダメと言っても入るんでしょ。もう勝手にすれば」
おや、ナオが再びサナの室内へと侵入してきましたよ? 毎日似たようなやり取りをさせられているので、サナももはや追い返す事を諦めています。
「毎日毎日なんなのもう。いい加減要件を話してよ! ハッキリ言って迷惑!」
「いやぁ、別に大した事じゃないんだけどさ」
迷惑がってるわりに、いつもの癖でナオの分までお茶を淹れて差し出しています。それをありがと、と言いつつ受け取ったナオは、一口飲んでからふぅ、と熱くなった吐息をこぼします。
「なぁ、魔王討伐の旅に一緒に来てくれねぇかな?」
これまでのらりくらりと返事をし、サナの質問に答えなかったナオが、ついに目的を口にしました。それも、突拍子もない内容を。
「……ど、どこが大した事ないっていうのーっ!? なにそれ? 意味わかんない。絶っ対お断りっ! そもそも戦えないしっ」
サナは当然の反応を返しました。それはそうでしょう。サナはいたって普通の少女にすぎないのですから。
「頼むよ! 別に戦えなくてもいいんだ」
「じゃあ何のために行かなきゃいけないの」
引き受ける気が全くないサナに食い下がるナオ。まぁ、大体理由は察していますけどね。伝える順序がおかしいと気付かないあたり、やはり残念な勇者です。
「あー理由は別に……あ、そうだ。俺のハーレム要員になるっていうのは?」
「さ、さ、最っ低……!」
「あっいや、そうじゃなくて! いや違わないんだけど……ああもうなんて言えばいいんだ? えっと、お前が……いや、お前の身体が必要なんだよ!」
なんという言葉のチョイス。それにより頭の中でブツンと音がして、サナのいた
スキル【スピリットチェンジ】発動しました。
「……っざけんなこのエロ野郎が!」
「おっ! 変わってくれた? 助かったー」
「なーにが助かっただ! 帰れ! 今すぐ帰れよ!」
身体の使用者がサナからルイーズへと変更されました。
「なぁ
さらなる罵声を口にしようとしていますね? 頭に血が上っていますよ、ルイーズ。彼と会話をしてください。
「……ルイーズ」
渋々と言ったようにルイーズは名乗ります。彼女はサナが大好きですからね。ナオが気に入らないのでしょう。ナオがよろしくな、と声をかけてもそっぽを向いています。これは仕方ありませんね。
「……あたし
そう、私たちは特殊な存在。変な奴だと避けられる事も多いです。けれど、彼はそれに気付いていて、ずっとどこか確認しているような行動を取っていました。少々、興味があります。
「んー、実はさ、俺【鑑定】のスキル持ってるんだよ」
「んな事バラしていいのかよ、勇者様ともあろう男が」
別にいいよとナオは軽い調子で答えます。いえ、そこは気にした方がいいと思いますよ。
「で。お前のこと、最近ずっと見てたんだけどさ」
「ほう、付き纏いを公言するわけか」
「違っ、くないけどまぁ聞いてくれって!」
ルイーズが殺気を纏ったのでナオは慌てて両手を前に突き出しました。
「サナの様子が変だと思う度に鑑定したんだ。悪いとは思ったんだけど、気になって。そしたら、毎回違う名前とスキルになるんだ」
ルイーズの視線に怯えながらナオは続けます。
「なぁ、お前って……いや、お前たちってさ。多重人格者、なんじゃないか?」
恐る恐るといった様子で、ナオはそんな事を言ったのでした。
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