第67話 香坂理奈

 タツと藤堂がねこ公園から去って、二十分後。


「やっほ」


 顔を上げると、待ち人来たる。

 理奈が手を振りながら、こちらへ近付いてきた。

 東屋へと繋がる階段に座っていた俺は、おもむろに腰を上げる。


「おう、来たな」

「なに、決闘でもするの?」


 俺の返事に何かを感じ取ったのか、理奈は眉根を寄せながら、からかうように笑う。


「ちげーよ。伝えることがあるって言ったろ」


 あんなに意味深なメールを送ったのだ。

 理奈もわざと軽口を叩いたらしく、「冗談よ」と言ってから鞄を地面に下ろした。


「……聞くわ」


 理奈は少し緊張した面持ちで声を出す。

 まるで本当に決闘するみたいだ。


「まず、報告しておくことがある」

「うん」

「藍田と別れた」


 理奈の表情に変化はない。

 これは予想外のことだった。

 今まで理奈に藍田との関係を話すと、何らかの大きな反応が返ってきていた記憶があったから。


「そう」


 理奈の短いに若干戸惑いながらも、俺は続けて言葉を紡ぐ。


「つまり俺は今、一人身だ」

「一週間だけね」

「まあ、うん。そうなんだけど」


 理奈の発言に、首を縦に振る。

 中々気持ち良く話させてくれない。

 俺は頭をガシガシと掻くと、意を決して大きな声を出した。


「あの!!」

「わぁ!?」


 理奈は仰天したように上体を反らす。

 その姿があまりにも間抜けで、一気に緊張がほぐれていく。

 このまま自分のペースに持ち込む。

 理奈に話をさせては、自分の言いたいことが言えなくなる可能性がある。

 今日だけは、ありのまま感じたことを、全て言葉にする。

 一週間前に、俺はそう決めた。


「俺と理奈が出逢ったのはもう本当に昔の──」

「待って、そんなところから語るの?」

「うっせー聞け!」

「ひどい!」


 今から告白する男の言動ではないことは自覚している。

 だが自分のペースにするにはこれくらいが丁度いい。


「お前と再会したのは、北高入学直前の時だったな」

「うん」

「正直、ビビったよ。一緒に泥んこになりながらバスケやってた奴が、女子になってて」

「いや、元々女子だし。もう一声」

「……可愛くなってて?」

「それそれ」


 理奈は頷いて、俺に続きを促す。

 中々思い描いているようにいかないが、このやり取りでも思うところがあった。


「……今みたいなところが、良いなって」


 その一言に、今日初めて理奈が押し黙る。

 俺の顔をマジマジと覗こうとして、目が合うと頬を赤く染める。


「いつも俺が間違えた時。迷った時。背中を押してくれてたのはお前だった」


 理奈の視線が少し下がった。俺の胸あたりを見ている。

 頬が、赤く染まっていく。

 そんな様子に、俺の言葉にも迷いはなくなった。

 何事も自分より余裕のない人を見ると、自信が出てくるものだ。


「いつも過去を思い返そうとすると、理奈の顔が浮かぶ。何をしている時も、頭の片隅に理奈がいる」


 胸に燻っていたものは、理奈への想い。

 藍田と別れてから、強くそのことを自覚した。


 だから、確信を持って次の一言を放つことができる。

 関係の変化を恐れずに、言葉を紡ぐことができる。

 いつも見守ってくれていた。

 いつも近くにいてくれた。 

 そんな理奈と、これからも一緒にいたいと思うから。

 幼馴染という関係を越えた、もう一段階深い関係に発展させたいと思うから。

 だから、言え。

 だから、紡げ。

 俺の胸中にある気持ちを、言霊にして伝えろ。

 背中がジンッと痛んだ。

 押し出されるように、俺は大きく口を開ける。


「理奈、好きだ!! 俺とずっと一緒にいてくれ!!」


 ──言い切った。


 たった一息で放てる言葉に、数年分のエネルギーを込めていた気がする。

 これが、人生二度目の告白だ。

 緊張で自分の膝が笑うのを根気で抑える。

 理奈の足元に視線を落として、俺は答えを待つ。

 今の理奈は何を想っているのだろう。それは理奈にしか分からない。

 俺には返事を待つことしかできない。

 この短い時間が、永遠にも似た時間に感じる。

 理奈が近付いてくる気配がして、弾かれるように顔を上げた。


「あっ」


 理奈が小さく声を漏らした。

 至近距離に、理奈の顔があった。

 一体、何を。

 俺が声を出そうとして、結局言葉を詰まらせると、理奈は口角を思い切り上げて、笑った。


「ばーか」


 唇が重なる。

 身体が熱い。

 重なっている唇も、熱を発して理奈に何もかもが伝わってしまいそうだ。

 ──まったく、どんな返事だよ。

 理奈の腰に片手を回し、初めて自分から抱擁する。

 触れた腰がピクリと震えるのが伝わってきたが、やがて俺の腰にも理奈の両手が回る。


 想い出は沢山ある。

 そしてどんな想い出より、これから積み上げていく時間の方がきっと素晴らしいものだという確信がある。

 関係を変えるのは、誰しもが怖い。

 積み上げてきた時間が無に還ることに恐怖を覚えるのは、至って普通のことだ。

 だがそのリスクを越えなければ、今の時間はあり得なかった。

 抱擁を結ぶ腕に力を入れる。

 理奈の抱擁もまた、強くなった気がした。

 風が吹くのと同時に、俺たちは一旦離れた。

 理奈の表情は、今までに見たことのないものだ。

 澄んだ茶色の瞳に映る俺は、どんな顔をしているのだろう。

 きっと理奈と同様、心底満たされたような表情を浮かべているのかもしれない。

 理奈の瞳が大きく揺れて、目を拭う。


「陽は私の、大切な人。そのことは今までもずっと変わらなかったけど……」


 やっと解ったよ、と理奈は胸を抑えて、息を吸う。


「私も、好き。陽のことが、好き」


 幼馴染からの返事に、俺は深く頷く。

 理奈は視線をうろうろと泳がせて、再度口を開く。


「今のキス、すごい、その……好きって気持ちが、胸に、こう……」


 珍しくしどろもどろな口調になる理奈に、俺は言葉を足してやる。


「一杯になった?」

「そう、それなの。初めてなの、こんな気持ちになったのは」


 理奈の目に、また涙がこみ上げる。

 だが今度はそれを拭うことなく、理奈はポツリポツリと話し始めた。


「小学生の頃までずっと、ずっと一緒にいたけどさ。中学からあんまり連絡取らなくなって、ほんとは沢山電話だってしたかったけど、陽から連絡来るまでこっちからしてやるもんかっていう、つまんない意地も張っちゃって」


 俺も、似たような意地を張っていた。


「やっと再会できたと思ったら、色々あって、また話しにくくなっちゃって。時間が経つごとに、陽とあの子の関係が良くなっていくことが伝わってきたから、焦って。ほんとに、焦って」


 理奈が辛そうにしているのは、伝わっていた。


「でも陽が幸せなら、私も満足なんだって言い聞かせてきたけど、やっぱり私は欲張りで。性格なんて、ほんとは全然良くなくて。面倒くさい部分も、絶対あって」


 面倒くさい一面がない人間なんて、ただの一人もいないだろう。


「そんな私でも、好きって言ってくれるなら、私は陽と一緒にいたい。ずっとずっと、一緒にいたい」


 本当に、この幼馴染は。

 ずっと俺を想い続けてくれたんだな。

 こんな俺を、ずっと。


「ね、もう一回」


 理奈は微笑みながら、俺の後頭部に手を回した。

 引き寄せられるまま、再び唇を重ねる。 

 こんなに満たされるひと時を、俺は他に知らない。

 キスを終えると、理奈は照れながらも、あどけなく笑った。


「好きっ!」


 理奈の一言に、俺は自然に満面の笑みを浮かべていた。


「……俺も!」


 二人で、笑い合う。

 生まれ育った街を見下ろせる公園で、俺たちは笑う。

 これからもずっと、笑っていられる。

 きっと俺たちなら、どんな困難も乗り越えていける。 

 そんな幻想を抱いてしまうほど、幸福感に満ちている。

 厚かった雲から、太陽の光が差し込む。

 眩い光が、俺たちの仲を祝福してくれた。

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