【上手な命】

@Mimihara-Mandai

一話完結


「ごめんね」


 腹の底に溜まりに溜まった言葉の数々を圧し殺せなかったのだろう彼女は、震える声で私に言う。私の首にかけられている手は力強く、命を握りつぶそうと必死だ。


 二人で暮らそうと言われてから二年と少し、難病に犯されているらしい彼女からの提案だった。

私の答えは早く、二つ返事でそれを了承した。

付き合っているのだからおかしい話じゃない。

だが、彼女の治療には金がかかるそうで、私達の生活は苦しいものだった。

そのうち彼女は暗く落ち込み、つい先日「死にたい」と私に言葉を漏らした。

「そうか、それも仕方がない」と私は言うが一人で死ぬのは怖いそうで、思い止まることで過ごしていた。


 そして、今床につこうとした矢先、彼女に襲われ首を絞められているのが現状であった。


「ごめんね」


 再び彼女が許しを乞う、いつも丁寧に化粧していた顔が醜く歪み酷い有り様だ。


「やっぱり、一人で死ぬのは怖いの……。だからお願い」


「……一緒に死ん、でくれ……ということか」


 潰れた気道を無理に動かして言葉を返す。器用なものだ、我ながら少し驚いた。


「うん……ごめんね」


 三度彼女が謝る。肩は小刻みに震えている。

だが、腕にはその震えはない、余程固い決意での凶行なのだろう、私への殺意がはっきりと見てとれる。だがしかし、多分ではあるがこれは困った。確かめる方が良いのだろうが、このまま彼女の望むまま心中するのも悪くはない。


 そう考えあぐねている間にも、私の意識はどんどんと浮き上がり視界が白く狭まっていく。

そろそろ命が尽きる、時間がない。

ならば、確めてからでも良いか。

間に合わねばそれでも良い。

私は肺に僅かに残った声の源を無理矢理喉へと絞り上げる。


「死にた、い……のか? 」


 返答はない、ここまでのことをしているのだ、迷いはないか。


「保険……金は? 」


「え……? 」


 彼女と目が合う。その目は私の言葉に驚いたようで見開かれ、綺麗な黒目が戸惑うように揺れている。

絞める力は少しだけ弱まり、私の言葉の続きを待っているようだ。

私の中にある可能性が確信に変わった。

待っている、のならば彼女はやっていない、ならば教えてあげるべきだ。


「生命保険だよ。私にかけ……てないだろう」


「……どういうこと? 」


言葉の意図が分からない、といったように上擦った声で彼女がそう言った。

首にかけられた手からは、先程までの力を感じられなくなり困惑を隠せないようだ。

隙ができたと私は彼女の腕を掴み、首から退かせ大きく息を吸う。いきなりの空気に身体も驚いたようで、げほげほと咳き込んでしまった。


「あ……」


はっとした彼女はそのまま、抵抗することもなく私に押し戻される。最後には床に腰を落としへたり込んでしまった。


「びっくりしたよ、いきなり首を絞めるもんだから」


声をかける。しかし、彼女は頭を項垂れたまま黙ってしまった。観念した、といったところだろうか。


「……いや、責めてるわけじゃないからよ。あのまま一緒に逝っても良かったから」


彼女は、ばっと驚きのまま私の方へ視線を向けた。


「ほら、聞いただろう。生命保険はって。多分だったんだがかけてないだろうな、と」


「……何を言ってるの? 」


「あれだろう、治療が出来ないから死んじゃうわけだ。頑張って治療してもお金がかかる、苦しい生活が続くならいっそのことってことだろう」


「だって……」


「いや、良いよ。そこは分かっている。だったら私に生命保険でもかけて、私がくたばれば治療費も稼げるんじゃないか、と思ったんだよ」


彼女の顔がみるみると狼狽に変わっていった。決意や躊躇や狼狽や、と本当に感情の起伏が豊かで、やっぱり彼女は良いなと思った。

私は、彼女に寄り添うように彼女の前に座り直し、また言葉の続きを話す。


「保険金があれば治療もできる、残ればその後の暮らしも安心なわけだ。もしそれでも治療できなければ、そこで始めて、一緒に死のう、じゃないか? 」


「え、え? 」


「私の命、ここでくたばれば一文にもならない命。でも、手段を変えれば価値が付く。保険をつければ一千、二千万の命だ。そりゃ凄いことだろう」


彼女が少し後退った。肩は震えたままだが、今では腕も唇も震えている。色んな表情ができる彼女は本当に凄い。


「愛のままでも良い、価値を見出だすのも良い、上手な命の使い方の話だよ。それで、どうしようか」


彼女の艶やかな髪を撫でながら僕はそう聞いた。

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