第66話 激励

 祭りから丁度一週間が経った日が、夏休み最終日だった。

 一方的に呼び出した場所は、ねこ公園。

 北高から更に上に登ったところにある場所だ。練習上がりの身体には少しキツい道のりだが、理奈には無用の心配だろう。

 この一週間、バスケ部の練習に藍田は来なかった。

 理由は明白だ。

 だが戸松先輩に「体調不良」だと伝えているらしく、皆んな藍田が戻ってくることを疑っていない。

 部員から信頼を集めている戸松先輩が、「女の子だからそういうこともあるよ」と発言したとが大きい。

 皆んなから信頼されている人物から放たれる言葉には、説得力がある。

 責任はもちろん感じていた。

 だが、あの時の答えに後悔はない。

 後悔をする方が、藍田にとっては失礼だ。


 今の俺が考えるべきことは、理奈がこの場所に来てくれるだろうかということについてだ。

 携帯の電源を付けて、画面を見る。


『ねこ公園に来てほしい。伝えたいことがある』


 ……我ながら、匂わせすぎていると思う。

 男子が女子を、人気のない場所へ、意味深な言葉で誘う。

 よっぽどの鈍感でなければ、察しは付くはずだ。

 ましてや理奈もモテるので、男子から呼び出される経験は一度や二度ではないだろう。

 確実に来てもらうには、練習後に理奈を捕まえて、人気のない場所へ引っ張り込む方が良かったのかもしれない……そう思いかけて、首を振る。

 察してもらうくらいが丁度いい。

 いきなりの告白に驚かれて、心にもない返事をさせてしまうより、ある程度答えを決めてくれている方が双方にとってもプラスに働く。


 だが、せめて女バスの練習が終わる時間くらい訊いておけばよかった。

 この不安な時間があとどれ程続くのか、目安くらいは把握しておいた方が精神的にもゆとりができたはずだ。


 俺は東屋から上体を乗り出して、心を落ち着かせようと景色を眺める。

 眼下に広がる景色が、次第に心に平穏を戻してくれる。

 生まれ育った街並みを手軽に眺めることができるなんて、良い場所に高校が建ってくれていると思う。

 入学当時は登山だなんだと面倒くさがっていたが、きっと大人になってから恵まれていたと気付く。そんな確信ができるほど、この景色は胸を打つ。


 誰かの話声が、近付いてきた。

 振り返ると、見慣れた顔だ。


「おっ桐生ー! なにやってんのこんなとこで!」


 底抜けの明るい声を出したのは、タツだ。

 隣には藤堂がいて、こちらに手を振っている。

 男バスの一年は俺を含めて三人。図らずも、全員がこのねこ公園に集結したことになる。

 先ほどまで一緒に体育館で練習していたばかりなので、何の感慨もないけれど。


「なにって、物思いにふけってんだよ」


 俺が答えると、藤堂が軽快に笑った。


「物思いって、おっさんかお前は」

「やめろ藤堂、桐生にだってそういう時があるんだよ。そう、物思いにふけりたい時が!」

「馬鹿にしてんのかお前ら!」


 俺は足元にあった石ころを蹴飛ばす。案外タツの顔面スレスレに飛んでいき、タツは「ぎょえ!?」と奇声を上げてのけぞった。

 藤堂はそんなタツの反応に腹を抱えて笑う。


「いい感じに側頭部に擦ってくれたら、刈り上げになってたかもしれないのにな!」

「縁起でもないこと言ってんじゃねー! 危ないだろ桐生!」

「お前らが空気読まずにこんな場所に来るからだよ!」


 俺が喚くと、タツは親指を上げた。


「空気が美味しい」

「ダメだこいつ……」


 俺は諦めて、東屋のベンチに腰を下ろす。

 タツが中へ入ってきて、声を掛けてきた。


「何かあった?」

「はい?」


 教室や部活中、ずっと一緒にいるだけはある。

 どうやらタツには、俺が普段と違うように思えているらしい。

 藤堂は東屋の外で、寄ってきた野良猫数匹と戯れている。

 まだ夏だというのに、この公園に入り浸る野良猫は元気なものだ。


「猫は可愛いけどよ。ぼーっと見てないで、俺の質問に答えろよ」

「タツにぼーっとするなって言われるとかマジかよ」

「おいとんでもなく失礼だな!」


 憤慨するタツが面白くてニヤリと笑うと、緊張もいくらかほぐれた。肩をぐるりと回すと、パキパキと身体から音が鳴る。


「藍田と別れた」

「ああ、へえ」


 タツはコクリと頷く。

 意外とあっさりとした反応だ。

 もっと驚かれると思っていたので、拍子抜けした気分になる。


「まあ、藍田さんは学校のマドンナだしなー、桐生もこれから仲良く……え、は? えっ別れたのなんで!?」


 ……単に鈍いだけだった。

 だが、いざ理由を問われると答えづらい。

 彼氏になるきっかけとなった、体育館裏での出来事。

 あれを話すと、今ならタツも信じてくれると思う。だが信じてもらったところで、もう事は済んでいる。

 それにあの藍田の行動も、真意に察しが付いてしまっている。

 とてもじゃないが咎める気になれないし、周りに知らせるのは嫌だ。あの時間は、あの場所にいた俺たちだけのものにしておきたい。


「……まあ、色々な」


 結局そんな曖昧な答え方しかできなかった。もっともらしい理由を瞬時に思い付かない。

 そんな一面は、まだ変えることができていないようだ。

 タツは短髪にした頭を傾げる。かつての金髪はすっかり黒に染まり、人工的な艶が太陽の光で反射している。


「そっかー。まあ言えないならいーけど」


 タツは口角を上げて、東屋の柵から上体を乗り出した。

 バランスを取って遊んでいる。

 追及してくると思ったが、意外とタツは人のデリケートな部分に踏み込んで来ようとはしない。

 皆んなから好かれているのはお調子者だからだけではなく、こうした一面があるからなのだろう。


「藍田さん良い人だよな。桐生が怪我させられた時、一番怒ってたし。練習でも、テーピングとかすげーし」


 タツの一言で、また思い出が脳裏に過ぎる。

 確かに想起してみれば、付き合った初週以来の藍田は良い彼女だった。

 嬉しさが込み上げる。

 高嶺の花と呼ばれる藍田を、しっかり見ている人が俺以外にもいることに。

 少なくともバスケ部の皆んなは、藍田を触り難い高嶺の花だと思っていない。頼れるマネージャーとして認識しているのだ。

 北高男子バスケットボール部はもう、あいつの帰る場所になっている。

 その事実に、胸が熱くなる。


「いないのは困る。俺たち、上に行くんだろ? 藍田さんの力は必要だし、藍田さんの来なくなった原因が桐生にあるなら、体育館に引っ張ってきてほしいけど」

「約束するよ。必ず連れて来る」

「そっか。じゃーいいや!」


 タツはニカッと笑い、口元を緩めたまま質問してきた。


「で、今日何かあんの?」

「──っ」


 ……バレバレだったか。

 俺は小さく息を吐き、呟いた。


「俺、他に一緒になりたい人がいるんだ」

「……浮気?」

「ち、ちげーよ!」

「だよなー! そんなプレイボーイに育てた覚えはないもんな! いやバスケはある意味スーパープレイボーイなんだけど!」


 軽快に笑い飛ばすタツに釣られて、思わず俺の口角も上がってしまう。


「まあ、何となく誰のことかは分かるけど。まーあれだ、精々頑張れ若人よ」

「怒られるかと思った。なんで止めねえの」


 別れた直後に告白するなんて、一般的に考えたら顰蹙ひんしゅくを買いそうなものだ。

 裏のないエールに、思わず俺は訊いてしまう。

 タツは考える様子もなく、すぐに口を開いた。


「俺藍田さんと友達のつもりだけど、桐生とは親友のつもりだぜ。桐生が納得して出した結論なら、ふつー信じるって」

「……良いこと言うな。金髪のくせに」

「今黒髪なんですけど!?」


 俺が出した結論が人の道を外れるものならば、タツも止めてくるだろう。

 だがそこに俺なりの信念があると、タツは信じてくれているのだ。

 東屋から出ると、藤堂が階段に腰を下ろしていた。

 勢いよく立ち上がると、俺の背中を押す。


「全部聞こえてた! がんば!」


 藤堂は俺の背中をバシリと叩き、タツもそれに倣う。

 ジンジンと痛む背中が、俺を鼓舞する。

 覚悟はできた。

 俺は今から、理奈に告白する。

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